第七十三話 牽制
リヒトの見た目はどう取り繕っても平民ではない。仕事探しは難航しそうだ。アリシアの所持金と給金、リヒトには公爵家の予算が割り振られているので仕事をせずとも生活は出来るのだが、ここは平民の多い町だ。仕事をしなければ、盆暗の貴族が平民の愛人に働かせて入り浸っていると思われかねない。思われたところで平民が貴族相手に何か出来る訳でもないのだが、レグルスのことを考えればそうも言っていられない。近所の幼い子供達と遊んだりもしているので、避けられるのも困る。もっと分厚い眼鏡をかけさせて、ザドキエル先生の弟子ということにして研究職だとでも言おうかしら…それとも、何かしらの病を患って療養中としても良いかも知れない…アリシアは頭を悩ませた。リヒトに合う平民の服を買いに行ったは良いが、それを着せても顔が浮いている。そのうち馴染んでくるのだろうか。アシュベルが汚ねぇ格好させてもバレるぞと言ってたが、これほどとは。
オーグスの町長はノルディア領主に仕える男爵位の貴族だ。男爵に仕事を紹介してもらうことは出来ないかと考えたが、リヒトの瞳を見れば王家の血が流れていることは分かるだろう。ただの平民が男爵に目通り出来ることはまずないので、家名を名乗ることになる。リヒトはスナイデル公爵子息だ。アリシアはザドキエル伯爵の養女。どちらにしても男爵は恐縮するだろう。むしろ、八百屋にでも雇ってくれと頼んだ方がすんなり事が運ぶかも知れない。
フィデール領に帰るにしても、家族にはまだ連絡出来ていない。神託のこともある。いつか帰るにしても、今ルーシィを一人にするのは心配だ。最近ますます綺麗になり、一緒にいると視線を感じることが増えた。辺境伯子息と婚約していると言っても、公にされている訳ではないので、ルーシィは見目の良い平民の娘でしかない。オーグスは治安の良い町だが、下心のある下位貴族が妾にと迫ることは有り得る。
「いっそのこと、リヒトが囲ってることにした方が安心かも」
「何がだ?」
うっかり声に出ていたようだ。
「ルーシィよ。アシュベルがいないから心配なのよね。一人暮らしだし…」
「きみも幼い子供と二人暮らしだったじゃないか」
「そうだけど、私は護身術を身に付けているし武器も扱えるから。でもルーシィは違うもの」
「アシュベル様が連れ歩いていたなら、高位貴族のお手付きだって知られてるんじゃないか?」
「…だってアッシュだよ?」
「幼い頃から見慣れてるから分からないかも知れないが、アシュベル様は立派な騎士だぞ。あの出で立ちで末端の歩兵に見えるか?馬も見事な黒馬だぞ。どう見ても軍馬だ。あんな馬を持てるのは高位貴族しかいない」
「…確かにそうね」
思えばアシュベルは常に騎士の出で立ちで、愛馬に乗って訪れていたし帯剣も隠そうとしていなかった。帯剣を許されているのは貴族だけだ。愛する人を守るため、あえてそうして周囲を牽制していたのだろう。
「この家にも来ていたんだろう。アシュベル様はきみとレグルスのことも守ってくれてたんだぞ。きっとそうだ」
「…そうね、きっとそうだわ。口は悪いけど優しい人だもの」
「俺に対しても怒りを隠さなかったからな。でも助けてくれたんだ。アリシア、きみのために」
「それにしても、よく気付いたわね」
「…当然だ」
「男はな、見せ付けたいんだよ。この最高に良い女は俺のものだからお前らは手を出すなよって」
そう言って、リヒトはアリシアの肩を抱き額にキスをした。




