第十七話 図鑑の秘密
頑丈な石組みの塀はアリシアにとって上りやすい。塀の上から顔を出し離れの庭を覗くと、衛兵はちょうど本邸側に周ったところだった。外敵に備えるというよりも、アリシアが本邸に突撃することを防ぐ目的が主であることは今までの生活で分かっていた。故に、庭に出てしまえば外に出ることは困難ではなかった。気配を殺しながら部屋の前まで辿り着き、窓枠に手を掛ける。中には誰もいない。
…良かった、今日のところは誰にも見付からなかったみたい…
アリシアは胸を撫で下ろし、少しでも誤魔化せるようにと布団に忍ばせたクッションを取り出し長椅子に並べた。
…でも、そんなにしょっちゅう抜け出せる訳ではないし、またしばらく大人しくしておかなくちゃ…
帰り際、ザドキエルはアリシアに一冊の本を渡し課題を与えた。
「また此方に来れるまで、この本を熟読して実践しておくと良い。良いかい、君の師匠は草花だよ。蝋燭の火でもランプの灯でも良い。よく見て成りきるんだ」
寝台の上で本を開く。魔法の本ではなく、草花の図鑑だった。その植物が持つ薬効等も記されている。これを実践する…?植物の勉強をしなさいということ?疑問に思いながら頁を捲る。花のように草木のようになる…窓の外、風にそよぐ花を見る。頬を撫でる風が心地よい。風が髪を揺らし、流れて行く。そうしながら、ふと頁に目を落とすと植物の絵が消えぼんやりと文字が浮かび上がった。
「え?」
文字は一瞬で消え、元の詳細な絵に戻る。
「ちょっと待って…」
ただ、そこにあるものになる…花の心になる?どうやって…
集中し、図鑑の絵を見つめるが文字は現れない。
…そうだ、わたしのお師匠は草花だ…この本の絵が消えて浮かび上がる文字が読めるようになりなさいと、ザドキエル先生は仰っているのね…読めるようになれば、隠密の魔法の取得に近付けるのだわ…
寝台から窓辺の椅子に腰を下ろし、庭の花を見つめる。どのくらいの時間が経ったか、コンコンと控えめなノックの音に扉の方を見れば、カチャリと扉が開きサティと四人目の侍女オルガが入って来た。
「お目覚めでしたか」
「ええ、さっき目が覚めたの。どのくらい眠っていたのかしら」
窓の外は夕焼けの橙色を帯び始めていた。
「午後のお茶の後、四時間ほどお休みです」
「そうなのね。すっかり夕方だわ。よく寝たから少し気分が良いの。あなた達も休めたかしら」
「お気遣い下さりありがとう存じます。ご気分が良いとのことで安堵いたしました。お食事は召し上がれそうですか?」
「ええ、頂くわ」
サティとオルガが膝の上の本を見ている。見慣れない本だと思っているのだろう。此方から何か言うと怪しまれるかも知れない。公爵家の使用人、特に侍女や家令は貴族だ。彼女達の魔力はアリシアと比べようもないほど高い。ザドキエルの話を信じれば、見られても問題はないであろう。実家から持参したものの忘れていた、とでも言えば良い。
疚しいことなど、何もない。見られても構わない。アリシアはごく自然に本を椅子に置き、食堂へと向かった。




