14.視察です
刺身を食べてから三日後。フェリシアは王城にあるいつもの部屋で立ち尽くしていた。
「……殿下」
「うん?」
正面から帰ってきた声は聞き慣れたものだ。だが、見慣れた姿ではない。
「私、視察って言いましたよね」
「そうだね。視察デートだね」
「違います。いやそうではなく」
「ついにデートだって認めてくれるの?」
「違います!」
セオドアはいつものように笑っている。だがその装いはいつもの王族としての衣装ではない。
白のシャツに黒い上着、装飾の少ない革靴。腰に剣こそ下げているものの、王太子だと一目で分かるものは何一つ身に着けていない。
普段は丁寧に整えられている黒髪も、今日は少し崩している。
どう見ても、裕福な家の青年程度であった。一般人にしては顔が良すぎること以外、完璧な変装である。
一方でフェリシアは普段の外出と変わらない装いだ。動きやすい濃紺のドレスワンピースに、セオドアからもらった髪留めを着けている。
なにせ、普通の視察だと思っていたのだ。
「……まさかその恰好で行くつもりなんですか?」
「そのための恰好だからね」
当然のように返されて、フェリシアは一瞬言葉に詰まった。
「まさか本当にお忍びのつもりですか?」
「ちゃんと許可は取ったし、護衛も付けることにはなってるよ」
「……私は正式な視察に同行させてもらう形だとばかり思っていたんですが」
「それだと見られるものが変わるからね」
セオドアはそう答えて、自分の上着の裾を軽く整えた。
「王太子が正式に視察に行くって通達したら、道は掃除されるし、店も普段以上に整えられるし、問題だって隠されるかもしれない。それじゃ意味がないでしょ?」
「それは……そうですが」
「だから今日は普通に街を歩く。フェリシア嬢が気になるものがあったら好きなだけ見ていいよ」
なるほど理屈は通っている。
前回、城を抜け出す理由は普通に遊びたいからだと言い切った男と同一人物であるとは思えないほど真っ当な意見である。
「護衛はどちらに?」
「もういるよ。見えないところに六人」
「え」
フェリシアは部屋を見渡した。しかし、当然ながら誰もいない。
「……護衛というよりもはや隠密では?」
「俺が一番強いから、それくらいはできる手練れじゃないと意味ないんだ」
そういえばそうだ。この王太子は国一番の剣士であると同時に優秀な魔法士だった。
「ちなみにエレノア様ではないですよね」
「違うよ。ついてこられそうになったけど、蓮を売ったから問題ない」
「それ、レン様に許可は取ったんですか?」
返事はない。
フェリシアは心の中で合掌した。南に仕事に行っているというのに、突如としてあの問題児を押し付けられるなど不憫極まりない。
だが背に腹は代えられない。エレノアが護衛だった場合、危険から守られるよりも先に別の事件へと巻き込まれる気がするのだ。
今度レンに会うとき、差し入れでも持っていこうと誓った。
何はともあれ、本当にこの姿で街へ出るらしい。
フェリシアは改めて自分の服を見下ろす。貴族令嬢としては比較的控えめな装いではあるが、それでも街中を歩くには目立つ。
「私、この格好で大丈夫でしょうか」
「十分だと思うけど。すごく似合ってるよ」
「そういう意味ではありません」
「分かってるよ」
フェリシアが軽く睨むが、セオドアは楽しそうに笑うだけだ。
「まあ、そうだね。このままだとフェリシア嬢が可愛すぎて狙われそうだし、一枚外套を用意しようか」
「……」
もう突っ込みは諦めた。外套を用意してくれるのであればそれでいい。
セオドアは部屋の外に出て侍女へと一言伝える。すると数分と経たないうちに簡素な紺碧色の外套が用意された。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
不思議とサイズはぴったりだった。丈も幅も、文句のつけようがない。採寸されたことも体型について話したこともないはずなのに恐ろしい。
それについてはまたの機会に問い詰めるとして、フェリシアは己の恰好を再び見下ろす。上品なドレスワンピースは外套に隠され、今の姿は裕福な商家のそれだ。
「これなら大丈夫そうですね」
「うん。それじゃあ行こうか」
セオドアが当たり前のように手を差し出してくる。
「貴族としてのエスコートなら分かりますが、今はお忍びですよね」
「デートだから。婚約者って設定はどう?」
「却下します」
フェリシアが手を取らずに部屋を出ると、セオドアは残念そうな様子もなく隣へと並んだ。
最近察してきたが、この男は断られること自体にはかなり慣れているらしい。あるいは断られたところで、フェリシアの横にいられる幸福が上回っているかである。
王城を出る際には、普段使用する正門ではなく、使用人や物資の搬入にも使われる裏門を通った。
