15.感情の振れ幅
集積場から出て十分ほど歩くと、先ほどまでの賑やかな市場から少し離れた場所へと出た。
街の中央を幅の広い水路が流れている。
石造りの縁は綺麗に整えられ、水は底が見えるほど透き通っていた。ところどころに金属製の箱のようなものが設置されており、微弱な魔力を感じる。
「これが王都全体に繋がってる水路だよ。生活用水として使うところと、排水用は完全に分けてある」
セオドアは水路の脇へとしゃがみ込み、金属製の箱を軽く叩いた。
「それは?」
「簡単に言えば浄化装置。水に混ざった細かいゴミや汚れを取り除く魔法具だよ」
「それもエレノア様が?」
「術式はね。装置そのものは職人ギルドと共同で作った」
集積場の時と同じだ。やはり、エレノア一人で作っているわけではないらしい。
フェリシアも横にしゃがみ込んで水面を覗く。確かに綺麗だ。
イグレシアス領にも水路はあるが、ここまで透明ではない。
「こういうものを王都以外にも置けたら便利そうですね」
「規模を小さくすればできると思うよ。でもこれをそのまま持っていくのはおすすめしないかな」
「やはり導入費や維持費がかかるからでしょうか」
「その通り」
セオドアは即答したフェリシアに感心したように目を細め、そのまま続ける。
「王都は人口が多いから、一つの設備に多少金がかかっても、一人あたりで考えれば安くなる。でも他の領地で同じものを作ったら維持費の方が高い。地方ならもっと簡単な術式で十分だと思う」
「なるほど……」
ただ便利だから導入するのではない。土地の規模や人口に合わせて仕組みを変える必要がある。
父から領地経営を教わる中でも似たような話は聞いたことがあった。
しかし、実際の設備を目の前にして聞くと理解がしやすい。
「ちなみに、さっきの使い魔やこの水路も王都への導入はまだ試験的なものだから。費用対効果の結果が出たらそれをもとに改良して、国中に順次普及させていくつもりだよ」
「国中に、ですか」
「うん。でも、同じものをすべての土地に置く気はないよ。気候も人口も産業も違うからね」
セオドアは水面へと視線を落とした。
「例えば水が豊富な土地なら浄化を中心にすればいいし、逆に水が少ないなら貯水や再利用の方が重要になる」
フェリシアは小さく頷いて自領の様子を思い浮かべた。
イグレシアス領は王都ほど人口が多いわけではない。水量も年間を通して比較的安定している。貯水や再利用の仕組みは現状のままでも問題ないだろう。ただ。
「浄化装置だけもっと簡単にはできませんか?」
セオドアが振り返り、続きを促す。
「領地の水路すべてに置くのではなくて、人が多く使う場所にだけ置くんです。市場の近くや、共同の井戸に繋がる場所などに」
「なるほどね」
セオドアの表情は変わり、考え込むように腕を組む。先ほどまでの柔らかな笑みではなく、以前文官と話していた時に見た、真剣な王太子の顔だった。
「それなら維持する数も費用も少なくて済む。術式も浄化だけに限定すれば、かなり小型化できると思う」
「ですよね。あとは領地にいる魔法士でも管理できるくらい簡単なものにできれば……」
言いながら、フェリシアは少し楽しくなってきた。声が弾んでいるのが自分でも分かる。
父から教わる領地経営は嫌いではない。だが、これまでは既存のものを学ぶことが多かった。
こうして目の前にある仕組みを、自分の領地ならどう使うべきかを考えるのは新鮮だ。
「フェリシア嬢」
「はい?」
突然名前を呼ばれ、フェリシアは顔を上げる。
「君、領地経営に向いてるね」
「……突然どうしたんですか」
「本当にそう思っただけ」
思わず目を丸くしてしまうが、セオドアは当然のことのように言う。相手がフェリシアだから褒めている、というわけでもなさそうだ。
「便利そうだから欲しい、で終わらないで自分の領地に合わせて活用する方法を考えてるから。維持する人間のことまで考えてるし」
「それくらい普通のことでは?」
「それが普通の領主ばかりだったらよかったんだけどね」
やけに実感のこもった声だった。
王太子ともなれば、各地の領主から様々な要求を受けるのだろう。
「父から教わっているだけですよ。事業に携わったことだってありませんし」
「それでも、今教わったことを考えて使えてるでしょ?」
さらりと言われ、フェリシアは一瞬黙った。
セオドアはいつも息をするようにフェリシアを褒める。容姿についてはもう聞き流せるくらい褒められた。
だが、こうして自分が学んできたことを認められるのは少し落ち着かない。
「……ありがとうございます」
小さく答えると、セオドアは嬉しそうに笑った。
「照れてる? 照れてるフェリシア嬢も可愛いね」
「照れてません」
「耳が赤いよ」
「気のせいです」
フェリシアはぶっきらぼうに答えると立ち上がった。
これ以上ここにいると、また余計なことを言われる気がしたのだ。
「次へ行きましょう。まだ他にもあるんですよね」
「もちろん。次は道路かな。それとも市場の設備を見る?」
「市場がいいです」
「分かった」
セオドアも立ち上がり、隣へと並ぶ。
再び人通りの多い場所へ向かって歩き始めると、ほどなくして香ばしい匂いが漂ってきた。
少し先にある屋台で、薄い生地に肉と野菜を包んだ料理を焼いている。
フェリシアは無意識にそちらへと視線を向けた。
「食べる? 食品視察ということで」
「食べたいだけですよね」
「バレた?」
セオドアは悪びれもなく笑いながら屋台へと向かっている。
「殿下」
「今は殿下じゃないよ」
振り返ったセオドアが、人差し指を口元へと当てた。
そうだ、周囲から見れば今のセオドアは王太子ではないのだ。
「……セオドア様」
「様もいらないかな」
「…………」
「ね、お願い?」
セオドアが手を合わせて小首をかしげている。あざとい仕草だが、美形ゆえ妙に似合っているのが腹立たしい。
とはいえ、なんだか趣旨が変わっている気がするが、呼び捨ての方が街で馴染めるというのも事実だ。腹立たしいが。
「……セオドア」
言葉にした瞬間、セオドアが胸を押さえて俯いた。
「もう一回言ってもらっていい?」
「セオドア……これ意味あります?」
今度は「うっ」と呻いて一歩後ずさった。呆れを滲ませながら言ったが、セオドアはそれでもいいらしい。
「ちょっと攻撃力が高すぎる……俺が耐えられない……」
面倒くさいな、この王太子。要求したのは自分なのに、それでやられてどうするんだ。
フェリシアは冷ややかな目で見つめると、ふいに見切りをつけて屋台へと向かった。
「二つください」
「はいよ。彼氏さん面白いね、まけとくよ」
「彼氏ではないです」
即答しながらフェリシアは店主へと硬貨を渡し、包みを二つ受け取る。
そして片方をセオドアへと差し出した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
複雑な表情でセオドアが包みを受け取る。
「おかしいな……完璧にエスコートするつもりだったのに……」
嬉しさと悔しさが混ざった呟きをこぼしているセオドアのことは無視して、フェリシアは包みを開いて一口食べた。




