13.黙っていれば完璧なのに
フェリシアはしばらく差し出された箱を見つめた。
受け取らないという選択肢もある。この王太子をこれ以上調子に乗らせないためには受け取らないのが正解だろう。
だが、大量の宝石や装飾品とは違い、これは今日初めて知った道具で、家に代わりはない。なにより次に刺身を食べるとき、また使うことになるだろう。
たっぷりと時間をかけて悩んでから、フェリシアは箱を受け取った。
「開けてもよいですか?」
「もちろん」
セオドアの返事を受け、フェリシアは箱を膝に乗せて蓋を開く。
中に納められていたのは、艶やかな漆黒の箸だった。
「……綺麗」
持ち手は金粉や貝殻の細工による細工が施され、きらきらと輝いている。宝石のような華やかさがあるが、決して派手ではない。だが角度を変えると細やかな模様が浮かび上がる。箸先は非常に細く、実用性も高そうだ。
それによく見ると、細工の間に小さな空色の宝石が埋め込まれている。
「また青ですか」
「フェリシア嬢の瞳の色が好きだから」
「……そうですか」
だろうとは思っていたが、もっと言い方というものがないのだろうか。さらりと言われたせいでどう反応するべきか分からない。
フェリシアは誤魔化すように箸を手に取った。
「思っていたより軽いですね」
「東の国の木を使ってるんだ。軽いけど丈夫な素材らしいよ。俺も職人から聞いただけだけど」
「今回は殿下が作ったわけじゃないんですね。安心しました」
「なんで?」
魔法具を自作して贈りつけてくる男だ。箸まで作り始めたら、さすがにどこに向かっているんだと心配になる。そこまで手遅れではなくてよかった。
「なんでもありません」
箸を箱へと戻す。
セオドアは頬杖をつき、嬉しそうにその様子を眺めていた。また何か言い始めるんじゃないかと警戒したが、珍しく何も言わない。
「どうかしました?」
「……いや」
気になって声をかけてしまったフェリシアに、セオドアは柔らかく目を細める。
「フェリシア嬢が、俺の贈ったものを普通に受け取ってくれるようになったと思って」
「……」
現在部屋を埋め尽くしている最初の贈り物は、返品しようかと本気で思った。父も問い合わせていた。
追加で手紙と共に送られ続けていた物は、存在に気付いてからはやめてくれと返信で書き続けた。
髪留めを着けることを決めたときも、それなりに迷った。
それが今、箱を渡されて、呆れはしたものの受け取ること自体には以前ほど抵抗を感じていなかった。完全に毒されている。
「……だからといって、これから何でも贈っていいということはありませんからね」
「分かってるよ」
「本当ですか?」
ほんの一瞬、セオドアが動きを止めた。
「……たぶん」
「その回答が一番不安です」
信用ができない。
じっと睨むと、セオドアは素早く視線を逸らした。
冷静に考えると、王太子を視線だけで黙らせているこの状況は明らかにおかしいが、いつの間にか疑問を抱かなくなっている自分がいた。加減を知らないセオドアが悪いのである。
「……まあ、これくらいでしたら」
フェリシアはもう一度、箱の中の箸へと視線を落とす。
「大切に使います」
セオドアが片手で目を覆った。
「フェリシア嬢、結婚しない?」
「しません。飛躍しないでください」
「だよね。言ってみただけ」
「とりあえずで求婚するのやめてもらっていいですか?」
どれだけぞんざいに返されようとも、セオドアの声が歓喜で震えていた。
いろいろと悪化している気がする。多少加減を覚えても、ここは直す気がないらしい。
しばらくして、セオドアがようやく落ち着きを取り戻した。
刺身の皿はとっくに空になっている。
フェリシアが窓へと視線を向けると、差し込む光も少しずつ傾き始めていた。光に照らされる城の屋根はやけに綺麗だった。前回来たときよりも塗装が鮮やかな気がする。
「屋根、こんなでしたっけ」
フェリシアは首をかしげる。
「ああ。前回、エレノアが城の屋根を吹き飛ばした話、覚えてる?」
「はい」
「エレノアに修理させたばかりだからね。あいつ、しょっちゅう壊しては直してを繰り返してるから、土木系の魔法が得意なんだよ」
フェリシアはなんともいえない表情を浮かべながらもう一度窓の外へと顔を向けた。
たしかに、以前見た城の屋根とは微妙に色が異なっている。屋根だけが新品のようだった。壊れた痕跡など一切見当たらない。
