第六十五話 花の夜
仕事から帰ったヴィンセントを交え夕食を共にした後は、スナイデル邸の離れで一泊することになった。
子供達はすっかり仲良くなり、レグルスはおにぃちゃ、おねぇちゃと一緒に寝ると言ってきかなかった。スナイデル公爵は今日はじじと一緒に寝ないのか?と尋ねていたが、きょうはいいと断られ、笑いを堪えきれない様子だった。
何度も同衾した離れの寝室だったが、リヒトは落ち着かない様子でアリシアが風呂から上がるのを待っていた。湯上がりの濡れ髪に薄手の夜着で部屋に入って来たアリシアに心臓が跳ねる。昂りを収めながら濡れた髪を風の魔法で乾かすと、アリシアは気持ち良さそうに目を閉じていた。
「長いこと馬に乗って、大丈夫だった?疲れてない?」
「まぁ、少しはな…でも、大丈夫」
「この離れにまた帰って来るとは思ってなかったわ…置いて行った物も、そのままにしてくれてたのね」
「…辛いか?」
「ううん、大丈夫。辛いことばかりじゃなかったもの。侍女のみんながいて…あなたがいたから」
「ルーセント様のこと…本当に良かったのか?」
「ええ。ルーセントはヴィンセント様とアナベル様のことを慕っているし、お二人も大切にしてくれているから、これで良いと思ってる」
それでも…やはり、思うところはあるのだろう。優しい茶色の瞳が揺らいでいる。
乾いた髪を梳る。随分と短く整えている。平民に紛れ過ごしていたアリシアとレグルスだが、今後はどうするのだろう。
「髪は伸ばさないのか」
「子供が小さいとね、短い方が楽なの。すぐ乾くし、手入れも簡単だもの。それに、仕事もあるから」
「オーグスに帰るのか?」
「ええ、家を借りてるの。仕事も休んでいるから、明日ザドキエル先生に会ったらレグルスと帰るわ」
「…」
「…あなたも来る?」
「良いのか?」
「良いに決まってるわ。親子三人で住むのにちょうど良いくらいの家にしたもの。レグルスが大きくなったら手狭になると思うけど…」
アリシアが、当たり前のように親子三人と言ってくれる。レグルスが大きくなっても、一緒にいることを考えてくれている…リヒトの青紫の目から涙が溢れた。
「…アリシア、きみと出会ったことは俺にとって奇跡だ。きみは俺に名前を…家族をくれた。夢のようだ」
「夢じゃないわ」
自然と距離が近付き、口付けを交わしながら寝台に倒れ込む。夜着を緩めながら明かりを消せば、花の香りがふわりと寝室に広がった。
翌日、黒の森にあるザドキエルの庵へと向かった。
昨日の夕食時に、アリシアは出奔した際にザドキエルに頼ったことを皆に明かした。行方不明になっているザドキエルの養女の戸籍を借りており、レグルスの戸籍もザドキエル家に属していること。オーグスの神殿で産んだことなどを明かしたのだった。アリシアには、レグルスをザドキエルに会わせたいという思いがあった。エーデルハイドの稀石をザドキエルの元に届ける前に…黒の森に向かう前に明かしておいた方が良いだろうと思ったのだ。
レグルスは今日も兄姉と一緒に遊ぶと泣いていたが、また今度遊ぼうねと宥めすかして馬に乗せた。馬に乗れば途端に機嫌が直るレグルスに、アリシアは思わず笑みが溢れた。
久し振りに訪れたザドキエルの庵は、以前と変わらず山積みの古い本の匂いがこもっていた。
「アリシア君、久しいな。この子がレグルスだな。こんにちわ」
「こんちには、おじぃちゃ」
「おお、ご挨拶も上手だな」
「レグルス、ラウールおじいちゃんだよ。先生、フローリア様のこともおばあちゃんと呼ばせて頂いています」
「戸籍上も祖父母だからそれで構わないよ。実のご祖父殿の前で恐縮だが…」
「とんでもありません、老師。お力添え頂き感謝致します」
「先日はどこまでご存知なのか分からず…アリシア君のことを黙っていて申し訳なかった」
「無理からぬことです」
エーデルハイドの稀石を手渡すリヒトをザドキエルが労う。無事に戻れて良かったと握手を交わした。
「間違いない。よく手に入れてくれた」
「国王陛下にはエーデルハイドの稀石を入手出来たことを報告済みです。古代魔法の解呪の際には立ち会いたいと仰せです」
「うむ。国王陛下が直に見届けて下さるのは有り難い。我々も改竄を疑われずに済む」
真面目な話をしている大人達の後ろで、ザドキエルの蒐集物に興味津々なのがレグルスだ。あちらこちらに手を伸ばし、それをアリシアが止めて回っていた。
「好奇心が旺盛なのは良いことだ。どうだ、レグルス。ラウールおじぃさんと一緒に魔法の研究をしないか?」
「まほう」
「そうだ。楽しいぞ」
そう言って、風の魔法でくるくると車輪が回る馬車のようなおもちゃを手渡した。
「これをあげよう。君もお父さん、伯父さんと同じで風の魔力を持っているようだな。これを上手に動かせるように頑張ってごらん」
「頂いてもよろしいのですか?」
「構わんよ。可愛い孫が遊んでくれるならそれに越したことはない」
ここに魔力を注ぐんだ、とおもちゃに取り付けられた魔石を指差し、リヒト君やってみてくれと促せば、リヒトは取り敢えず魔力を魔石に注いでみた。すると、ゆっくりと車輪が回りおもちゃが床を走り始めた。レグルスは目を輝かせて後を追っている。壁にぶつかりそうになり魔力を止めると、レグルスはリヒトにまた動かせとねだった。
「魔力の注ぎ方で左右に曲がることも出来るらしいぞ」
スナイデル公爵は、キャッキャッと喜ぶレグルスを可愛いと思いつつ、自分も祖父として孫を喜ばせたいと若干の対抗心を密かに燃やしていた。




