第三十九話 追跡の手
今日も、オーグス神殿には元気な赤子の泣き声が響いている。
アリシアの第二子は、レグルスと名付けられた。アリシアの瞳や髪の色よりも淡い、ミルクティーのような柔らかい色の瞳と髪を持って生まれたことに、アリシアはホッと胸を撫で下ろした。レグルスがロイヤルブルーの瞳を持って生まれていたなら、あらぬ憶測を呼ぶところだった。平民達が見て気付かなくとも、どこに貴族の目があるか分からない。見る人が見れば、分かってしまう。そんな瞳の色なのだ。
レグルスが泣けば、あらあら、どうしたのと、代わる代わる抱きに来てくれる。神殿に住まう人々に可愛がられて、レグルスはすくすくと育っていた。
産後しばらくしてから、エラは小さなお菓子の包みを持って会いに来てくれた。その後は、一週間に一度はレグルスを抱きに来てくれ、たわいないお喋りをしてくれる。薬学科の学友達も出産祝いにと、薬学科らしく茶葉の詰合せを贈ってくれた。ルーセントを産んだ時は、お祝いは届いても、離れ離れにされ喜びはなかった。みんなに祝われることが、こんなにも嬉しく有難いとは。
「レグルスまで戸籍を使わせて頂いて…有難うございます」
フローリアと二人になったことを確認し、アリシアは頭を下げた。
「本当の孫のようで嬉しいわ。神殿のみんなも、あなたは私の娘だと思っているし、レグルスが生まれてから神殿が明るくなったわ」
「ザドキエル先生にお手紙を書こうと思うのですが、大丈夫でしょうか」
「ええ、リーシュの名で書くのでしょう?問題ないと思うわ。私も時々手紙を書いているから、それに同封しましょう」
アリシアは、必修科目と選択科目の単位をある程度取得し、出産、育児のため休学していることや、無事に生まれた子にレグルスと名付けたことなどを記した。
我が子と共に過ごす日々は、毎日が新しい驚きに満ちていた。ルーセントとは共に体験出来なかったことが、悔しくて堪らない。ただただ、健やかであって欲しい。早く迎えに行きたい…たとえ、母だと思われなくても…アナベル様を母と慕うならそれで良い。アナベル様の元で幸せなら、それで良い。元気な顔が見たいと思う。
そんなことを思っていると、コンコンと控えめに戸を叩く音がして神殿に身を寄せる娘が入って来た。
「リーシュ、多分リーシュを探してる人が来たの。なんか偉そうな騎士が三人、最近ここで子供が生まれたそうだなって。母親と子供を出せって言ってるの。探してる娘かも知れないって」
「…えっ!?」
「それで、レグルスはトーイおばさんが抱っこしてたから騎士にもう見付かっちゃったんだけど、私がリーシュの代わりになるから急いで隠れて」
知らせに来てくれたソニアは、リーシュと同い年で、茶色の髪と黒い目をしている。
「顔が違えばすぐに見逃してくれると思うわ。いくら騎士でも、神殿で乱暴なことはしないと思う。神徒の皆さんもいるし」
そう言って、祭壇の方へ駆けて行った。アリシアは擬態の魔法をかけ、後を追った。
レグルスとソニアは、騎士達の検分を受けていた。騎士の一人は、マリアンネの護衛騎士セドリックだった。アリシアの鼓動は速くなるが、心を乱さぬよう努めた。
「これは私の娘、リーシュです。夫となる者に裏切られ、此方を頼って来たのです」
フローリアの言葉に、胸がチクリと痛む。
「…そうか、それは難儀なことだったな。探していた娘ではないようだ。此処を頼っている者達は、これで全てか」
「はい、全てでございます」
「神殿には居住区画があるはずだが、そこを検分したい。可能か?」
「はい、どうぞご確認下さい」
治安を預かる騎士の申し出を断ることは出来ない。アリシアはいよいよ心を無にし空気となった。騎士達は手分けして各部屋を確認していた。アリシアの部屋にはスナイデル公爵家やフィデール子爵家を匂わせる物は何もないはずだ。家族の写し絵は鞄の二重底の下に隠しているし、衣服も町娘を装うためオーグスの町で買い替えたものばかり。持って来た衣服と靴は全て捨てた。残った貴金属や金銭は神殿の金庫に預けている。仮にセドリックが確認したとしても問題はないだろう。
検分が終わった騎士達はしばらく三人で話をしていたが、特に怪しいものはないと判断したようだ。
「騒がせたな」
セドリックはじっとレグルスを見つめ、何か思うところがありそうな顔をしながら、他の騎士達と共に出て行った。
これで引き下がってくれれば良いが…アリシアは部屋に戻りソニアを待った。
「うまくいったわよ、リーシュ」
「ありがとう、ソニア」
「あいつらまた来るかも知れないから、あまり表に来ない方が良いかも知れないわ」
「そうね、しばらく用心するわ」
「あなたって本当に訳ありなのね。レグルスって本当は高貴な方のご落胤なんじゃない?」
「まさか!夫がろくでなしだったのよ」
そう言ってしまうと、少しだけ胸のつかえが取れるような感じがした。そうだ、ヴィンセント様なんか、裏切り者のろくでなしだわ!
アリシアはソニアと愚痴を溢し合いながら、笑っていた。笑いながらも、裏切られた悲しみはまだ癒えそうになかった。




