第三十二話 影⑤
最近のアリシアは、植物図鑑を片手に庭で過ごしている事が多い。ルーセント様と会った後しばらくは苦しそうに泣いていたが、心を落ち着けようと努めているように見える…まるで、花になったようだと思える時がある。儚く消えてしまいそうで、つい彼女を求めてしまう。抱き締めて応えてくれた時には喜びを感じる。俺は一体どうしてしまったんだ。アリシアに嘘を吐くことが苦しい。俺を見て欲しい。
アリシアに、好きだと言ってしまったのは全くの無意識だった。ハッと気付いた時は後の祭りだ。アリシアはそれに応えてくれようとした。だが、アリシアが俺を「ヴィンセント様」と呼んだ時、それ以上聞きたくないと思い唇を塞いだ。俺はヴィンセント様じゃない。俺をヴィンセント様と呼ばないで欲しい。
…アリシア、俺を見付けてくれ…
離れを訪れると、侍女達がアリシアの部屋の前で心配そうに様子を窺っていた。
「アリシアの体調が悪いと連絡があったが…大丈夫そうかい。遅くなって悪かった」
侍女達は俺に頭を下げた後顔を見合わせて、若様此方へ…と俺を客間に通した。
ソファに座ればサティが俺の前に立った。
「本来であれば、私共の口から申し上げることではないのですが…若奥様が少し…取り乱されておいでなので…若奥様が懐妊されました」
「…は?」
何だと…?一体どういうことだ…?あの薬茶が効かなかったのか?
動揺を隠し平静を装う。
「恐らく、ルーセント様のことがありますので…ご不安なのだと…」
「…母上には知らせたか?」
「…恐らくは…」
「恐らくとはどういうことだ?何故、私よりも先に母上に知らせるのだ!」
「申し訳ございません…ですが、仕方がなかったのです。若奥様はお庭でお倒れになり、本邸の侍医を呼びました。その医師の見立てですので、奥様に伝わるのは必定かと…」
「若様、私共は若奥様とお子様をお守りしたいと思っております。ですが…奥様に逆らうことも難しい立場なのです」
そうだ…侍女達の立場も分かる。俺もそうだ。
「分かった。責めるような事を言って悪かったな。アリシアのところへ行ってみよう」
アリシアの部屋の扉を叩くも返事はない。中に入ると、アリシアは布団に包まり泣いていた。
「アリシア、聞いたよ。二人目を懐妊したんだって?」
「…申し訳ありません…申し訳ありません…」
「何故謝るんだ?アリシア、顔を見せてくれ」
布団に包まったまま、下を向きふるふると震えているアリシア。顔だけ上を向かせれば、涙でぐしゃぐしゃの顔を歪め、両の目から大粒の涙を溢れさせた。
「何故そんなに泣くんだ。きっと、アリシアの手で育てられるようにするから、そんなに泣くな」
「でも…ヴィンセント様は二人目をお望みではないのでしょう」
その言葉に、心臓が跳ねる。…何か、知っているのか?あの薬茶に気付いたのだろうか。
「何故そんなことを?嬉しいに決まってるじゃないか。大丈夫だ、アリシア。きみの子は私が守るよ。母上の好きにさせない。いつかルーセントもきみの手に取り戻すから。侍女達も味方だよ、だから、落ち着いてくれ」
涙を拭い、抱き締めた。この腕の中に、俺の子もいるのか…俺の子が…
額に、頬にキスを落とす。アリシア、きみは俺に…家族をくれるのか。
控えめなノックの後、扉が開いた。
「若様、奥様がお呼びでございます」
「…分かった」
ビクンと跳ねたように震えるアリシア。不安そうに俺の顔を見ている。大丈夫だ、アリシア。
きみと、きみと俺の子は必ず守る。




