第十六話 隠密の魔法
久方振りに鳴った呼び鈴に、研究の邪魔をしよってからにと内心苛立ちつつ戸を開けると、そこには貴族院卒業後に結婚したアリシア・フィデールの姿があった。思いもよらぬ来訪者に目を丸くしたラウール・ザドキエルは、数秒が数時間にも思える思案の後、不安そうなアリシアの顔を見て、
「久し振りだね、アリシア君。散らかっているが入りたまえ」
と庵に招き入れた。
ザドキエルの庵には、魔法学の研究者らしく多くの古い書物や魔道具らしき不思議な物がたくさんあり、アリシアの好奇心をくすぐった。しかし、今は時間がない。話を早く切り出さねば…
「事前のお伺いも立てず、申し訳ありません」
「気にすることはないぞ。貴族院を辞めて時間はあるからな。ちょうど今やっている研究も煮詰まっていたところだ」
お茶でも淹れよう、と、よく分からない茶葉をティーポットに入れ、ストーブに掛けっぱなしのやかんから湯を注げば、ハーブのいい香りが漂う。これは西方の国に伝わる薬茶だよ、とティーカップを渡される。お茶を口に含めば、温かさと香りで不安な気持ちが少しだけ安らいだ。事前の計画が上手く運び塀の外に出られたものの、黒の森は広い。このストーブの煙のお陰で、ザドキエルの庵に辿り着くことが出来たのだ。本当に助かった。
「何か訳ありのようだね?」
と、ザドキエルの方から問いかけられれば、アリシアも意を決して話し始めた。
「以前図書館でお話をしたことを思い出したのです。あの時は途中で失礼してしまって、それ以来お話する機会もなく…先日先生の著書を読ませて頂いたのですが、よく分からなくて」
「ああ、あの時か」
ザドキエルは髭を撫でた。
「あの時先生は、魔法学を履修しないことを勿体無いと仰いました。私はほとんど魔力はありませんが、それでも魔力はあると仰いました。もしかして、魔力量を増やすことが出来るのですか?そうすれば私も魔法を使えるようになりますか?」
「まぁまぁ、落ち着きたまえ」
かなり気が急いていたようだ。アリシアは、すみません…と腰を掛け直す。
「魔力量を増やす方法が無い訳ではないが、かなり困難だ。それよりも、魔力量が少ないからこそ使える魔法があってだな」
アリシアは驚嘆した。そんな魔法、聞いたことがない。
「この魔法は危険なのだ。知る者はほとんどいない。国王陛下と私、それから一部の近衛くらいだな。私はアリシア君になら取得させても良いのでは、と国王陛下に申し上げたことがある。国王陛下にはその時許可して頂けなかったが、後に神に選ばれるほどの娘なら、災いを呼ぶことはあるまい、と仰った」
…そんな、誰も知らないような危険な魔法を私が使えるかも知れないということ?アリシアは半信半疑でザドキエルを見つめる。
「君の魔力は平民よりも少ないね。私にはほとんど感じ取れない。恐らく、家族やごく近しい人間でなければ、君に魔力はないと思うだろう。それはつまり、魔力の残滓を残さないということだ。誰にも気付かれないということだ」
一口茶を飲み、話を続ける。
「君は貴族院でごく目立たないように振る舞っていたね。君が隠れれば、探し出すことは難しいだろう。見付けられるのはアシュベル君かオリアナ君くらいかな。花のように草木のように、ただそこにあるものに成れる。それが隠密の魔法だ。風に吹かれれば揺れるもののように、君が動こうと誰も気に留めない。誰にも気付かれないとは、如何に危険なことか分かるかい?」
…誰にも気付かれずに、忍び込んだり…暗殺したり、出来るということだわ…アリシアの顔はサッと暗くなった。
「もしかして、国王陛下は私を殺そうと…」
突拍子のないことを言われ、ザドキエルはハッハッハと大声で笑った。
「そんな心配は要らないから安心したまえ。君主にとっては、隠密で情報を得ることが出来るが、身の危険に繋がる魔法でもあるがな。それ故に秘匿され、信頼のおける者にしか取得させない。しかしほとんどの貴族は高い魔力を持って生まれる。この魔法を使える者はこの国にはいない。取得出来る可能性があるのは君だけだ」
…そんな魔法を、私が取得出来るかも知れないなんて…でも、それが出来れば現状を変えることが出来るかも知れないわ…希望の光が灯った気がしたアリシアに、ザドキエルは不穏な言葉を投げ掛けた。
「この魔法を取得すれば、君は知らなくても良いことを知り、傷付くことになるだろう。それを恐れない覚悟があるなら、私が手助けをしよう。ただし、私はこの魔法を取得出来ないから教えられるのは知識だけだ」
「はい、傷付いても構いません。知らないことがあるなら知りたいのです」
アリシアの真剣な目を見てザドキエルは頷いた。
あまり長くなってはと、庵を後にしたアリシアの後ろ姿を見送りつつ、ザドキエルは思案顔で目を瞑り髭を撫でた。
…一体どういうことだ?何が起こっている?
…死んだはずのアリシアが、本当は生きていたとは…




