第九十話 アシュベルと両親
ルーシィをオーグスの自宅に送り届けた後、アシュベルは結婚の話を切り出すべく、実家に立ち寄った。
アシュベルが実家に帰るのは、アリシアの手紙をフィデール子爵に届けた帰り以来、数ヶ月振りだった。
家令と侍女達に迎えられると、ほどなく湯浴みの用意が整えられた。たっぷりの湯に体を沈めると、馬に乗り続けて強ばっていた体が解れていくのを感じた。
「はぁ…」
大きく息を吐き、アリシアが調合した薬湯の香りを吸い込むと、張りつめていた心までほどけていくようだった。オーグスに立ち寄るたび、いつも持たせてくれる薬湯だ。以前から愛用している傷の治りを助ける薬湯とは異なり、筋肉の凝りを解し疲れを癒してくれるものだった。こんなに疲れているのは、馬を走らせている間中、結婚についてどう話をしようかと考えていたせいだろう。
「……情けねぇ…」
いざとなると、どう話したものかと分からなくなる。兄姉達のほとんどは親が決めた政略結婚だった。三番目の兄だけは、貴族院で出会った伯爵令嬢との恋愛結婚だった。兄は両親にどんな風に話を切り出したのだろう。自分と同じように、緊張したのだろうか。
アシュベルは頭まで湯に沈み、ブクブクと息を吐き出してから、勢いよく湯から上がった。身なりを整え、気合いを入れるように頬を軽く叩くと、
「よし、行くか」
自分に言い聞かせるように呟くと、両親の部屋へ向かった。
父母の部屋の前で一旦立ち止まり、ふうと息を吐いてから扉を叩くと、
「誰だ」
と、短い返答に、アシュベルは少し緊張して背筋を伸ばした。
「アシュベルです。今、お時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「入れ」
失礼します、と部屋に入ると、両親は午後のお茶を楽しんでいるところだった。
「久しいな、アシュベル。前線はどうだ」
「は。今は魔獣の出現も落ち着いております」
「そうか。まあ、座れ」
アシュベルが座ると、母セラフィアがお茶を勧めてくれた。
「ありがとうございます、母上。いただきます」
「どうした、改まって」
父シルヴィストの方から先に切り出され、アシュベルはお茶を喉に詰まらせかけた。ごほん、と咳払いをしてから、両親の前であらためて姿勢を正す。
「あの…実は、結婚を考えている女性がおります」
「まあ!まあ!やっぱり!」
「…え、と?」
「だって、シグルーンがイセラと結婚したいって言いに来た時と、全く同じなんだもの!」
シグルーンは三番目の兄、イセラはその妻だ。
…そうか、兄上も同じように緊張していたんだな。
アシュベルは、なんだか兄に背中を押されているような気になった。
「落ち着け、セラフィア」
「もう、あなただって嬉しいくせに」
「それで、どこの家の令嬢だ?」
「はい、東部辺境領グランベルク伯爵家の養女として迎えられた娘です」
「グランベルク伯爵家は北にも名を馳せる武門の家だな。養女として迎えられたのはいかなる事情だ。元の出自はどこだ」
「彼女はもともと平民でした。しかし、類稀な魔力を持つことが分かり、祖父上のお力添えを得てグランベルク伯爵家の養女となりました」
「…父上がお認めになった娘、ということか」
「まあ。平民の娘と…なんだかアシュベルらしいわね」
父は顎を撫で、腕を組んだまま思案するように目を閉じた。
「それで、娘が持つ類稀な魔力とは、いかなるものだ」
「はい。彼女は鼓舞の魔力の持ち主です。剣舞を舞うことで、我らを鼓舞することが出来ます」
「それはまことか」
「素晴らしいわ!鼓舞の魔力を持つ娘をこの地に迎えることが出来るなんて!」
「彼女は今、いずこにいる」
「グランベルク伯爵家に迎えられる前、彼女はノルディア領オーグスにある学校で家政を学んでいました。伯爵夫妻のおはからいで、卒業まで学ぶことが許されましたので、今はオーグスにおります」
「彼女の魔力のことを他の貴族に知られる恐れはないのか」
「オーグスにはアリシアとその夫リヒトがおります。稀有な魔力ゆえ、二人が近くで見守ってくれています」
「そうか」
「まあ。アリシアが?」
「はい。彼女に剣舞の稽古を勧めたのはアリシアなのです。それがなければ、彼女の魔力が知られることもなかったでしょう」
「…まったく、アリシアは今も昔も、あなたの一番の友ね」
「その通りです。遠く離れた今も、私の代わりに彼女を助けてくれています」
父は腕を組んだまま、わずかに表情を和らげた。
「相分かった。一度、グランベルク伯爵夫妻も交えて、その娘に会うとしよう。娘の名はなんという」
「ありがとうございます、父上、母上。彼女の名はルーシィ・グランベルクと申します」
頭を下げ、両親の部屋を出ると、廊下に大きな影が立っていた。
「じぃさま」
「おう、アシュベル。うまくいったか?」
「ああ。ルーシィに会ってくれると」
「そうか、良かったな!」
「……ありがとう、じぃさま…じぃさまのおかげだよ…」
ガルヴァロス公は、がしがしとアシュベルの頭を撫でた。前線で勇猛に剣を振るうアシュベルも、じぃさまの前ではただの孫だった。そして、ガルヴァロス公にとってもまた、いくつになっても可愛い孫なのだった。




