第五十三話 父と息子達③
リヒトには戸籍がないが、そのこと自体は比較的早く解消出来そうだった。双子が生まれた事実を隠したい夫婦は、昔から少なからずいた。そのため、弟の出生届を出さず、神殿に預けられないことも、実は珍しいことではなかった。貧しい平民だと、神殿に預ける際に必要な寄付金を捻出出来ず、生まれてすぐに捨てられたり、弟を亡き者にすることもあった。福祉事業の一環として、双子の弟の出生届は、生まれて時間が経っていても特に咎められることもなく受理され、戸籍に加えられるという。
リヒトは生まれてすぐにスナイデル領の神殿に預けたことにすれば良いと、公爵は言った。だが、すでにアルメニア王国全土に知れ渡っているアリシアの逝去を、誤報だとするのはかなり無理がある。大々的ではなくとも神官を呼び葬儀を行い、墓石もある。更に、埋められた遺体の出所も調べられることになろう。病で亡くなった平民の娘だと言うが、そうでなければ…この上は、アリシアに新たな戸籍を用意した方が穏やかに暮らせるだろう。
一方、リヒトがヴィンセントの代わりにアリシアと夫婦生活を送っていたこと、その結果アリシアが父親の違う子を身籠ったことについては、スナイデル公爵は不快感を露わにした。それがマリアンネ王女の差金だろうが、何であろうが、兄弟で同じ女性を身籠らせるとは…それは、ヴィンセントもリヒトも糾弾されて然るべきだと理解していた。
だが、リヒトはアリシアに恋をした。愛してしまった。自分はどうなっても構わない、アリシアが静かに平穏に暮らせるようにしてやりたいと、父スナイデル公爵に訴えた。
フィデール子爵家族にも、アリシアが存命であることを早く伝えたかったが、アリシアの所在が不明のままでは伝えようもない。生きている、だが居場所は知らない、これでは不誠実だ。格上の公爵家からの謝罪を拒否出来る下位貴族はいない。伝えたまま、受け入れるだろう。内心腑が煮えくり返っていても、平伏して受け入れるだろう。相手は王女を妻に持つ筆頭公爵、そして王位継承権を持つ元夫なのだ。王女、王族に瑕疵は付けられない。アリシアの死を偽装させたのはマリアンネ王女だ。フィデール子爵はそれすら許さざるを得ないのだ。だからこそ、高位貴族である自らの行いは品行方正であるべきだ。ヴィンセントは不誠実だった自分を恥じた。王位継承権は返上し、公爵家はアリシアの息子ルーセントを跡目とし、自分は平民になっても良い、と。それは、国王陛下からヴィンセントに対し罰として与えられるものだと、公爵は言った。そしてその方が、フィデール子爵家族も納得しやすいだろう、と。受け入れざるを得ないことに変わりはなくとも、罰を受けるのと受けないのとでは雲泥の差だ。王妹であるマリアンネ王女殿下を裁くことは、国王陛下にしか出来ない。だが、それはまだ時期ではないように思う。
まずは、マリアンネ王女に知られぬよう事を進める。リヒトの戸籍、アリシアの行方。リヒトが神殿に預けられていたことに信憑性を持たせるためにも、神徒の作法を身に付ける。これは公爵が直に教えることが出来る。ヴィンセントは王都に戻り、通常の生活を送りながら、母や騎士達の動向を監視し、連絡を取り合うことになった。
そしてもう一つ、スナイデル公爵が歴史家達と取り組んでいる研究があった。双子の弟の名誉が回復するも知れない発見があったのだ。最近王宮の地下で、忘れられていた古い書物が見付かった。アルメニア古語で書かれており、所々虫に喰われたり湿気で滲んだ箇所があり読みにくいが、アルメニア王国の最高神の一柱、男神アルスラントニウスと、その双子の弟神…地の底に堕とされた弟神が和解し、名を取り戻したことが記されていたのだ。
弟神の名はオルフェルトニウス。
夫婦神と並び、アルメニア王国で信仰を集める死者に安寧をもたらす神の名だった。