「エレノア様って、本当に何でもできるんですね。魔法も、書類を偽造するのも」
「興味を持ったものは極める性格だからね。でも本人には言わない方がいいよ。確実に調子に乗るから」
セオドアの目には色濃い呆れが宿っている。経験談なのだろう。
「エレノア様だけでなく、殿下も大概何でもできますよね」
「まあね。でもエレノアほど器用じゃないよ」
どう考えても謙遜である。
魔法の最上位に位置する蒼い炎を結婚届の処分に利用する人間が何を言っているのだろうか。
「そういえば」
フェリシアは以前馬車で王都を通ったときのことを思い出した。
「王都にある魔法の設備も殿下が作ったと聞きましたよ」
「全部じゃないけどね。俺と蓮で案を出して、エレノアに術式作ってもらっただけだから。俺がしたのは最初の案出しと、最後の調整だけ」
「それを『だけ』とは言わないと思いますけど」
フェリシアが呆れ半分に言うと、セオドアは不思議そうに瞬いた。
「術式を一から作ったのはエレノアだよ。俺は街を歩いていて、不便に思ったことをどうやったら改善できるか考えただけだから」
「不便、ですか? 今の設備ができる前も、王都は整っていることで評判だった気がするのですが」
「表向きはね。でも水路の水にゴミが混ざりやすかったり、雨次第ではすぐに溢れたり足りなくなったり。荷物は人や馬が運んでいたり。少し裏に入ると道が狭くて、馬車が通れなかったり。不便でしょ?」
セオドアは何でもないように話している。だが、どこの国もそのようなものだ。当たり前のことに疑問を持てる人間は多くない。それを改善しようと、行動を起こせる人はもっと少ない。
フェリシアが馬車の中から見た王都の様子は、どれも初めて見るものだった。
使い魔が宙を翔けて荷物を運び、建物は必要に応じて位置を変える。水も綺麗で、飲み水としても使えるとの評判も聞いたことがあった。
「前に城を抜け出して街に出ているとおっしゃっていましたが、その度にそういうことを考えているんですか?」
「否定はしないよ。遊びに行くときくらい仕事のことは考えないようにしてるんだけど、やっぱり目に入ると気になるから」
セオドアは苦笑する。
「それに、城にいるだけじゃ分からないことも多いから。実際に行って初めて見える問題もある」
「……だから城を抜け出しているんですか?」
「いや、それは普通に遊びたいだけ」
「台無しです」
フェリシアが即座に言い放つと、セオドアは楽しそうに笑った。
だが、先ほどまでの言葉は冗談だったわけではないのだろう。王太子として、城の中から命令を出すだけではなく、自分の足で歩いて人々の生活を見ている。
「殿下って、本当に王太子なんですね」
「……どういう意味?」
「今まであまり実感がなかったので」
「酷くない?」
心外だとでも言いたげな表情である。
「自分の行動を省みたらいかがでしょうか」
「……思い当たる点がないな」
「手遅れですね。レン様にでも聞いてみてください」
セオドアは顎に手を当てて頭をひねっている。本気で分かっていないようだ。黙っていれば完璧な王太子なのに、本当に残念である。
フェリシアは小さくため息を吐く。だが、その口元はほんの少しだけ緩んでいた。
「でも、少し興味があります」
「何に?」
「王都の仕掛けにです」
セオドアが瞬く。
「前に王都を見たとき、見たことのない魔法設備が多くあったので。あれがどういう仕組みなのか、気になっていたんです」
父から領地経営を学んでいる身として興味があった。
王都ほど大規模な設備を自領に導入することはできないだろうが、考え方そのものは参考になるかもしれない。
「じゃあ、今度一緒に見に行く? 案内するよ」
あまりにも当然のように言われて、フェリシアは一瞬黙った。
「お忍びデートだね」
「無断で抜け出すことが前提なのもデートなのもおかしいです」
「ちゃんと許可は取るよ」
「デートについては黙秘ですか?」
「二人で出掛けるならそれはもうデートじゃない?」
セオドアはにこりと笑う。訂正するつもりはないらしい。
「私は視察のつもりです」
「じゃあ視察デートだね」
「視察です」
フェリシアが即座に言い返すと、セオドアは楽しそうに笑った。やはりこの王太子は駄目である。




