第三十話 影③
明日はマリアンネ様がルーセント様を伴い離れを訪れるという。アリシアと侍女達は準備で大童だ。
アリシアはルーセント様のために離乳食を作ろうとしている。一才のルーセント様は乳歯が数本生えたところだ。お食事ではなくお茶の時間だから、ルーセントもデザートを一緒に食べられる方が良いわね、など侍女達と和かに話しながら、林檎を煮詰めていた。甘い香りが厨房に漂う。
「若奥様は料理もお出来になるのですね」
と、侍女のルリが興味深そうにアリシアに尋ねた。
確かに、アリシアは子爵位と言えど貴族の令嬢だ。料理が出来なくとも不自然ではない。
「辺境はいつ何時有事が起こるか分からないでしょう。だから幼い頃から家事全般を仕込まれるのよ。辺境伯家の御息女だって料理出来るわよ。でないと、兵士達や領民達に炊き出しも出来ないでしょ」
「まぁ、そうなのですね。形崩れもしていませんし、とてもお上手です」
「これは林檎を煮詰めるだけだし、料理とも呼べないけれど…大人にはパイを焼こうかしら」
「若奥様、私パイ大好きです」
「あなた達の分も焼くわよ。明日のお茶会が楽しみね」
四人の侍女は皆、マリアンネ様から差し向けられた者達だが、随分と打ち解けているようだ。月に何度か呼ばれて近況の報告をさせられているが、本邸に行こうとしたり、塀の外に出ようとしない限りはアリシアを尊重しているようだ。辺境の武家育ち故か足が速く、産後すぐの頃は隙を見ては駆け出すので手を焼いていた。そうやって無理をするせいで出血も多く、貧血になって倒れたりもした。
今日のアリシアは笑顔が多い。我が子に会えるのが楽しみで仕方ないようだ。一年も会っていないのに、我が子と思えるものだろうか。俺はルーセント様と接したことがないため、明日はヴィンセント様御本人が同席するという。
「美味しそうに焼けたね」
オーブンから焼き立てのパイを取り出したアリシアに声を掛けると、花のような笑顔で俺にパイを見せてくれた。
…ヴィンセント様とアリシアも二年近く顔を合わせていないが…この笑顔をヴィンセント様にも向けるのだろうか…
…会わせたくない…
俺にだけ笑いかけて欲しい。
心に湧き上がったこの感情を何と呼ぶのか、俺は知らない。




