第十八話 花のように①
植物図鑑を手に庭の草花を見る時間は、無機質だったアリシアの日常に彩りを与えてくれた。離れの庭は、植えられた花ばかりでなく、野の中に自然に生えている雑草のような草花も多い。庭師の腕が良いのか、それらが邪魔し合うことなく馴染んでいた。秋の涼しい風が心地良い。心の底に溜まった澱はそのままに、揺らし舞上げ濁らせることがないよう…アリシアはただ無心であろうとした。人の心を忘れ、周囲に溶け込むよう意識を手放していく。
ふと、一羽の小鳥がアリシアの肩に止まった。ゆっくり目を開け図鑑を見れば、植物の絵が消え文字が浮かび上がっていた。鳥に気付かれないよう呼吸を整え…頁を捲る動作に鳥が怯えないよう…そう思った途端にカサリと紙の音が鳴り、鳥は飛んで行った。
…ふう、今日は少し読めたわ…
そうやって、日々を過ごしていた。
庭に出ることが多くなったアリシアだが、侍女達も衛兵も少し離れた場所から見守る程度で、常に後を追われることもなくなった。一度ルーセントに会ってからは、会いたいと言うこともなくなっていた。会いたい気持ちがなくなった訳ではない。言わないことで、監視が緩むのではないかという打算がある。ザドキエルの庵にも行って指導を仰ぎたい。そのためにも、大人しくしているだけだ。
…冬になって雪が積もれば足跡が残るわ…その前に行けたら良いのだけれど…
北のフィデール領に比べれば少ないとはいえ、王都も雪が降る。痕跡を残さずに抜け出すなら、やはり雪が降り出す前が良い。
…もう少し長い時間読めるようになりたいわ…
ふと、耳を澄ますと本邸の方から子供の泣き声が聞こえた。ルーセントが泣いている。
…どうしたのかしら、転んだのかしら。
こんな時、抱いてあやしてあげることも出来ない。すぐ近くに居るというのに。ルーセントは一度会っただけの自分のことを母だとは思っていないはずだ。…何故一緒に居られないのだろう。
…だが、心を乱してはならない。
…泣かないで、ルーセント。よしよし、良い子ね。大丈夫よ。
控えめに咲く秋の草花を見つめながら、アリシアは蝶になってルーセントの元へ飛んで行きたいと思った。花になって慰めたいと思った。
泣き声は止み、周囲から音が消えた。
「若奥様!?」
「アリシア様!?」
大きな声が聞こえた方を見れば、慌てた様子の侍女達の姿があった。
「どうしたの?」
「…え?あ、いえ…若奥様のお姿が見えなくなった気がして…申し訳ございません」
「さっきルーセントが泣いていたものね。心配しなくても、本邸に向かって走って行ったりしないわ。すぐ泣き止んだようだから、転んだりしたのかしらね」
「そうかも知れませんね。若奥様、そろそろ中へお戻り下さい」
「そうね。そうするわ」
アリシアは図鑑の絵を見つめた。絵と文字が重なって見えていた。確かな手応えを感じながら、図鑑を閉じ部屋へ戻った。




