第七十二話 交わらぬ想い
スナイデル公爵は、王宮の左の塔を訪れた。
そこには、妻マリアンネとその侍女ジャスティーヌ、護衛騎士セドリックが共に幽閉されている。
自分の息子が双子であることを隠され、神託の解釈を誤った。神の意向に従い結婚し、歩み寄ろうと努力するヴィンセントとアリシアを引き離し、ルーセントから実の母を奪った。
ヴィンセントがアナベルと恋仲だったことは知っている。家族間での交流も重ね、貴族院卒業後は結婚するはずだった。息子の幸せを願ったにしても、アリシアの死を擬装するなど乱暴にもほどがある。アリシアが逃げずともいずれは露見しただろう。母親ならば、神託が降りた時点でヴィンセントが双子であることを明らかにするべきだった。そうすれば、神託が示したのが双子の兄か弟のどちらなのか、慎重に検討がなされただろう。
兄ローランドとは姿形が似ているだけだ。似ているからこそ、性格や話し方など、愛した男との違いを嫌というほど感じたことだろう。似ているからこそ、より辛くもなっただろう。マリアンネとの結婚は固辞するべきだったと後悔しても遅い。ヴィンセントが生まれても溝が埋まることはなかった。自分の本当の名ヴィゼルと、兄ローランドの名に似せてヴィンセントと名付けたが、その由来をマリアンネは知らない。知ったところで不愉快になるだけかも知れないが…
マリアンネが幽閉されている部屋は王宮の左の塔最上階にある。扉には鍵がかけられており、扉の外側には衛兵が二人。窓は少ししか開かず、身を投げることも逃げることも出来ない。マリアンネの部屋から側近二人の部屋は続きになっており、日中はマリアンネの身の回りの世話をし、夜になればそれぞれの部屋に施錠されるようになっている。魔力の高い王族や高位貴族を幽閉する監獄であるため、塔全体に魔法を行使出来ないよう魔封じの古代魔法がかけられていた。
公爵邸にいた頃よりも質素な衣装を纏い、髪型も簡単にまとめただけの姿で、マリアンネはスナイデル公爵との面会に応じた。内装や調度品は華美ではないが質の良いもので揃えられている。元々茶会や夜会に頻繁に顔を出すこともなかったため、幽閉されているといっても特に不満はないようだ。兄ローランドが愛用していた剣の鞘だけが剣架に掛けられている。刀身は抜かれ、スナイデル邸の宝物庫に保管されている。有り体に言えば、マリアンネの自死を防ぐためだった。
鞘の前には花が供えられていた。
香りの良い紅茶と地味な焼き菓子がどこかちぐはぐだ。
「なんのおもてなしも出来ませんけれど…」
マリアンネは目を合わせることなくそう言った。でもこの焼き菓子は味がとても良いんですのよ、と口に運ぶ。スナイデル公爵も焼き菓子を口にすると、香ばしいナッツとバターの味が広がって溶けていった。
「少し痩せましたね」
「質素な生活になりましたから…不自由はしておりませんけれど」
「領地においでになりませんか」
「…参りません。あそこは…思い出が多すぎるのです」
「お忘れにならずとも良いのですよ」
「…時が経てば…悲しみも和らぐと思っていました。けれど無理なのです。時が経てば経つほど、深く暗い地の底に堕ちていくようで…あの方がいない世界に、いつまで居れば良いのでしょう」
ローランドとマリアンネが出会ったのは貴族院だ。まだ幼かった二人だが、出会ってすぐ意気投合し、それが恋だと気付くまでにそう時間はかからなかった。マリアンネは当時国王になったばかりの兄ヴァレリウスに、ローランドに降嫁したいと申し出た。若くして王になったヴァレリウスは、マリアンネには隣国に嫁ぎ両国の架け橋となって欲しかったが、妹姫には幸せになって欲しいという思いもあった。ローランドは筆頭公爵家の子息であり、国内の基盤を固めることにもなるとして降嫁を許した。
出会ってからローランドとの別れまで、共に過ごした期間は六年ほどだ。初めての恋の別れは死別であった。次の恋など考えられないほど、一生分の恋をした。貴族院の長期休暇にはスナイデル領に滞在したこともあった。ローランドと領地で過ごした思い出がたくさんあるのだろう。
スナイデル公爵…ヴィゼルは、そこまで深く一人の女性を愛したことがない。還俗するまで神殿で過ごし、他の女性と出会う間もなく兄ローランドとして王女と結婚した。本来であれば妻を娶ることも、子を授かることも出来なかった身だ。だからこそ、すぐには無理でもローランドでなくヴィゼルとして接してくれる日が来ればと思っていた。
だが、マリアンネは最初からローランドでなくヴィゼルとして接していた。最初から、ローランドという名の、ただ似ているだけの別の男だった。心を許すことはなく、拒絶し続け、公式な場に出る時にだけ公爵夫人の仮面を被った。
「…さぞ滑稽でしょう。あなたを、我が子を蔑み続けたわたくしが縋った神こそ、双子の弟だったなんて」
「そのようなことは決してありません。あなたは苦しみ踠き続けた。もう良いでしょう。神々はもう苦しむなと仰っておられます。だからこそ私達の子に神託が降り、古代の歴史書が見付かったのです」
「…神の御心を推し量ることなど…叶うはずもありません」
「オルフェルトニウス神は慈愛の神です。あなたの苦しみもきっと癒して下さるでしょう」
「…それならば、早く地の底に行きたいわ」
「あなたを慕っている者が誰も居ないとでも?ルーセントやルシェリは、あなたがいないと言って探し回り泣いていたのですよ」
「…」
「あなたの手足となり動き、共にこの塔に留め置かれている側近達も…」
「…」
「あなたに従ったヴィンセントも…」
「…」
「ヴィンセントが愛する人と共にあれるようにと、あのようなことを…」
「いいえ、違います。わたくしは、あの娘にも双子の弟との婚姻という屈辱を味わわせたかっただけです」
「…まだそのようなことを。心にもないことを仰るのはおやめ下さい。何故そのように己を傷付けるのです」
「…本心ですわ」
「私は、あなたともっと語り合いたいと思っています」
「…もうお帰りを。ここにはもうおいでにならないで」
「嫌です。また来ます」
スナイデル公爵はマリアンネの手を握った。びくりと肩が揺れ、マリアンネは手を払い除けようとした。だが、公爵は放さなかった。初めての夜、媚薬の作用に苦しみながらも自分からは触れようともしなかったのに。男児が生まれた後は一切触れるなと冷たく言い放ち、それに従い、公式な場でのエスコート以外で触れ合うことはなかったのに。
「私達はもっと語り合うべきだったのです」
握った手を離した後、もう一度軽く触れ、
「また来ます」
そう言って、スナイデル公爵は部屋を後にした。




