↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみの頬をなでる風になれたら  作者: 朝倉いろは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

99/118

第八十ニ話 フィデール領へ

 王宮での勤めを終えたスナイデル公爵が王都の邸宅に帰宅し、息子夫婦達と孫達に囲まれ賑やかな晩餐となった。古代の歴史書の墨塗りが解除されてからは、専門家による翻刻が進んでいる。古文のままでは国民に広く知らしめることは難しいため、その後は現代アルメニア語に訳されることになる。

「研究者達が張り切っていてな。翻刻は予定よりも早く終わるだろう」

 新しい発見により定説が覆ることは、多くの人々に常識の転換を求めることになる。学術的に正しいとされることが、すぐに受け入れられるわけでもない。双子の弟が神殿に属さなくなれば、神徒や神官、寄付金の減少に繋がり、特に地方の小さな神殿では存続が難しくなるかも知れない。また、貴族家にとっては跡目争いにも発展しうるため反発もあるだろう。当然、政治の中枢を担う高位貴族にも異議を唱える声が上がっている。新たな発見があったことを事実として公布し、歴史書、教科書などを通じて緩やかに認識が変わっていくよう促した方が良かろうな、とスナイデル公爵はワイングラスを傾けた。

 スナイデル公爵家はアルメニア王家に繋がる高位貴族だが、政治の中枢を担うというよりは、長い歳月の中で育まれてきた歴史・文化などを保護し、繋ぐ役目を担っている。それらは単に保護するだけではなく、継承し発展させていくことも考えねばならないだろう。

「ぼくがおおきくなったら、おじいさまのおしごとのおてつだいをしたいです」

「わたしも」

 ルーセントとルシェリはスナイデル公爵家の後継ぎとしてしっかりと育っているようだ。公爵は嬉しそうに二人を撫でた。レグルスはザドキエル先生にもらった風の車を上手に動かせるようになってきている。子供達の将来が楽しみだ。


 翌日、従兄姉と別れたくないと大泣きするレグルスを宥めながら、フィデール領に向けて出発した。輿入れしてから初めての里帰りだ。妹のオリアナはルーファスと結婚し、一児が生まれたそうだ。今回は馬車での帰郷なので、騎馬よりもゆっくりとした道中になる。

 北へ向かうにつれて、所々雪が残っている場所が見受けられるようになってきた。遠くに霞む山々の頂にもまだ雪が残っている。見慣れた故郷の山だ。段々とはっきり見えるようになるにつれ、風が運んでくるのは懐かしい匂いだ。故郷の春の匂い。雪解けのこの時期には、フィデール領固有の花が咲く。厳しい冬を耐え、春の日差しを感じて一気に芽吹くこの花の蜜は滋養に優れ、花を摘むと付け根の部分から蜜が流れ出る。今の時期は子供達の美味しいおやつになっていた。

「レグルス、おいで!」

「おはなをたべるの?」

「ここにお口をつけて吸ってみて」

 恐る恐る口をつけたレグルスの目がパチリと開いた。

「おいしい!」

「このお花はね、ここにしか咲かないのよ。お母さんはここで生まれて育ったの」

 スナイデル邸から同行してくれているサティとセレナにも勧めてみると、二人とも手が止まらない様子で口に含んでいた。この蜜だけを蜂が集めたものはフィデール領の特産品だが、数が少なく殆どが領内で消費されるため、出回ることは稀だ。それ故に高値で取引されている。

「もうフィデール領に入ったんだな」

「ええ。あの橋を渡ると領邸はすぐよ」

「綺麗なところだな」

「田舎でびっくりしたでしょ」

「まさか。小さい頃のきみを見てみたかったよ。アシュベル様が羨ましいな」

 そう言うリヒトの口に花の花托部分をくっ付け蜜を吸わせる。

「…ちゅう」

 こくんと喉が鳴り、リヒトはうまいと呟いた。

「この花蜜を吸ってこうなったの」

 うふふと笑うアリシア。ガルヴァロス公が言うには、レグルスをもう少し丸くすると幼い頃のアリシアになるらしい。リヒトは離れの侍女達と手を繋いで花畑を歩くレグルスを見た。うん、可愛い。アリシアの幼い頃を想像すれば頬が緩む。この花畑で妹や友人達と遊んでいたのだろう。

 スナイデル公も馬車を降りて体を伸ばしている。春の爽やかな風が心地良い。護衛の騎士達も長旅で疲れた体を解しながらも、周囲に気を配っている。ふと、橋の方から騎馬が数頭こちらに駆けて来るのが見えた。フィデール子爵とルーファスが従者と共に迎えに来てくれたようだ。馬から下りてスナイデル公に対し頭を下げた。

「スナイデル公爵閣下とお見受け致します。私はこの地を預かるシリウス・フィデールと申します。遠路遥々ようこそおいで下さいました」

「面を上げて下され、フィデール子爵。丁重な出迎え痛み入る」

 頭を上げたフィデール子爵とアリシアの目が合えば、堰を切ったように涙が溢れてきた。

「…アリシア」

「お父様」

「また会えるとは…」

 それ以上、言葉は出なかった。話したいことはたくさんあったが、涙で言葉が出ない。死んだはずの娘が目の前にいて、抱き締めれば温かい。あの日、氷に包まれ触れることすら出来なかった娘。騙されていた怒りも何もかも、娘の姿を見た途端に吹き飛んだ。

「義父上、皆が待っております」

 ルーファスに促され、涙を拭いたフィデール子爵は、一行を屋敷へと案内した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。