第六十三話 静かな夜
リヒトと騎士達が無事に目覚めたこともあり、ヴィンセントとアシュベルはスナイデル領を後にした。ヴィンセントは王都に、アシュベルはオーグスにあるアリシアの家を預かっているルーシィの元へと帰って行った。
目覚めたリヒトは順調に回復し、一週間程で寝台を離れ歩くようになっていた。知らせを受け駆け付けた時には氷のように冷たく、このまま目覚めないのではないかと思われたリヒトは、少し痩せてはいるが、食事も摂れている。体力もすぐに戻るだろう。レグルスと手を繋ぎ庭を散歩する様子を、アリシアはスナイデル公爵と共に眺めていた。
「アリシア、君には本当に申し訳ないことをしたにも関わらず…こうしてリヒトの看病まで…感謝してもしきれない」
「良いんです。私がしたくてしていることです。それに、お義父様は何もご存知ではなかったのですから…」
「…国王陛下には、委細を奏上しご裁断を仰いでいる」
「…私は、厳しい沙汰は望んでおりません」
「そう言ってくれるか…」
「お義母様は今どうなさっているのですか」
「マリアンネ王女殿下は、王宮の左の塔に留め置かれている」
王宮の左の塔は、罪を犯した高貴な身分の者が幽閉される塔だ。妻を王女殿下と呼ぶ義父。貴族であれば、意に沿わぬ婚姻でも受け入れねばならない。ヴィゼルはそれを受け入れた。マリアンネは王女。本来なら他国の王家に嫁ぐのが倣いだ。ローランドとの婚姻が叶わないのなら、国益を第一にすべきだった。
「兄の代わりであったとしても、王女殿下と夫婦として良い関係を築けていたなら、君を傷付けることはなかっただろう。本当に申し訳なかった」
アリシアはスナイデル公爵の立場を思うと胸が痛んだ。リヒトはヴィンセントの身代わりだったが…アリシアに優しかった。大事にしてくれた。ルーセントと離れ離れになっていたことは辛かったが、それでも…その温かさに心を慰められたのだ。だがスナイデル公爵は違う。歩み寄ろうとするも拒絶され続け、心を傷付けられてきたのだろう。
「妻とはうまくやれなかったが…孫は可愛いものだな」
レグルスはスナイデル公爵のことをおじぃちゃまと呼んで懐いている。庭を走り回るレグルスを見つめ微笑む公爵の目尻は、すっかり下がっていた。そんなスナイデル公爵の元へ駆けて来たレグルスは、公爵に抱っこをねだった。膝に乗せてもらいご満悦だ。
「おかあちゃ、ぼく、きょうはおじぃちゃまとねんねする」
「え?大丈夫?泣かない?」
「なかないよ。ちゃんとねんねするもん」
「お義父様、よろしいですか?」
「断る訳がなかろう。じじと一緒に寝よう、レグルス。だが、泣くなよ」
「だいじょぶ」
そんなやり取りを見て、家令のヨハンがハンカチで目頭を押さえていた。
夜。
アリシアと同じ寝台で二人で眠ることに、リヒトは緊張を隠せなかった。翼竜の束縛から目覚めてからも、アリシアはレグルスと一緒にリヒトと同じ寝台で休んでいた。それはリヒトを温めるためでもあった。だが今日は、レグルスがいない。
湯上がりの同じ香りと、アリシアの上気した頬。寝台に縫い留めたい衝動に駆られる。病み上がりのリヒトは自身を抑えることに必死だった。そんなリヒトに、体を温める作用のあるお茶を渡し、アリシアは隣に座った。
「…迎えに行くと言ったのに…すまない」
「ほんと、待たせ過ぎよ。待ち切れなくて、来ちゃったもの」
「…待っていてくれたのか」
「ええ、待っていたわ」
「きみを騙した俺を…」
「騙されてあげたことにしたの」
二年ってね、結構長いのよ、とアリシアは少し笑った。
「ずっと悲しんでなんかいられないの。平民として生きて行くって決めて…レグルスもいるし働かなきゃいけないし。でも一人じゃなかったから…色んな人が助けてくれたの」
リヒトは温かいお茶のカップを両手で包みながら、アリシアの話を聞いていた。
…多分ね、神殿でお世話になっていたのが良かったんだと思う。神殿には、私なんかより過酷な環境にいた女性達がたくさんいたの。でもみんなとても前向きなのよ。中には心を病んでしまった人もいたけれど…毎朝祈りを捧げるのだけど、その祝詞の奏上が美しくて…まるで歌声のようで心が洗われたわ。学校もね、みんな資格を取るっていう目標があるから、それに向かって直向きなの。生きることに一生懸命なの。悲しんでいる時間がもったいなくなっちゃって。
「…だから、あなたのことも、ヴィンセント様のことも、アナベル様のことも…お義母様のことも…もう良いの」
アリシアはリヒトにお茶を飲むよう促した。
「薬学を身に付けて良かったわ。あなたを助けられたもの」
「アリシア、ありがとう。きみの温もりがあったから目覚めることが出来たんだ」
まだ温かさの残るカップを枕元の台に置き、リヒトはアリシアを抱き締めた。抱き締めずにはいられなかった。アリシアはそれに応えた。背中に感じるアリシアの手のひら。
どちらからともなく口付けを交わし、抱き合ったまま眠りについた。二人寄り添って眠る夜は、静かに更けていった。




