第六十四話 矜恃
体力が完全に回復したとは言えないものの、リヒトはスナイデル公爵と共に王都に戻ることになり、その一行にアリシアとレグルスも同行することになった。馬に子供と同乗するための馬具を取り付け、アリシアはレグルスを馬に乗せ安全のため固定した。
「おうま!おうま!」
レグルスは物怖じしない性格なのか、馬に乗せられても怖がる様子はなかった。アリシアは馬好きとあって嬉しそうに支度をしていた。スナイデル領から王都は近い。スナイデル公爵を先頭に、アリシアは巧みな馬術で颯爽と駆けて行く。リヒトはその姿を後ろから見つめつつ馬を駆った。アリシアの葬儀の際、妹どころか母親も騎馬で訪れていたことを思い出す。五日かかる道程を三日で駆け抜けて来るとは、どれだけの速度だったのか。辺境の令嬢達は逞しいものだとリヒトは思った。
王都のスナイデル邸で、アリシアは離れの侍女達と再会した。四人ともアリシアの無事を喜び、レグルスの顔を見て涙を流した。そしてアリシアと再会したのは侍女達だけではなかった。深々と頭を下げるアナベルの後ろから、自分よりも小さな男の子を珍しそうに見ているルーセント。
「はじめまして。わたしはルーセントともうします。おあいできてこうえいです」
初めましてと挨拶するルーセントに、アリシアは膝をついて目線を合わせた。
「初めまして。私はアリシアです。お会い出来て嬉しく思います。ご挨拶がとてもお上手ですね」
「ありがとうございます」
ルシェリとも挨拶を交わした後、子供達はレグルスの手を引き子供部屋で遊び始めた。二人とも、小さな男の子を前にして、お兄さん、お姉さんになれたことが嬉しいようだ。
「アナベル様、これまでルーセントを大切に育てて下さりありがとうございます」
「そんな…アリシア様、わたくし…わたくし、あなたに…」
「ルーセントから二度も母親を奪う訳にはいきません。このまま、アナベル様の元で育てて下さいませんか」
「え…で、でも…」
「産んだだけの私より、あなたの側で育てて欲しいのです。ヴィンセント様はルーセントの実の父です。あなたはその妻。何もおかしいことはありません」
「産んだだけなんて、そんな…それは、アリシア様のせいでは…」
「私のことより、ルーセントのことを思えば、こうすることが最善だと思うのです」
いずれは、自分がアナベルの息子ではないと分かる日が来るだろう。妹のルシェリとは同い年だ。双子と言えなくもないが、何かおかしいと気付くだろう。戸籍を見ることがあればすぐに分かることだ。自分の祖母と、父が犯した罪を知る日が来るだろう。だが、それを知ってもなお、自分は確かに愛されていると実感出来れば、きっと、ルーセントの心を支えてくれるだろう。
これが最善ではないかも知れない。不安はある。ルーセントとレグルスを兄弟として育てたい。自分の手で育てたいという思いは消えない。だが、幼いルーセントに自分が本当の母だと告げ、家族と離れ離れにさせることはどうしても出来なかった。アナベルはポロポロと涙を溢し、アリシアに謝ろうとした。何度も謝ろうとしているのは分かっていた。だが、アリシアはそれを遮った。
ヴィンセントにも、アナベルにも謝らせない。謝って楽になろうなどと思わないで欲しい。罪悪感を抱えながら生きると良い。それが不貞の報いだ。だが、この思いは二人に対する恨みとも違う。家族みんな、幸せでいて欲しい。
それは、アリシアにとって譲れないただ一つの矜恃だった。




