第二十四話 誰そ彼
扉を叩く音がしたが、応える気分ではない。アリシアは布団に包まり、泣きじゃくっていた。誰にも会いたくない、誰も入って来ないで欲しい。そうして、ふわりと香ったのはヴィンセントの香水だ。
「アリシア、聞いたよ。二人目を懐妊したんだって?」
優しい声だが、アリシアの胸に鋭く刺さった。涙が溢れて来る。アリシアは布団に包まったまま、ヴィンセントに詫びた。
「…申し訳ありません…申し訳ありません…」
「何故謝るんだ?アリシア、顔を見せてくれ」
…見てしまったのです。本邸のお庭で、アナベル様とお子様と…幸せそうに過ごしているところを…言葉には出せない。それは、アリシアがヴィンセントと、ルーセントと、三人でそうありたいと思い描いていた姿だった。
ヴィンセントの少しかさついた手のひらがアリシアの頬を包み、上を向かされる。目が合えば大粒の涙が溢れた。
「何故そんなに泣くんだ。きっと、アリシアの手で育てられるようにするから、そんなに泣くな」
…ああ、ヴィンセント様は、またお義母様に赤子を奪われるのを怖がって泣いていると思っているのね…
「でも…ヴィンセント様は二人目をお望みではないのでしょう」
その言葉に、ヴィンセントの肩がピクリと揺れた。
「何故そんなことを?嬉しいに決まってるじゃないか。大丈夫だ、アリシア。きみの子は私が守るよ。母上の好きにさせない。いつかルーセントもきみの手に取り戻すから。侍女達も味方だよ、だから、落ち着いてくれ」
そうして、ヴィンセントはアリシアを抱き締めキスをした。いつもなら、心が安らぐヴィンセントの香りが、アリシアをより苦しめた。突き飛ばして離れたいのに、出来ない。何故…好きになってしまったの…こんなに辛いなら、好きになんてなりたくなかった。
控えめなノックの後、扉が開き侍女が声を掛ける。
「若様、奥様がお呼びでございます」
「…分かった」
不安気に見上げるアリシアの額にキスを落とし、心配するなと言って出て行くヴィンセントを、アリシアは擬人と擬態の魔法を使い追い掛けた。
マリアンネの部屋は薄暗く、表情がよく見えなかった。しかし、苛々したように扇で手を打っている。マリアンネの前で、ヴィンセントは膝をついていた。
「どういうことなの?アリシアが懐妊したなどと…悪い冗談はよしてちょうだい。お前には避妊の薬茶を持たせたはずです。飲ませていなかったとは言わせませんよ」
「…は、あの薬茶は体力回復の働きがあるとアリシアにも侍女達にも伝え、毎日飲むよう…」
「…つまり、お前が直接飲ませていた訳ではないのね」
「…申し訳ありません」
「全く、言われたことも出来ないなんて使えないわね。出来たものは仕方ないわ。お前が始末しなさい」
「…始末とは…」
「堕胎させなさい。押さえ付けてでも、堕胎の薬を飲ませるのよ」
「マリアンネ様、そこまでせずとも…アリシアに育てさせれば、大人しく離れで過ごすはずです」
「お前の子など、要らないと言っているでしょう。それに戸籍のない子など、スナイデル家のお荷物にしかならないわ」
マリアンネの侍女が、冷たい表情のまま薬が入った瓶を手渡す。その瓶をうまく握れず、床に落としてしまう。
「全く、情が移ってしまったのかしらね。捨てられた猫を拾ったようなものね。ヴィンセント、そこにいるの」
「はい、母上」
暗がりから現れたのは…ヴィンセントだ。
「話は聞いていたわね?影が役に立たないようだから、あなたがアリシアに薬を飲ませなさい。アリシアは体調を崩しがちだし、流産はよくあることだから、怪しまれることはないわ」
「…母上…何故アリシアをそこまで…私には出来ません。私はアリシアを裏切りましたが、これ以上苦しめることは出来ません」
「何を今更…ヴィンセント、あなたこそがアリシアを裏切り、一番苦しめている張本人なのよ。二人とも意気地のないこと。仕方ないわね。ジャスティーヌ、あなたがやりなさい」
「かしこまりました」
マリアンネの侍女は薬の入った瓶を拾い、懐に忍ばせた。




