第二十八話 影①
マリアンネ様に呼ばれ、ヴィンセント様の妻を籠絡し虜にせよ、と告げられた俺は、ヴィンセント様の服と香水を身に纏いアリシアの部屋へ向かった。
…哀れな娘だ
ランプに照らされた廊下を歩きながら、件の娘の事を思う。
神託に従い結婚し、一児を懐妊した途端に、マリアンネ様はアリシアからヴィンセント様を遠ざけた。ヴィンセント様はアリシアの元に通いながら、別邸にアナベル様を住まわせている。これから先はアリシアを訪うことはないだろう。今頃はアナベル様と睦み合っているのだろうか。平民に多い茶色い髪に茶色い目をしているというアリシア。マリアンネ様のお眼鏡に適うとは思えない。子爵令嬢という身分も気に入らないはずだ。生まれる子供がロイヤルブルーの瞳でなければ、マリアンネ様が孫を認めることはないだろう。その子を産んだ娘も…考えただけで吐き気がする。
…俺はこの目が嫌いだ。この姿も…
暗い窓に映る自分の姿を嫌悪した。
「おかえりなさいませ」
侍女と共に迎えてくれたアリシア。その言葉に微笑みで返す。
「ただいま、アリシア。悪阻はどうだい?」
「今日は幾分軽く、起き上がることが出来ました」
「そうかい、無理をしてはいけないよ。悪阻には酸味のあるものが良いと聞いて、果物を持って来たが食べられそうかい」
「ありがとうございます。食べられそうです」
実家から伴った年老いた侍女はマリアンネ様の命令で解任させられ帰郷した。代わりに付けられた若い侍女に果物を渡す。老婆はせめてお産が終わるまではと懇願していたが叶えられなかった。初めての出産で嫁ぎ先に一人とは、さぞ心細いことだろう。そこに付け込めというのが、マリアンネ様の狙いだ。
アリシアの手を引き、長椅子に向かう。二人で腰掛けアリシアの腹に手を当てる。
「まだ動きませんよ」
と笑うアリシア。朗らかな娘だと思う。しかし顔が少し青い。侍女は果物とワイン、アリシアには炭酸水を置いて下がって行った。俺が偽物だとは気付いていないようだ。
「顔色が悪いね。大丈夫かい」
アリシアは頷く。果物を美味しそうに食べる姿を見れば、初めて会うというのに何故かホッとした。貴族でありながら、こんなにも魔力がか細いとは。それ故に侮られたこともあっただろうことは、想像に難くない。だが彼女の魔力は弱いが心地良い。花開く春の陽だまりのようにも感じる。ヴィンセント様も同じように感じたのだろうか。
「そういえば、いつも通り香水を纏ってしまっていたが、香りはきつくないかい。悪阻の時は匂いに敏感になるとも聞くが」
「はい、大丈夫です。私、この香りが好きなのです」
アリシアは俺を見て笑った。
花のような娘だ。
真実など何も知らずに居て欲しいと、目の前にいる娘の幸せを願った。この娘を騙し手折るのは他でもない、俺だというのに。




