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きみの頬をなでる風になれたら  作者: 朝倉いろは


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第十九話 花のように②

 少しずつ読めるようになってきた本には、目眩しや気配を完全に消す術式や、その場にあるものを自身に擬人させる術式、逆に自身をあるものに擬態させる術式など、隠密行動に関する記述が詰まっていた。術式を組み込む魔法陣の基礎などは、ザドキエルの魔法学の授業で取り扱われていたため、履修しておけば理解が早かっただろうにと悔やまれた。

 この擬人の魔法陣と発動方法を習得すれば、ザドキエル先生の元へ行くことが楽になりそうだわ…アリシアはこれを優先することに決めた。

 それにしても、聞いたことのない魔法ばかりだ。読めた範囲だけでも、ザドキエルが危険だと言う意味が分かる。アルメニアの国民は皆魔力を持って生まれて来るが、それぞれ生まれ持った属性がある。その属性以外の魔法は使えない。魔法は対魔獣の攻撃魔法が主だ。人の精神に作用する魔法は禁忌とされているため秘匿されており、回復魔法を使える者はほとんどいない。そのため、医学は薬草や魔獣が持つ角などの部位を煎じたものを使った方法が主で、薬茶にして飲むことが一般的だ。アリシアは魔力が少なすぎるため、属性も分からない状態だった。魔法を使ったことのないアリシアは、魔法の勉強をすることが楽しくて仕方がなかった。

 植物図鑑そのものを読むことも楽しかった。離れの庭には薬効のある植物も多く、見慣れた草花にも優れた力があることが分かった。配合を変えるなどして以前よりもお茶の種類が増え、侍女達に振る舞えば喜ばれた。

「若奥様、このお茶は果物と花の香りがとても良いですね。夏には冷やしても良さそうです」

「甘みを加えた方が美味しいですよ」

「これなら、ルーセント様がいらした時にも喜ばれそうですね」

「薬草が入っているから滋養もあるのよ」

「若奥様、もっと飲んで早く元気になって下さいませ」

「あなた達こそ疲れるでしょうから、たくさん飲んでね。外回りの彼にも差し入れしてあげて、オルガ」

「お気遣い下さりありがとう存じます」

 外回りの衛兵は数人が交代で詰めているが、その中の一人と侍女のオルガは恋仲になったらしい。毎日のように顔を合わせていて、挨拶から始まり、少しずつ会話をするようになり、意識し合うようになったという。

 窓の外を見れば彼にお茶を渡すオルガが見えた。可愛らしい笑顔だ。彼女達に相談したいことは山ほどある。だが、賛成してくれるとは限らない。マリアンネに報告されるかも知れない。監視が厳しくなるかも知れない。何より、協力してもらえたとして、何か失敗した時に、彼女達にどんな罰が下るか分からない。…何も知らない方が良い。知らないことで身を守れるだろう。

 魔法陣の描き方などはヴィンセントが訪れない夜に練習した。熟練すれば、魔法陣を頭に思い浮かべることで発動出来るようになるという。なるほど、だから皆魔法を使う時に陣を描かないのだわ、と、学んでいくほどに魔法に対する理解が深まっていった。

 そうしているうちに秋が深まってくる。離れの木々も紅葉樹が艶やかな装いに変わりつつあった。

「あら」

 庭の茂みの間に、赤い実が見えた。小鳥が啄みそうな小さな実だ。これは何かしら…と図鑑を開く。草の実のようだ。図鑑は分厚くすぐには見付けられない。後で調べようと、葉と実を摘んで小さな籠に入れた。

 

「今日も庭で薬草を摘んでいたのかい」

 夜になりヴィンセントが訪れた。一緒に食事を摂り、湯浴みの後は晩酌をしながら会話を楽しむ。

「はい。季節が過ぎていくのに合わせてお庭の草花も変わって行くので、見ていて飽きません」

「良い趣味を見付けたね」

 ヴィンセントの前で図鑑を開いてみたこともあるが、詳細な絵だねと言うだけだった。侍女達も同様だ。やはり魔力の高い者達にはただの図鑑に見えているようだ。

 ふと、捲った頁に描かれている植物…今日見付けたお庭の草の実に似ているわ…アリシアはその頁を読み込もうとした。

「アリシア、草花も良いが私を構ってくれないか」

 と、少し甘えたような声で肩を抱かれ、夜着の結び目に指がかかる。それに応えるように首に腕を回せば、横抱きにされ寝台へと運ばれた。

 薄明かりに照らされたヴィンセントは、やはり美しかった。鋭くも慈しむように青紫の瞳に見つめられれば、アリシアの体温が上がっていく。口付けは優しく、身体中を這う手も温かかった。

「アリシア…」

 耳元で切なげに名を呼ぶ声。何故こんなにも泣きそうな声なのだろう。何かあったのかしら。優しい、優しい人…だからお義母様の言うなりなのかしら…

 アリシアはヴィンセントの髪を指で梳きながら目を閉じた。

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