第九十四話 父の想い
オフィリアとばぁやは、フローリアのはからいで神殿の居住区に滞在させてもらえることになった。護衛と侍女を連れて来ており、二人も魔獣と戦えるほどの心得はあるのだが、ありがたくフローリアの心遣いに甘えさせてもらうことにした。オーグスは治安の良い町ではあるものの、アリシアにとっても、その方が安心できる。
「なんだか、あっという間に話が進んじゃったね」
「…正直、ありがたかったよ。俺達だけじゃ決めきれない話だったし…」
「そうね…婚姻届を出すだけで済ませていたかも知れないわ…」
「…そうならなくて良かったよ。きみの花嫁姿を見られないところだった」
リヒトはアリシアの髪を撫で、その一筋を取りキスをした。アリシアの髪の長さは肩の下辺りで整えられたままだ。
「髪は伸ばさないのか?」
「今から伸ばしても、あまり変わらないかも知れないけれど…」
「俺は、きみの優しい茶色の髪が好きだ」
アリシアは、髪を弄ぶリヒトの手にそっと自分の手を添えた。マリアンネの追っ手から目を背けるため、そして平民として町に馴染むために短くした髪だ。レグルスが生まれ、忙しい日々を過ごしていると、長い髪を手入れする時間が惜しかった。だが、リヒトと共に暮らし始めて時間にもゆとりが生まれた。昔のように伸ばしても良いかも知れない。
「あなたが好きだと言ってくれるから、私も自分の髪色が好きになれたわ」
アリシアの茶色の髪は平民に多い色だ。魔力がほとんどないことも、髪や瞳の色も、貴族らしくないと言われてきた。
「私達の結婚式のために、伸ばしてみるね」
アリシアはそう言って笑った。
「お義父様とザドキエル先生にも相談したいのだけど、私はリーシュ・ザドキエルとしてあなたと結婚することになるじゃない?私が嫁入りするか、あなたが婿入りするか、どちらが良いのかしら…」
「スナイデル家の跡目はルーセント様と、国王陛下のお沙汰も下りているから…俺は元々跡を継ぐつもりはなかったし、ザドキエル先生とフローリア様さえ良ければ、婿入りするのが良いと思うけど…」
「ザドキエル先生とフローリア様の資産は然るべき方に継いでもらうとして、戸籍についてどうするのが一番良いのかなあ」
「ザドキエル先生の伯爵位って、魔法爵だろ?」
「そうだと思う。代々学問で身を立ててきた家系のはずよ」
「俺は先生の古代魔法を直に見たから…あの技が失われるのは、この国の損失だよ」
「先生にお弟子さんはいるのかしら」
「その辺りも聞いてみよう」
「そうね」
アリシアはザドキエルに、リヒトはスナイデル公爵にそれぞれ手紙を書いた。
内容は、リヒトがザドキエル家の戸籍に入ることについて、その是非を伺うものだ。リヒトがザドキエル家に入れば、スナイデル家の跡目を望まないことを公に示すことにもなる。
スナイデル公爵の返答は是であった。ザドキエル老師と奥方の了承があれば、アリシアとリヒトが望むよう進めてよいとあった。それは、スナイデル家の跡目に据えることはなくとも、だからといって家を離れて欲しいと願っている訳ではないという、父としての情がにじむ文面だった。
ザドキエル夫妻の返答もまた是であった。夫妻には子がおらず、アリシアを実の娘、レグルスを実の孫のように思っていること。レグルスは幼いながらも魔力の扱いが巧みで、もう少し成長し、本人が望むのであれば、自分が持つ知識と技を伝えたいと思っていること。それだけの見込みがあること。ザドキエル先生の兄弟やフローリアの親族も研究職ではあるが、畑違いのため魔法爵を継ぐ者は今のところいない、と書かれていた。
「先生にはお弟子さんはいないけれど、同じように魔法を研究している同志の先生方がいるのですって。レグルスが幼いうちは、扱いが難しい魔道具や魔導書の類は同志の先生方に託すことも考えておいでみたい」
「…ありがたい話だな」
「ええ…お義父様もザドキエル先生もフローリア様も…私達は色んな人に助けられているのね…」
婚礼の際には、改めて感謝を伝えたい。
近しい人々を招き、家族三人、こんなにも幸せなのだと伝えたい。幸せな未来を築いていくのだと、大切な人々の前で胸に刻み、もう二度と約束を違えることはしない。たくさん悲しませてしまった家族と親友の前で、幸せな姿を見せるのだと、アリシアは静かに誓うのだった。




