第五十四話 それぞれの仕事
地の底に堕とされた弟神は、苛烈で残虐な神であったという。死者の魂を慰め、恨み辛みを抱えて傷付いた心を癒し、安らかな眠りに導くとされる安寧神オルフェルトニウスと同一の神であるとは、俄に信じがたかった。それは、研究者達も同様に感じていた。それ故、公にする前に王宮にある全ての書庫に納められた歴史書を確認する作業が行われている。今までの神話や歴史の解釈、先入観に囚われず読み直すことは骨の折れる作業だったが、新しい発見は研究者達にとって心躍る出来事だった。
本だけでなく、今日まで残っている日記、手紙など、必要と思われる文書の類は全て読み直されている。アルメニア王国の国民は、貴賤問わず文章を書くことが好きな民族だった。その為、個人が残した日記なども過去の時事や文化風習を知る上で貴重な資料となっていた。
地下の書庫には古い一次資料が保管されており重点的に調べられているが、経年劣化が進んでいるものが多く、内容の吟味には時間を要していた。今回忘れられていた文献が見付かったのも、地下書庫の蔵書を処分することが検討されたのがきっかけだった。確認もなしに貴重な一次資料が処分されることに危機感を覚えた歴史家や司書達の反発があり、書物の破損箇所の修復や、目録作成、整理等を行う中で見付かったのだ。それからは、関連文献が広く調査されている。
スナイデル公爵は、この作業の責任者として指揮を執っていた。元々、王宮の書庫や宝物庫などの管理を任されていて、適任とされたことと、自身が双子の弟であるためだ。公表こそしていないが、妻マリアンネ王女の兄であるアルメニア国王は当然事実を知っている。そのため、責任者に任命されたのだ。この先の双子の人生に大きな影響を与えることが予想される研究だからこそ、双子の手で行われるべきだ、との考えだった。
ヴィンセントは父が王宮で任されている仕事がどんなものか、知らなかった。それほど疎遠だったのだ。風の流れを読むことに長けたヴィンセントは、気象情報を集め記録し、日照りや豪雨、雪害などの予兆が見られる場合には該当地域に通達するなどの役目を担っていた。
スナイデル公爵とヴィンセントが王都に戻る前に、領内の役所でリヒトの出生届が出され、スナイデル家の戸籍に記録された。
リヒト・スナイデル
真新しい身分証を手にしたリヒトは、じんわりとした喜びを感じた。ヴィンセントとしてではなく、リヒト・スナイデル本人として初めて太陽の下を堂々と歩けたのだ。今までも役目以外で町に出たことはあったが、どうしても他人の目が気になり、身を隠すようにして歩いていた。
スナイデル領の使用人や執務を補佐する家臣の貴族達、騎士達は皆、スナイデル公爵の人柄に惹かれて集まった者達で、マリアンネの息がかかった者は一人もいない。そのため、急に現れた公爵のもう一人の息子にも敬意を表してくれた。リヒトは双子の弟ではあったが、それでも主の息子だ。表立って拒否感を表す者はいなかった。
リヒトは、公爵の補佐役と共に南東部の治水設備の修復作業にあたった。仕事を教えてもらえることは、息子として認められた証でもあった。同時に、風を飛ばしアリシアの気配を探った。リヒトの風が捜索出来る範囲はスナイデル領の半分程の広さに及ぶ。領南東部の町にいるリヒトの捜索の風は王都にまで届いていた。それでも、アリシアの気配は感じ取れなかった。
…もう王都は離れたのだろうな…
リヒトはアリシアを思った。一人でも探しに行きたいが、多忙な公爵の助けにもなりたかった。治水設備の修復は雪解け水が川に流れ込む春までには終わらせたいと、補佐役始め工夫達も寒い中作業をしている。特に、脆くなっている堤防が決壊すれば被害は甚大なものとなるだろう。突然現れた、しかも双子の弟である自分を受け入れてくれた者達だ。寒さも共に味わい、信頼を得たい。
今年の冬は雪が多いようだ。王宮の気象観測所で風を読んでいたヴィンセントは、水や氷などの魔力をもつ観測員達と共に詳細な観測を行い、該当地域へ注意を促す伝達を行った。




