第九十五話 良きご縁
アリシアとリヒトの結婚式は、年明けに決まったらしい。フィデール領から子爵夫人が乗り込み、いつまでも煮え切らない二人を突っついて、そのまま日取りを決めたそうだ。さすがは辺境の女だ。普段は虫も殺せないような顔をして、事に臨めば易々と魔獣の首を落とすだけのことはある。そうでもしなければ、話が進まないと思ったのだろう。あの二人には子供もいるし、長く共に過ごしているから、もうとっくに夫婦同然のつもりなのかも知れない。
そんな話を聞いてしまえば、俺もじっとしてはいられない。俺も早くルーシィとの縁談をまとめたい。好きな女を奪われるような目に、二度も遭ってたまるものか。俺は父上と母上に、寒くなる前にグランベルク伯爵夫妻とルーシィに会ってもらえないかと申し出た。うちは北国だ。寒くなる前に、という建前はかなり効くはずだ。
その思惑はうまくいった。父上は早速グランベルク伯爵夫妻に書状をしたためてくれた。父上と母上、俺、ルーシィの後見人であるじぃさまの四人で、グランベルク領に赴き、正式に目通りを願いたいという旨の書状だった。
返書はほどなく届いた。グランベルク伯爵夫妻は俺達の来訪を丁重に歓迎し、夫妻揃って目通りの日を心待ちにしていると記されていた。
…よし。何はともあれ、これがなくては話は進まない。ルーシィの出自ばかりは変えられないが、外堀を少しずつ埋めてきた。礼儀作法、身分、そして鼓舞の魔力。魔力についてはもはや幸運だったとしか言いようがない。
ルーシィは親の借金の形に売られた娘だ。娘が売られる先など、たいていは知れている…売られたと言った時点でおおよその見当はつくはずだ。そればかりはどうしようもない。だが、彼女はその境遇に呑まれることなく立派に努めを果たし、親に居場所を知られないように手を打ち、縁を切った。娼館にいた頃は欠かさず避妊の薬茶を飲んでいたそうだし、年季が明けてから約一年経つが妊娠の兆しもない。貴族は血を重んじるが、これからルーシィが子を宿したとして、その父を疑われることはまずないだろう。まぁ、ルーシィが平民であったことはすでに告げたが、今のところそれ以上の詮索はされていない。正式に婚約となれば密かに調べられることはあり得るが…今それを考える必要はない。反対されたとして、ルーシィと別れるつもりはないからな。
そういうわけで、夏も終わり風が涼しさを含み始めた頃、俺達はグランベルク領へ向けて出立した。オーグスにいるルーシィは、ひと足先にグランベルクへ送り届けてある。供は連れず、二人きりで馬を駆っていると、年季が明けたルーシィを迎えに行き、そのまま旅を続けた日々を思い出す。あの時買った指輪は、今も薬指で鈍く光っている。安物だが、俺にとってこれ以上のものはない。
「俺達が来るまで一人になるけど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ちょっと不安はあるけど…でもあたし、グランベルク夫妻が本当の親だって、そう思ってるんだ」
そう思うのも無理はない。八つの時に売られて十年以上も会っていない親だ。顔も忘れたと言っていた。むしろ、その方が良い。年季が明けた時点で、ルーシィの新しい人生は始まっているのだから。
ルーシィを送り届けた後、俺は少し北に戻りタナトス領からグランベルク領に向かう一行と合流した。以前と同様、途中の宿で身なりを整えた後、グランベルク夫妻とルーシィの出迎えを受けた。
すっかり令嬢らしい姿に整えられたルーシィは、夫妻の後ろに控え、慎ましく頭を下げていた。伯爵が出迎えの挨拶を述べた後、顔を上げたルーシィを見た父上と母上は、
「…ほう」
「…まあ」
と、同時に小さく声を漏らした。…よし。どうやら、ルーシィの見目は好印象らしい。伯爵に応接間へと案内されるあいだ、俺はルーシィの手を取り、傍らに伴った。やはりルーシィは少し緊張しているようだった。
「大丈夫か?」
と耳打ちすると、
「…大丈夫」
と、少し困ったように眉を寄せながらも笑ってくれた。そんなルーシィの背中を、じぃさまがトントンと叩いた。
「儂もおるからな。安心せい」
「ありがとう存じます、おじいさま」
そうだ。ルーシィの後見人はじぃさまだ。うちで一番恐ろしいじぃさまが味方なのだから、何も恐れることはない。じぃさまより恐ろしかったばぁさまがもうこの世にいない以上、父上でさえ敵わないのだから。
「本日はご丁重なお迎えを賜り、まことに恐れ入ります。早速ではございますが、本日お伺いしましたのは、ひとえに私どもの息子アシュベルと、グランベルク伯爵家ご令嬢ルーシィ殿の縁談につきまして、ご相談申し上げたく存じたためです」
…正直、驚いた。父上がこんなにも前向きに、しかも丁重な口ぶりで話を切り出すとは。ルーシィが養女となったいきさつを尋ねた時は、あれほど渋い顔をしていたというのに。
ふと、母上を見れば、こちらを見ながらわずかに口の端が上がっている。なるほど。あの後母上が父上を説き伏せてくれたのだろう。
「ご丁重なお申し出、ありがたく承ります。ルーシィをそのように望んで下さること、養親としてこれほど喜ばしいことはございません。北と東、辺境を預かる両家にとっても、良きご縁となりましょう。まずは、娘の気持ちを、あらためて確かめさせて頂きとうございます」
ルーシィは親たちに見つめられる中、静かに、しかしはっきりと話し始めた。
「はい。わたくしはアシュベル様をお慕いしております。わたくしが平民であったことは、皆さまご承知の通りです。そんなわたくしにも分け隔てなく接して下さり、辛いことも多かった日々の中で、わたくしにとって大きな支えとなってくださいました。これからは、おそばに立つ者として、アシュベル様のお力になりとうございます」
「私も、ルーシィ殿を深く大切に思っております。生涯の伴侶として、これからの人生を共に歩んでいきたいと望んでおります」
俺とルーシィは、揃って頭を下げた。顔を上げた先の親たちの表情はどこかほっとしたように緩んでいる。これは…うまくいったのだろうか…そう思った矢先に、大きな声が響いた。
「うむ。めでたい!これほどの良縁はあるまい!」
今まで黙っていたじぃさまのひと言で、その場の緊張は一気にほどけたようだった。親たちも、俺とルーシィも思わず笑みがこぼれ、場の空気すっかり和やかなものに変わっていた。
「このたびは、まことにありがたきご縁を賜り、深く感謝申し上げます。どうぞ娘ともども、末長くよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、このような良きご縁をいただけましたこと、心よりありがたく存じます。ルーシィ殿を家族としてお迎えできますことを、たいそう嬉しく思っております」
…やった。話がまとまった。飛び跳ねたくなるような気持ちを抑えながら、俺とルーシィは顔を見合わせ、あらためて頭を下げたのだった。




