第九十八話 北狼の護り石
良い夫婦の祭りと収穫祭が間近となり、オーグスは神殿のみならず、町全体が準備のために沸き立っていた。
婚約の話を進めるためグランベルク領へ赴いていたルーシィを送り届けたアシュベルは、ひと息つく間もなく辺境へと帰って行った。グランベルクからオーグスまでは数日を要する道のりだが、二人にとっては良い時間となったようだ。
「それがアッシュからもらった剣?とても綺麗だわ」
「そうなの。それで…あたしも何かお返しをあげたくて…でも、貴族の男性がどんなものを好むか分からないから、教えてもらいたくて」
「うーん…貴族男性というより、アッシュが好きそうなものが良いと思うなあ」
「でも、騎士団は貴族が多いでしょ?アッシュが恥ずかしい思いしないか心配なの」
「意外と元平民も多いよ。騎士爵を得ればそれなりのお給金をもらえるから。特に辺境の男の子は幼い頃から貴族も平民も一緒に訓練するし、自然と騎士を目指す人も多いの」
貴族向けに仕立てられたものものだと、それなりに高価になってくる。アシュベルは生まれた時から質の良いものに囲まれて育っているため、ものの良し悪しを見る目は持っているが、本人は高価なものを好んでいる訳でもない。
「でも、ルーシィが心配するのも分かるよ。…そうね、アシュベルは騎士だし、これから北の辺境の寒さは厳しくなるから…手袋とか、外套、剣帯なんかが良いんじゃないかしら…」
「あたし、前の仕事で少しずつ貯めたお金はあるけど、アッシュが持っていて恥ずかしくないものを贈れるかなあ」
「そんなことは思わないと思うけれど…でも、そうね…ルーシィに無理のない範囲で、素材を選べば大丈夫だと思うわ」
アシュベルはルーシィに無理をさせたいとは思わないはずだ。一番贈りやすいのは手袋だろうか。剣が滑らないよう革のものが良いだろう。剣帯も革だ。金具や装飾によっては高価になってくる。
「外套は高そうだから、あたしには無理かも」
「そういえば、アッシュがエーデルハイドに行った時、小さな魔石をお土産にくれたでしょ?あれ、まだ持ってる?」
「うん」
「それに、ルーシィの魔力を籠めて贈るっていうのはどうかな?職人に頼んで、外套や剣帯に付けられる飾りに仕立ててもらうの」
「魔石に魔力…あたしでも出来るの?どうやるの?」
「私には魔力がほとんどないけれど、リヒトに贈った指輪の石に魔力を籠められたわ。装飾店の店員が、平民でも出来るって言っていたの。だからルーシィもきっと出来るよ」
これなら、ルーシィがアシュベルに贈るものとして唯一無二の品になる。高価な外套や剣帯にも代えがたい、彼女自身の魔力を籠めた魔石だ。アシュベルが喜ばないはずがない。
ルーシィはしまっておいた魔石を取り出した。
「指先を魔石にくっ付けて、そこに意識を集中するの。ルーシィの場合は剣舞を舞っている時と同じような気持ちでやってみて。魔力が動きやすいと思うわ」
アリシア自身が石に魔力を籠めた時、隠密の魔法を会得するために、離れの庭で過ごした日々を思い出した。花のように草木のようにあろうとした、あの日々。ただ、そこにあるものになる。その心が、辛い日々を乗り越える力になった。そして、辛い思いをしてきたリヒトに、これからは穏やかな日々を送って欲しい。そんな願いを籠めたのだ。
「あたしは…」
騎士は危険と隣り合わせの仕事だ。魔獣との戦闘だけではない。隣国との関係が悪化すれば攻め込まれることも有り得る。有事の際、他国の侵攻を食い止める役割を、辺境領は担っている。
「…無事に、帰って来てほしい」
願いはただ一つだ。アシュベルに怪我なく、元気な姿で戻って来て欲しい。それだけを願いながら、ルーシィは魔石に指先を触れた。アシュベルから贈られた、星空のような剣を手に舞う時のように、心を研ぎ澄ましていく。
…どうか、無事に帰って来て……
その願いを魔石に籠めるように。
ふと、指先にぽっと火が灯ったような感覚があった。ルーシィの魔力は、確かに魔石に吸い込まれていった。
小さな魔石の中心が淡く光っている。光は渦を描くように石全体に広がっていき、やがて静かに消えた。
「……うまくいったの?」
「大丈夫。魔石からルーシィの魔力を感じるわ」
ルーシィはほっとしたように笑い、嬉しそうに手のひらの魔石を見つめた。小さな魔石には、彼女の願いが確かに宿っている。アシュベルを一途に想うルーシィの横顔を、アリシアは美しいと思った。こんなにも心のこもった贈り物が、他にあるだろうか。
…アシュベルの喜ぶ顔が目に浮かぶわ。
アリシアは、少年のように喜ぶ幼馴染の姿を思い浮かべ、頬を緩めた。
ルーシィの魔石は、職人の手によって剣帯に下げられるよう装飾具に仕立てられた。魔石は銀の枠に納められ、上部には剣帯の金具を通すための輪が設けられている。銀の枠の裏側には、タナトス家の家紋を思わせる狼の彫りが施されている。魔石を北極星に見立て、北狼の紋をさりげなく表したものだ。剣を帯びれば、腰のあたりで魔石が星の瞬きのようにかすかに揺れ、ルーシィの鼓舞の魔力を感じることができるだろう。
アシュベルは、今年の良い夫婦の日の祭りに合わせて、こちらに来ることは難しいかも知れない。次に会えるのはいつだろうか。どうか無事に戻ってきますように。そう祈りながら、ルーシィは卒業に向けていっそう勉学に励むのだった。




