幕間 ある貴族
最近、ニオール神殿で剣舞の稽古をしている娘が評判になっているという。平民には珍しい金の髪を持ち、見目麗しく、稽古を垣間見ようとする男達が後を絶たないようだ。聞けば週に三度ほど、オーグスから乗合い馬車に揺られて稽古に通っているそうだ。
「剣舞を嗜む平民の娘か…」
我が家は、ニオールに近いロレーヌの町を治める伯爵家だ。代々ロレーヌを治めながら、王宮勤めをしている。正式な婚姻を結ぶとなれば、家格の釣り合う貴族家から娶らねばならないが…美しいと評判の娘がどれほどのものなのか。そう考えると興味が湧き、気付けば馬を駆っていた。
ほどなくしてニオールに着いた私は馬を預け、神殿へと足を向けた。たかが平民の娘と侮っていた私は、その姿を目にした途端、息をするのも忘れて見入ってしまった。金の髪を輝かせ、伸びやかな四肢をしなやかに踊らせる。振るう剣は娘の身体の一部であるかのように軽やかで、美しい軌跡を描いていた。評判になっていることも頷ける。美しい……などという言葉では、とても言い表せない。どこか神々しささえ纏った娘。その瞳に、私の姿を映して欲しいと願わずにはいられないほどであった。
なんということだ……興味本位で垣間見るものではなかった。私は、いかにすればこの娘を我がものと出来るのかと考え始めていた。平民の娘ならば、手に入れることは難しくはあるまい。だが、私の両親は決して納得しないだろう。結婚前の火遊びとして扱われるか、もしくは妾とするよう言い含められるだろう。
……だが、それでも良い。あの娘を我がものとしたい。あの手をとり、このまま攫ってしまおうか…そう思った私の目に、あるものが飛び込んできた。
「…あれは」
舞の稽古を終えた娘は、師匠とともに祭壇に向かい一礼し、慈しむように剣の手入れをしていた。剣架に掛けられた鞘は艶やかな黒が美しく、とても平民の持ち物とは思えなかった。娘が剣を鞘袋に納め組紐を結ぶと、その房飾りに鈍く光る家紋が見えた。
「……タナトス家の家紋だ」
北の武家を統率する辺境伯家。四方の辺境を守護する四家の中でも、最強と名高い名門だ。なんということだ。この娘はすでにタナトス家の庇護下にあったのだ。
ニオール神殿は、とりわけ武家の信仰を集める武芸の夫婦神を祀っている。そこで剣舞の稽古に励む娘が、タナトス辺境伯家の庇護を受けていたとしても不思議ではない。
ならば、私があの娘に手を伸ばす余地など、初めから残されていなかったのだ。
娘は、私の視線には気付いていない。声を掛けたい。名前を知りたい。そう思わないでもなかった。だが、タナトス家の庇護を受ける娘に、軽々しく手を伸ばすことなど出来ない。娘を妾になどと思うことすら不敬であったのだ。
私は名残惜しさを胸に、踵を返した。
あの娘を手に入れることは出来ない。その名すら、私は知らない。
だが、忘れることも、とうてい出来そうになかった。




