第七十五話 アリシアの手紙
冬の寒さが厳しくなって参りましたが、皆様お元気でいらっしゃいますか。長らくご連絡を差し上げることが出来ず、申し訳ございませんでした。
すでにお耳に入っているかと存じますが、私は今、ノルディア領オーグスにて薬師として働きながら、息子を育てております。息子の名はレグルスと申します。二歳を過ぎ、ますます愛らしくなって参りましたゆえ、ぜひ皆様にお目にかけたく存じます。
春の佳き日に、皆様にお会いできますことを心より楽しみにしております。
アリシア
アリシアの手紙を持参したのはアシュベルだった。ルーシィに会いにオーグスへ行った際に預かって来たのだった。これから雪がいっそう深くなる時期だ。今のうちに会っておかねば、いくら雪に慣れた北国出身であっても往来は厳しくなる。フィデール領はタナトス領のすぐ隣で、彼が属する前線にも近いので自ら届けることにしたのだが、主君の御子息直々に手紙を携えて訪れたとあって、フィデール子爵は恐縮しアシュベルを上座に通してもてなした。
「この度はアシュベル様直々にアリシアの手紙を届けて下さり、誠に有難うございます」
「そんなに恐縮しないでくれ。本当はもっと前にアリシアの無事を知っていたんだが、色々あって伝えることが出来なかったんだ。すまなかった」
「とんでもないことです。先日スナイデル公爵閣下より書状を頂きまして、事情は理解しているつもりです」
「そうか。まぁ…俺はアリシアを死人扱いされたことについては怒りが収まらんが、当のアリシアが…すっかり水に流してしまっていてな」
「…なんとなく想像がつきます」
「そうだろう?俺は一度ヴィンセントを斬りかけたが、アリシアは何ともない顔をして普通に奴と話をしてるんだ。俺達が最近事情を知ったってだけで、アリシアにとってはもう過去のことなんだろうな」
フィデール子爵は何とも言えない表情でアシュベルに酒を勧めた。
「アシュベル様はどうやってアリシアが生きていることをお知りになったのですか?」
「これが本当に偶然でな。オーグスに立ち寄った時に転びかけた男の子を助けて母親の元へ連れて行ったら、それがアリシアだったんだ」
「なんと…その子がレグルス…ヴィンセント様の双子の弟の子だと」
「…そうらしい。父親が誰なのかを知っているのはアリシアだけだが…アリシアの様子を見る限りでは間違いないと思う」
「神託が示したのはヴィンセント様でなく、双子の弟の方であると」
「そうだ。俺とアリシアは神託が降りる瞬間に立ち会ったから間違いない」
「…どういうことでしょう?また神託が降りたのですか?」
「俺達は、神託の相手がヴィンセントではなくリヒトだったのではないかと考えて、内容の確認をしに神殿に行ったんだ。祭壇の前で神託の控えを開いたら、供えてあったペンがひとりでに動いてリヒトの名を記した」
「何故最初からリヒト様の名を御示しにならなかったのか…」
「リヒトはマリアンネ様に隠されていて、名も付けてもらえなかったそうだ。リヒトという名はアリシアが付けたと言っていた」
「神々も名を記せなかったのですね」
「恐らくな。そう暗くなるな、フィデール子爵。アリシアに会えばきっと拍子抜けするぞ。お前らには辛い思いをさせたと思うが、アリシアとリヒトはお互いに想い合っているし、毎日楽しそうに暮らしてる。資格を取って平民として働いて、そりゃ大変だとは思うが、今が一番幸せだと言わんばかりにな。だから心配するな」
アシュベルは空になったフィデール子爵のグラスに酒を注いだ。
「と言っても、顔を見るまでは心配だよな。リヒトが双子の弟なのも気になるとは思うが」
…それも近いうちに解決するだろうと、アシュベルはスナイデル公爵が進めている研究について語った。それはフィデール子爵にとっても俄には信じがたい話だった。その様子に、アシュベルは俺もそうだったと頷いた。
コンコンと扉を叩く音がして、応接間に入って来たのはオリアナとルーファスだった。
「お話終わった?お兄様にこの子を見てもらいたくって」
オリアナは春に生まれた息子を抱いていた。ふくふくとした頬が赤く色付いて元気そうな赤子だった。
「お!オリアナとルーファスの子か?可愛いな」
慣れた様子で赤子を腕に抱くアシュベルの目尻は下がっていて、まるで孫を抱く祖父のようだ。八人兄姉の末っ子であるアシュベルが、妹のように接していたオリアナの子だ。可愛いに決まっている。
「あやし方が上手すぎるわ。早くお嫁さんをもらったら良いのに」
「こら、オリアナ。失礼だぞ」
フィデール子爵が娘を嗜める。
「だってこんなに格好良いのに、もったいないよ」
「俺だって相手くらいいるぞ」
「え、そうなの?全然そんな話聞かないんだもの。心配しちゃった」
「そうですよ。アリシアさんが結婚してから自棄になって前線に突っ込んだと思ってましたよ」
「正直それもあったけどな。でも前線が向いてるんだよ」
「笑顔で血飛沫浴びてそう」
「ルーファスお前も前線に来いよ。腕が鈍るぞ」
「それ良いかも。うちの領地のことならお父様が現役だから心配要らないわよ。私は淑女だけど戦えるから」
「えーと、俺大丈夫かな…」
外堀を埋められる前に脱出しようと試みるルーファスだが、逃げられないかも知れない。
ルーファスの故郷ハウゼン領も北の辺境に属しているため、前線に駆り出されたことはあるのだが、今の時期は冬の魔物が勢い付いていてとにかく寒い。出来れば御免被りたい。
和気あいあいとした若者達の笑い声に、フィデール子爵の胸のつかえも少し軽くなったようだ。オリアナが失言をしないかと気がかりではあったが、歓談の席を辞し、妻の元へ戻った。




