第九十六話 星降る夜に
無事に縁談が整い、晩餐は和やかな雰囲気のうちに進んだ。母上と伯爵夫人は部屋へ下り、男たちはサロンで酒を酌み交わしている。俺とルーシィは当然ながら寝室は別だ。なので、少しの間二人の時間をもらい、庭園のベンチでひと息ついていた。
「あ〜…緊張した」
「うまくいったのよね?そうだよね?」
「ああ。うまくいったよ」
「良かったぁ」
二人揃って空を見上げると、満天の星がまたたいている。正式な婚約はこれからだが、内々に決まったことは素直に嬉しい。晴れやかな気分だ。星空も一段と輝いて見える。
「ルーシィ、今さらだけど…今日の装いも可愛いな」
「ほんと?アッシュも素敵だよ。でも、いつもの騎士の格好の方が好き」
「結婚式の時は、騎士の正装を見せてやるよ」
「…うん、楽しみ」
秋の夜風は少し肌寒い。自然と距離が近付けば、もう親たちの気配などどうでも良くなってくる。ルーシィを抱きしめて口付けしたい衝動に駆られたが、俺は紳士だ。昂る気持ちをどうにか抑え、ルーシィの額にそっと口付けを落とした。
ルーシィを部屋の前に送り届けた俺は、少し待っててくれと告げ、その場を離れた。急いで戻ると、ルーシィは扉の前で不安げに俺を待っていてくれた。
「待たせてごめんな」
「どうしたの?」
「これを…渡したくて」
「…これは」
俺がルーシィに差し出したものには、房飾りにタナトス家の家紋があしらわれている。
「正式な婚約はまだだけど…これはうちの家紋だ。お前を守るものとして、持っていてほしい」
ルーシィはおそらく、それが何かを察したのだろう。うっすらと涙を浮かべて、紐を解き中のものを取り出す。
「…きれい。星空みたいだわ」
「…赤の森で見た、あの星空みたいだろ」
東洋の黒漆に、細やかな螺鈿と蒔絵をさりげなく鞘へ施したそれは、俺がルーシィのために用意した祭祀用の剣だった。鍔には両家の家紋から、タナトス家が背負う北極星、グランベルク家を象徴する高峰を模した彫りが施されている。
「…こんなに嬉しいことないわ。あなたと出会えただけでも、あたし…幸せなのに」
「俺もだ。お前と出会えたから、俺は立ち直れたんだからな」
アリシアが嫁いだ辛さを紛らわせるように酒を煽ったあの夜、その席にはいつの間にかルーシィがいた。なんとなく店に通うようになり、気付けば馴染みになり、ただの客として会うだけでは物足りなくなってしまった。誰にも言えない弱音も、情けない姿も、全部受け止めてくれたのはルーシィだけだ。そう、親友であるアリシアにも見せたことのない姿を、俺はルーシィにだけはさらけ出していた。こんな女は他にいない。
「ずっと一緒にいてくれ」
「あたしと、ずっと一緒にいてね」
そんな甘い空気を蹴破るような足音が近付く…嫌な予感しかしない。
「お?なんじゃあ?」
…じぃさま。よりにもよって、こんな良いところで来るんじゃねえよ…
「うまく話が運んで、良かったな!お前たち…ん?それは何だ?」
じぃさまはズカズカと歩いてきて、ルーシィが手に持つ剣へ目を留めた。鞘袋の家紋に気付いたじぃさまは俺を見てニヤリと口元を歪めた。
「ほう、祭祀用の剣か。これは美しいな。良いものを誂えたではないか、アシュベルよ」
「……だろ?」
「うむ。舞姫に贈るものとしてこれほど相応しいものはあるまい。見直したぞ」
…家紋をあしらう以上、事前にグランベルク伯爵には断りを入れていたが、俺の家族には黙って誂えたものだ。咎められることもなくほっとした。それに、褒められて悪い気はしない。
「…しかも、家紋入りとはな。抜け目がないではないか。ルーシィよ、この家紋はひけらかさずとも、ほどよく見えるように携えて歩くのだぞ」
「…はい?」
ルーシィはまだよく分かっていないようだ。だが、じぃさまには分かったようだ。これが、俺の独占欲を塊にしたような、虫よけの役目まで負っているということが。
「ああ、今夜はまことに良い夜だ。お前たちも良い大人だから野暮なことは言わんが、順序は違えるなよ」
それだけ言って、儂は先に寝るとじぃさまが去って行くと、なんだか取り残されたような気分になる。
「…なんだよ。まだ結婚もしてないのに、恋人の実家で何か出来るわけねぇだろ…」
こっちは我慢しているというのに、なんなんだ。
「…ぷっ」
「…ルーシィまで」
「だって、ほっぺたがぷくって膨らんでて可愛いんだもの」
ルーシィが俺の頬をつつくと、ぷふっと小さな音がして頬の空気が抜けた。
「そんな子供みたいなところも、好きよ」
「…そんなこと言うなら…帰り道、覚えてろよ」
俺はつい捨て台詞めいたことを口にしていた。そう、オーグスへの帰り道は、また二人きりだ。
……めいっぱい、甘やかしてやるからな。




