第九十七話 父の誓い
オーグスへ赴いていたオフィリアとばぁやは、予定より二週間ほど長く滞在しフィデール領に戻って来た。
「お母様、ばぁや、おかえりなさい。お姉様は元気だった?」
エディスと共に出迎えたオリアナは、早速話を聞きたがった。下働きの領民達に荷物の運搬を指示し、護衛の騎士達と付き添いの侍女達を労ってゆっくり休むよう告げると、オフィリアは、ふうと息を吐いた。
「ええ、とても元気だったわ。オーグスは良い町だったし、ザドキエル伯爵夫人にもお会いしたけれど、信頼出来る方で安心したわ」
「日取りは決まったの?」
「年明けよ。オーグス神殿で執り行うことにしたわ。アリシアがずっとお世話になっている神殿で、皆様でお祝いしたいと仰って下さったの」
「アリシアお嬢様のお人柄ですよ。本当にありがたいことです」
ばぁやも和やかな表情だ。長旅の疲れなど少しも見えないところが、末恐ろしい。
「ドレスはどうするの?」
「それがなかなか決まらなくて、時間がかかってしまったのよね。オーグスは小さな町だからあまり見本がなくて、王都に何度か赴いたの」
王都の服飾店で見本をいくつか試着し、アリシアの体に合わせ、より美しく見えるよう調整をする。寸法を測り、気に入ったものを注文するという流れだ。
「どれも素敵で、ひとつに決められなくて」
「試着なさった時のリヒト様の表情ときたら……今思い出しても、おばばは顔が緩んでしまいます」
「ええ。とても微笑ましかったわね」
「レグルス様も可愛らしかったんですよ。アリシアお嬢様がお着替えなさるたびに、『わぁ〜!わぁ〜! きれいだねぇ、きれいだねぇ』と手を叩いてお喜びになって」
「……良かったわ。それを聞いただけでも、お姉様が幸せなのだと分かるわ…」
オリアナは目に涙を浮かべながら、卓上のカップを手に取りお茶を口に含んだ。
「ええ。アリシアは大丈夫よ」
「おばばもそう思いますよ。オリアナお嬢様、なんにも心配いりません」
「…うん」
オフィリアとばぁやは、オリアナを安心させるように微笑みながら、旅の思い出を聞かせるのだった。
「…そうか、話はまとまったか」
執務を終えたフィデール子爵ルシウスは、夫婦の部屋で少し安堵したように息を吐いた。共にオーグスへ行かないかとオフィリアには勧められたが、娘の嫁入り支度に父が出向いたところで、何の役に立つわけでもないと、ルシウスは断った。
「…リヒト様はヴィンセント様と双子とはいえ、あまりにも似過ぎていて…気持ちの整理をつけるのが難しかったけれど…でもあの方は、本当にアリシアのことを大切に思ってくれているわ。滞在したのは一ヶ月にも満たないけれど、それだけははっきりと言えるわ」
「…そうか」
「リヒト様は、アリシアのかすかな魔力を感じ取ることが出来るわ。レグルスが、アリシアとリヒト様は同じ花の匂いがすると言った時、それはそれは嬉しそうに笑ったのよ」
優しい優しいアリシアの魔力。ほのかに花の香りのするその魔力は、特別なものだとずっと思ってきた。魔法は扱えずとも、どこか懐かしく、心を落ち着かせてくれる香りだ。それを感じ取れるリヒトならば…今度こそアリシアは幸せになれるだろう。
愛しい娘を亡き者とし、生まれたばかりのルーセントと引き離し、離れに閉じ込め自由を奪った。国王陛下のご沙汰と、スナイデル公爵の謝罪を受け入れはしたが…父親としては到底許せる話ではなかった。たとえアリシア本人が許したとしてもだ。それなのに、またあの家へ嫁がせなくてはならないのか。そう思うたびに、ルシウスは神の御心を問わずにはいられなかった。
春に訪ねてきたアリシアと、リヒト、二人の子であるレグルス。三人の様子を見れば、仲睦まじく暮らしているであろうことは見てとれた。今度こそ…きっとリヒトなら…そう思いたい気持ちと、娘を踏みにじられたことへの怒りが、ルシウスを苦しめていた。
だが、オーグスから戻ったオフィリアの嬉しそうな顔が、ルシウスの怒りと不安をゆっくりと和らげてくれた。
「…オフィリア、俺はな…アリシアを手放したくない」
珍しく弱音を吐く夫は、出会った頃のような少し気弱そうな顔をしている。オフィリアはルシウスの隣に腰を下ろし、手を握った。
「あなた、アリシアの最初の結婚の時もそう言っていたわ。オリアナが結婚する時もね」
「…オリアナは婿を取ったから近くにいるだろう」
「でも、嫌だって言ってたもの」
「…娘には、近くにいて欲しいんだよ」
「ええ、知っているわ」
あなたの気持ちは分かっているわ。そう言うかのように、オフィリアはそっとルシウスを抱きしめた。
「アリシアは今度こそ幸せになるの。一緒に見届けてくれるでしょう?」
「……ああ。もちろんだ」
父として、娘を神前で待つ男のもとへ送り届ける。その手をとり、未来をともに歩んでいく役目を男に託すのだと、ルシウスは静かに誓った。