門番はセオドアの顔を見るなり背筋を伸ばしたものの、彼が人差し指を口元へ当てると何も言わずに頭だけを下げる。
「随分と慣れていますね」
「昔は何度も使っていたからね」
「今は使っていないんですか。良かったです、脱走やめたんですね」
「いや、新しい抜け道を開拓中」
「王太子ですよね? 本当に何をしているんですか」
セオドアは聞こえなかったふりをしている。エレノアに負けず劣らずの問題児な気がしてきた。
追及しようとした頃にはすでに王城を取り囲む壁を抜け、城下へと出た。
以前、馬車の窓から見た王都とはまるで印象が違う。
石畳を行き交う人々の声。露店から漂う焼いた肉や香辛料の匂い。荷物を運ぶ使い魔が頭上を翔け、店へと降り立ってはまた飛び立つ。
馬車の中から眺めたときは整然とした街に見えたが、実際に歩いてみるとずっと騒がしい。
「人、多いですね」
「この辺りは中央市場に近いからね。昼になったらもっと増えるよ」
セオドアは自然に人の流れを避けながら歩いていく。慣れていないフェリシアとは異なり、その足取りに迷いはなかった。
「さすがは脱走常習犯ですね。手慣れてます」
「否定はできないけどさ。他に言い方なかった?」
「事実ですので」
フェリシアが澄ました顔で返すと、セオドアは苦笑いをこぼした。王城で見せる完璧な微笑みとは似ても似つかない。こうして地味な服を着て街中に立っていると、本当にただの同年代の青年のようだ。
「まずはどこから見たい?」
フェリシアは顔を上げて街を見渡す。店先、道、水路、いたるところで魔法具が使われている。どれも気になるが、フェリシアはさらに顔を上げ、上空へと視線を向けた。
「荷物を運んでいる使い魔が気になります。このような使い方は初めて見たので」
「ああ、普通は情報収集とか伝達に使われるもんね。じゃあまずは集積場に行こうか」
セオドアは迷うことなく道を曲がる。
フェリシアもその隣を歩きながら、頭上を翔ける使い魔を見上げる。
鳥のようなもの。小型の竜に似たもの。羽のないただの猫までいる。どれも足や背に荷物を抱え、一定の方向へと飛んでいた。
しばらく歩くと、人通りの多い大通りから少し外れた場所へと出た。
そこには大きな石造りの建物があり、開け放たれた入り口から次々と使い魔が出入りしている。
「ここが集積場ですか?」
「うん。王都内の荷物は一度ここに集めて、届け先ごとに振り分けてる」
中に入ると、さらに異様な光景が広がっていた。
天井近くを使い魔たちが行き交い、地上では職員らしき人が荷物を確認している。その横では、宙に浮かぶ板のような魔法具が荷物を運んでいた。
フェリシアは興味深く辺りを見回す。
イグレシアス領では荷物の運搬には馬車を使う。遠方なら転移魔法を使うこともあるが、基本的には馬車だ。もしこの仕組みを導入できれば、人手を別の仕事に回せるかもしれない。
「しかし、これほど多くの使い魔を維持するのは難しいのではないですか?」
「そこが一番の問題だった。最初は俺たちも使い魔は多い方がいいと思ってたんだけど、魔力消費が大きすぎてね」
セオドアは近くを飛んでいた鳥型の使い魔を指差す。
「だから今飛んでるのは、全部が独立した使い魔じゃない。大本になる術式を集積所に置いて、そこから簡易的な分体を作ってる。魔力も大本の術式が周囲の大気中から吸い上げて、ある程度自給できるようにしてるんだ」
「……そんなことができるんですか」
「エレノアだからね」
「納得しました」
あの魔法士なら何でもありな気がしてきた。
「ただ、そのままだと一つの術式が壊れたときに全部止まるから、蓮が術式を分けた方がいいって言ってね。今は三つに分かれてる」
「レン様も魔法に詳しいんですね」
「詳しいというより、あいつは旅してるから他の街とか組織の失敗例をたくさん知ってるんだ」
なるほど、とフェリシアは頷いた。
一人の天才がすべてを作ったわけではない。それぞれが持つ知識を合わせた結果が、今の王都なのだ。
「……面白い。もっといろいろ見てみたいです」
思わずこぼれた言葉に、セオドアは一瞬目を丸くした。そして、すぐに嬉しそうに笑う。
「もちろん。じゃあ行こうか。次は水路を見よう」
「はい」
二人並んで集積場を出る。
「フェリシア嬢、楽しそうだね」
フェリシアの顔を横からのぞき込むようにしてセオドアは笑う。
「……そうですね。楽しいですよ。視察が、ですけど」
「うん。俺も楽しいよ」
楽しいということ自体は否定されなかったのが嬉しいのか、セオドアはさらに上機嫌に笑った。
「やっぱりデートだね」
「視察です」
即座に訂正する。完全に悪化していた。セオドアはついに視察という言葉すら使っていない。
ただ、先ほどよりほんの少しだけ声に力が入らなかった。




