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きみの頬をなでる風になれたら  作者: 朝倉いろは


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幕間 結婚の壁

「おにぃちゃ、たかいのして!」

 レグルスはすっかりアシュベルに懐いてしまった。

 七人の兄姉がいるアシュベルには甥と姪がたくさんいるため、子供の扱いが上手いのだ。

 彼らは、アシュベルのことを叔父というよりも気の良いお兄ちゃんだと思っている節がある。アシュベル自身も兄達もそうだったが、辺境に生まれた男子は幼い頃から魔獣討伐に同行させられるため、親、特に父親はとにかく厳しい。甥達にとって父親は恐ろしい存在のため、気さくなアシュベルから離れようとしない。姪達にとっては、若く引き締まった体躯で見目の良いアシュベルは憧れの存在だった。長姉が産んだ一番上の甥とは四つしか離れていないので、叔父上ではなく兄上と呼ばれている。

 兄達はアシュベルにとっても鬼としか思えない存在だった。扱かれて死にかけたのは一度や二度ではない。一番怖い祖父は、何故か曾孫には甘かった。眼光で人を殺すあの目が、曾孫にはほんわり柔らかくなるのだ。それはアシュベルにとって未だに解せないことだった。

 そういう訳で、アリシアの息子レグルスともすぐに心を通わせ、こうして肩車をねだられている。

 ルーシィはアリシアに料理を習っている。アリシアと再会した日には、身を引こうと泣いていたルーシィだが、すっかり打ち解けたようだ。散々アリシアの長所や思い出を聞かされていたルーシィは、元々アリシアのことが好きだった。もう結婚していて、しかも亡くなったアリシアを嫌う理由もなかった。だが、実際に生きていて、初めて会った時、身分も…可愛らしさも…自分は敵わないと思ってしまったのだ。

 好きな女性がいることを、アシュベルは祖父にだけ相談していた。相手が平民だということも。祖父は難しい顔をしていたが、稽古や戦闘時の厳しい顔ではなく、どうにかしてやりたいと孫を思う顔だった。祖父が一番、失恋した自分に寄り添ってくれた。アリシアの訃報が届いた時に一番心配してくれたのは祖父だった。曾孫に甘いが、アシュベルにも十分甘かった。

 公爵家と同等の身分である辺境伯家子息と、平民の娘の恋。舞台にすれば民衆受けしそうな夢物語だ。だが現実は厳しい。アシュベルは継ぐべき爵位のない五男坊だ。愛しい女は妾にし、後ろ盾となれる令嬢を娶るか、然るべき家に婿入りすべきだと他の家族は言うだろう。アリシアに…神託が降りさえしなければ、フィデール子爵家に婿入りし跡を継げたのに…アシュベルの家族は皆同じ意見だった。フィデール子爵は忠義に厚い古参の家臣、アリシアは武家の妻として申し分ない娘だった。

 だが、それは叶わない。

 アリシアに長年想いを寄せていたアシュベルが、見染めた娘だ。平民であっても気立の良い娘なのだろう。いずれかの養女とし貴族籍を得てからの婚姻なら、出来なくもないだろう。祖父は密かに動き始めた。


「ただいま〜」

「おかあちゃ、おねぇちゃ!ただま!」

 調理の間、散歩に出ていたアシュベルとレグルスが帰って来た。

「お!美味そうだな!」

 出来上がった料理をテーブルに並べるルーシィは、少し照れたようにして笑った。

「野菜の皮剥きはまだ難しそうだけど、オーブンの薪の組み方はもう大丈夫ね。アシュベルのお嫁さんになるから、野営と炊き出しの練習もしなくちゃ」

「これから寒くなるから、初心者には冬の野営はきついな。それは春にやろう。レグルス、お前も練習するんだぞ。外でお泊まりだ!」

 外でお泊まりと聞いたレグルスはきゃっきゃっと手を叩いて喜んだ。

「それはそうと、なんか髪の毛が光ってるな?」

「ルーシィは金の髪がとっても綺麗だから、シチューを煮込んでる間に私が作ったオイルで梳かしたのよ。髪もこれから伸ばすのよね?」

 貴族女性の殆どは腰の辺りまで髪を伸ばしている。辺境でも同様だ。ルーシィは仕事柄あまり日に当たっておらず、髪や体もそれなりに手入れをしていたため、平民女性と思えないほど滑らかだ。これから学校に通い所作を身につければ、元々の美貌をより引き立てるだろう。

「これ以上綺麗になったら辺境に連れて行けねえわ…すぐ死ぬと思われるぞ」

「え、なんで?」

「箱入り娘はすぐ死ぬからな」

「辺境に淑女はいないってみんな言ってるもんね」

「あたし淑女じゃないから死なないよ!」


 伊達に苦労してないんだから、とルーシィは笑っている。

 苦労を笑えるルーシィが弱いわけないわ。きっと大丈夫ね、とアリシアも笑った。

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