第四十九話 兄と弟
スナイデル領は王都に近く、馬の足で一日程走れば領内に入る。アリシアが逃げたノルディア領とは真逆の方向に位置していた。ヴィンセントもリヒトも剣術や風魔法の腕には覚えがあったが、流石に数名の騎士が護衛に付くと言って譲らなかった。皆、リヒトの姿を見て驚愕したようだったが、表情を変えることはなかった。見ざる言わざる聞かざるに徹するようだ。
道中は馬の呼吸と蹄の音だけが響いている。空気は冷たく、吐く息は白い。ヴィンセントの少し後ろを駆けるリヒトはアリシアのことを思った。一人で行かせて良かったものかと今さらながら思う。だが、自分がアリシアを騙していたことは事実だ。弄ばれたと嫌悪されても、当然だ。一緒になど居たくないと思われても当然だ。許してくれるはずもない…俺の子など、要らないと思うかも知れない…アリシアがどう思っても、受け入れなくてはならない。アリシア…今夜の寝床が寒くなければ良い…ただ、無事でいて欲しい。
…別れの間際、口付けてくれた。それだけが、リヒトの希望だった。
先触れもなく訪れたヴィンセントに、門番は驚きつつも敬礼し門を開くと、すぐに家令が出迎えてくれた。
「突然すまないな。急ぎ父上に目通りしたい」
「若様、王都からおいで下さり恐縮ですが、公爵閣下はご不在でございます。南東部の治水設備が老朽化しており…」
と、居間へと案内しながらリヒトに気付き足が止まった。
「な、え…?こちらの方は一体…」
「驚くのも無理はない。リヒトという。私の弟だ」
「弟君…弟君ですと…?」
滅多なことでは動揺しない家令だったが、流石に言葉が出ないようだ。
「詳しいことは父上に話す。いつ頃戻られる予定か」
「は、はい…五日後の予定でございます」
「五日後か…」
ヴィンセントはソファに腰掛け、頭を掻いた。
「リヒト、お前も座れ。従者じゃないんだ」
今まで二人揃って人前に出たことのないリヒトは、居心地が悪そうにしながらヴィンセントの正面に座った。ヴィンセントの影として動くことも、影として動かすことも、当たり前として受け入れ生きてきた二人だ。そう育てられてきたからだ。双子の弟は忌み嫌われ、神殿で神に仕え生涯を終えるのが一般的なアルメニア王国で、その枠から外れていることは分かっていたが、深く考えることはなかった。
「こうして見ると、本当にそっくりだな」
ヴィンセントの影であったリヒトだ。髪型も同じように整えている。着ている服は共有、腰に帯びた剣の柄や鞘も同じ意匠だ。
お茶を用意し部屋に入って来た家令は、二人を見比べ、若様、と声を掛けた。
「私はこっちだ」
「長年スナイデル家にお仕えして参りましたが、今日ほど驚いたことはございません」
「…母上のご意向でな」
「奥様…マリアンネ王女殿下の…」
「探したい人がいてな。父上が戻られるまで滞在したい」
「かしこまりました。すぐにお部屋をご用意致します」
そう言って、家令は部屋を後にした。
「…アリシアはどこに行ったのだろうな…誰か頼りになる者が近くにいるのだろうか…貴族院で親密だったのは北領の面々だったが…」
「ヴィンセント様…アリシアの魔力はか細いのですが、ほのかに花のような香りがするのです…風を使って香りを辿ろうと試みたのですが、何度やってもアリシアの気配を感じ取れません」
「やはりお前はアリシアの魔力を感じ取れるのだな。ルーセントも、アリシアの魔力を感じ取っていたようだ。だが、私には無理だった」
「離れの庭でアリシアが過ごしていた時、ふっと気配が感じられなくなることがしばしばありました。恐らく、彼女は気配を断つのが上手いのです」
「そういえば、アリシアは貴族院でも目立たないようにしていたな…そういった習慣が身に付いているのだろう。辺境は魔獣もよく出る地域だ。身を守る術なのかも知れん…」
「公爵閣下が戻られるまで、私は近隣を探したいと思います」
「私もそうしよう。二人別々に行動すれば、訝しむ目も少ないだろう。ただ、この髪と瞳は目立つ…色付きの眼鏡は持っているな?」
「はい」
二人が持っているのは、同じ意匠で玉が黄緑のような色をした眼鏡だ。ロイヤルブルーの瞳とは補色になり、瞳の色を誤魔化すものだ。
コンコンと扉を叩く音がして、家令が入って来た。
「お部屋の用意が整いました。後ほどそれぞれのお部屋に軽食をお持ち致します」
「助かる。急いでくれたのだろう。礼を言う」
窓の外は日が落ちてすっかり暗くなっている。日が落ちれば気温も下がり、雪は降っていないものの身を切る寒さだ。
ヴィンセントとリヒトは布団に潜り込んだが、目を瞑っても眠気が訪れないまま夜明けを迎えた。




