第二十三話 家族の姿
ザドキエルの庵から戻った後も、アリシアは庭に出て植物の観察を続けた。花のように、草木のようにあろうとした。時には空を流れる雲を眺め、髪を揺らす秋の涼しい風を感じていた。
そうして庭で過ごしていたある日、子供の声が聞こえた。普段はなかなか聞こえない子供の声。今日は離れの近くに来ているのだろうか。
…ルーセントと…誰かもう一人?乳母の子かしら…
乳母がいるということは、その乳母に子がいるということだ。乳母の子と兄弟のようにして育つ令息令嬢も珍しくはない。可愛らしい笑い声を聞けば、顔が見たくもなる。アシュベルと自分のように、信頼し合える友達になれたら良いと思う。離れていても、子を案じるのは母として当たり前の感情だ。そうだわ、擬態の魔法があれば、様子を見守ることが出来る…と、アリシアは様子を見に行くことにした。侍女や衛兵の目を盗み擬人と擬態の魔法を掛ける。私は空気だ、風なのだと、ただ流れるようにその場を去る。アリシアの後を追う者はいない。昼間は繋がれている犬も、気付く様子はなかった。
垣根を上り、本邸の庭に降りる。心を静めながら、声が聞こえた方向へと歩いた。途中見回りの衛兵とも気付かれることなくすれ違った。
…うん、ここまでは良い感じだわ。
建物の影から本邸の中庭を見たアリシア。ルーセントと、乳母の子と思われる女の子が遊んでいる。
…可愛い。仲良く遊んでるわ。
アリシアは頬を緩ませた。子供達と…それから侍女達。乳母は…
…え…アナベル様…
品の良い衣装を身に纏った女性が日傘をずらした時…そこに居たのはアナベル・カーマインだった。侯爵令嬢が乳母?お子様が王子様や王女様であれば高位貴族の女性が乳母になるだろうが…しかも恋敵の自分が産んだルーセントの乳母になどなるだろうか。だが…その前に、アナベル様は一体誰と結婚したのだろう。ヴィンセント様と別れ、卒業後すぐに結婚されたのだろうか。女の子はルーセントとそう変わらない月齢に見えた…何…嫌な予感がする…
…そして、その疑問はすぐに晴れた。
「ははう〜」
ルーセントが、アナベルを母と呼んだのだ。
「おとさま!」
女の子が駆け寄り父と呼んだ人物が、女の子を抱き上げた。中庭の向こうから女の子を抱いて歩いて来る。
「ヴィンセント様」
アナベルがヴィンセントに寄り添い、女の子を撫でてルーセントを抱き上げた。
そこには、仲睦まじい家族の姿があった。
揺らぎかけた魔法を必死で留め、流れる涙はそのままにただ心を無にして、アリシアは離れの庭に戻って来た。
アナベルは乳母ではない、ルーセントの母で女の子の母だ。そして女の子の父はヴィンセントだ。これで分かった。ずっと離れに閉じ込められている理由が。避妊の薬茶を飲まされていた理由が。自分は形だけの妻なのだ。形式的に結婚し、取り敢えず一児を儲け、神託に従っている振りをしているのだ。自分を宥めるために閨を共にし…好きだと、嘘を言って…何故?もう何も信じられない。何もかも正直に話して欲しい。こんなに近くで裏切るのなら、離れではなく別邸や領地にでも閉じ込めて欲しかった。離婚したって良かったのに。
離れの庭で、緊張の糸が切れたアリシア。ふっと気を失い倒れた。
気付けば自分の部屋で、心配そうに覗き込む侍女達の姿があった。
「若奥様、お目覚めに」
「良かった、ご気分は如何ですか」
「お庭でお倒れになったのです。覚えておいでですか」
「お水を飲まれますか」
「ごめんなさい、心配を掛けたわね…自分では分からないけれど、無理をしていたのかしら」
適当な言葉で心を誤魔化していると、侍女達は顔を見合わせた。そしてサティが口を開く。
「勝手ながら、本邸の侍医を呼ばせて頂きました。あの…若奥様、医者の見立てでは懐妊されています。どうぞお身体をおいとい下さいませ」
…え?
本邸の庭で見た、親子四人の姿が脳裏を過ぎる。
ずっと二人目が欲しかった。自分の手で子供を育てたいと思っていた。でも、きっとこの子は望まれていない。本を読むために、あのお茶を飲まなかったからだ。一体どうしたら良いの…
だめだ、感情を抑えられない。アリシアは人目も憚らず大声で泣いた。




