第九十三話 しあわせの話
少ししんみりとした空気が流れる室内に、控えめに扉を叩く音が響いた。
「はい、どなた?」
「リヒトです。こちらに皆様お揃いと伺いました」
「どうぞ、お入りになって」
扉が開き、一礼してからリヒトが入室すると、
「おとうちゃん」
レグルスは笑顔でリヒトに手を振った。アリシアがレグルスを床に下ろすと、とことことリヒトのもとへ駆けていき、その足にぎゅっと抱きついた。
「ただいま、レグルス」
「おとうちゃん、おはなのにおいがするね。おかあちゃんとおなじにおい」
レグルスも、アリシアの花の魔力を感じ取れるようだ。アリシアの微かな魔力を感じ取れる者ほとんどいない。オフィリアは内心驚きを隠せなかった。アリシアにほとんど魔力がないことを、口さがなく言う者に悔しい思いをしたことは一度や二度ではない。だからこそ、アリシアと同じだと息子に言われて、嬉しそうに笑うリヒトに胸が熱くなる。おそらく彼もアリシアの魔力を感じ取れるのだろう。
二人が慈しむようにレグルスを見つめる姿に、オフィリアはリヒトこそがアリシアの伴侶となるべき人であったのだと、静かな信頼が胸に灯るのを感じていた。
「わたくしがこちらに赴いたのは、他でもない、あなたの花嫁支度を整えるためなのよ」
「え…?」
「もうそろそろ、正式に婚姻をするべき頃合いだと思うわ。レグルスのためにもね」
「そうね。わたくしもそう思うわ」
フローリアもオフィリアの言葉に頷いた。
「まずは日取りを決めましょう。あなた達に任せていたら、今のままで満足してしまいそうなのだもの。善は急げよ。早いうちに整えてしまいましょう」
「よろしければ…お二人の結婚式はこの神殿で執り行わせて頂けないかしら…神殿の女性達も二人、いえ三人をずっと見守ってきて、幸せになって欲しいと願っているの。どうか、皆でお祝いさせてもらえないかしら」
「なんと温かなお申し出でしょう。ぜひお願いいたしましょう、アリシア」
急展開に内心慌てていたアリシアだったが、リヒトと顔を見合わせて、二人揃って小さく頷いた。
「フローリア様、ぜひお願いいたします」
「ええ。このオーグス神殿は三人を見守り、神託を正しく受け取った場所。きっと佳きお式になるわ」
「ありがとう存じます、フローリア様」
「よろしゅうございましたね、お嬢様」
ばぁやは目元を押さえながら、嬉しそうに微笑んだ。
「あの…はは…いや、オフィリア様」
「義母と呼んで欲しいわ、リヒト」
「ありがとうございます、義母上。アリシアのブーケは私に作らせていただけないでしょうか」
「まあ、あなたが?」
「リヒトは平民としてオーグスで暮らすために、花屋に勤めているんです。このあいだ、スナイデル家の侍女が結婚したのですが、お祝いのブーケとブートニアをリヒトに作ってもらったのです」
「ぼく、おかあちゃんにおはなをもらうの」
「それで、私のブーケからリヒトとレグルスの胸にお花を一輪ずつ挿してあげるねって約束をしていて…」
「まあ、なんて可愛らしいお約束かしら」
「では、まず日取りを決めて、衣装も早いうちに整えなくてはね」
先ほどまでのしんみりとした気配は、幸せの風に吹かれてすっかり消え、室内はあたたかな空気に包まれた。
「日取りなのだけど、これから神殿は忙しくなる時期だから…避けた方が良いのではないかと思うの」
「そうね…良い夫婦の日のお祭りと収穫祭があるわね」
「それよりも前となると、支度が間に合わないかも知れないわね」
「年明けが良さそうですね」
「それならお祭りの後だから落ち着いて準備も出来るわ。年末年始の祭祀はそれほど立て込まないもの」
ひとたびそうと決まれば、するすると話が進んでいく。リヒトはあまり口を挟まず、女性達に任せることにした。それよりも、どんなブーケを作ろうかと頭の中で思案し始めた。アリシアはどんな衣装を纏うのだろう。どんな衣装でも、きっと可愛らしい。そう思うだけで胸が弾み、その後の話は耳に入ってこなかった。
「…ちょっと、聞いてる?」
「…え?」
「もう。日取りは年明けでどうかなって」
「う、うん。それで良いと思う…ごめん、きみの衣装が楽しみで…話があまり…」
「えっ」
「まあまあ。お嬢様、どこの殿方も皆同じでいらっしゃいますよ。花嫁姿が楽しみすぎて、こちらの話など耳に入らないものです。旦那様も、ルーファス様もそうでした」
リヒトは恥ずかしいやら面目ないやら、なんとも言えない微妙な顔で眉を下げた。アリシアに小さく、ごめんな、と呟くと、アリシアもくすりと笑った。
「私も、あなたの正装を見るのは初めてだから楽しみだわ」
そう言われて、リヒトは気恥ずかしさのあまり義母達の顔を見ることができなかった。
そんな二人の姿を義母達は微笑ましく見守りながら、幸せな支度の話はいつまでも尽きることがなかった。




