幕間 健気なアナベル
ヴィンセント・スナイデルの神託の妻アリシアの喪が明けてほどなく、侯爵令嬢アナベル・カーマインが新たに妻として迎えられた。アナベルはヴィンセントの恋人だったが、神の意向を受け一旦は身を引いたものの、心の底からヴィンセントを愛していたが故に、妾でも良いから側に居たいと願ったという。侯爵令嬢が妾に甘んじ、王都郊外の別邸に置かれても不平不満を言わずに耐え、愛する人の訪いを待っていたとは…何と健気な令嬢だ、神託によって裂かれた純愛だ、と世間はアナベルを持て囃した。
そんな世間の噂を、苦虫を噛み殺す顔で聞いていたのはアシュベルだ。久し振りにアリシアの墓参りをした後立ち寄った酒場で、平民達は好き勝手に話を盛っているようだ。娯楽扱いしやがって、殺すぞ。何が健気な令嬢だ、純愛だと?ただの不貞だろ。アリシアが二人の仲を裂いた悪女だとでも言うのか。喪が明けたばかりだというのに早速再婚しやがって、クズじゃねぇか。んで、もう子供も居やがるとは。アリシアの子と同じ時期に生まれてるじゃねぇか。とんでもねぇ話だ。全く、どっちが悪女だよ。一番のクズはヴィンセントの野郎だろ…アリシアを娶っておきながら、アナベルとも…汚ねぇ野郎だ。アリシアはこの事を知っていたのか?いや、あのお人好しが知っている筈がない。アリシアを騙して、隠れてコソコソと…クソが、今から殺しに行ってやろうか。
アシュベルは苛立ちが募り、浴びるように酒を飲んだ。
「それで、王都から離れたこんな場末の娼館まで来てくれたっての?そんなにへべれけになって、よく馬から落ちなかったわね」
気が付けば馴染みの娼婦に抱かれ撫でられていた。旦那が初めてうちに来た時も酔っ払ってたわね、と笑っている。
「あたしは旦那からアリシア様の話を散々聞いてるから、とても美談とは思えないわ。とんだクズ二人だよ!」
そうだ、その通り。
「優しくて可愛いアリシア様を裏切って傷付けるなんてね。酷いよね。死んでるからもう本人にはバレようがないし、好き勝手に話を盛れるもの」
まさしくその通り。
「実家は格下だし、何も言えないだろうから辛いよね」
フィデール子爵家族を思うと、腑が煮え繰り返りそうだ。
娼婦相手に泣き言を言う俺も大概だと思うが、馴染みの娼婦ルーシィにはつい胸の内を吐き出してしまう。酒を飲んだ俺は、ただの八人兄弟の末っ子なのだ。
「お偉い騎士様が、あたし相手に愚痴を溢してくれるなんて嬉しい。旦那は強いんでしょ?いつでも縊れるじゃない、そんなクズ共」
ヴィンセントの風魔法はなかなかの威力だったが、それだけだ。常に前線で命を張っている俺の敵ではない。剣技も俺の方が上だしな。
「あたしはアリシア様の代わりにはなれないけど、ここに来た時くらい愚痴ってゆっくりしてね。旦那が来てくれると一晩買ってくれるし金払いも良いから、借金も早く返せそうだし」
ルーシィは親の借金の形として娼館に売られた娘だ。九歳の時に売られ雑用をこなし、先輩娼婦達の世話を通じて仕事を仕込まれた後、十五の頃から客を取っているという。俺と出会った頃がまさに客を取り始めたばかりで、上客がまだおらず、客を探して夜の街に出たところ、酔ってフラフラの俺を捕まえたという訳だ。…アナベルが健気だと?何が健気だよ。健気と言うなら、アナベルよりルーシィの方だ。クズな親に売られても体を張って生きている。哀れとも思うが、そのルーシィに世話になっている俺だ。使い道のない金を多めに渡すくらいの事しか出来ない。
年季が明ければ親と縁を切り、平民向けの学校に通いたいと言う。気立の良い娘だ。どこででもやっていけるだろう。
「それまではここに通ってあたしを買ってね、旦那」
おう、いくらでも買ってやるよ。ここでは、俺はただの客で金蔓だ。それで良い。




