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きみの頬をなでる風になれたら  作者: 朝倉いろは


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第八十七話 鼓舞の魔力

 赤の森で朝を迎え、目覚めたリヒトが何気なく言った一言が何故か気になり、アリシアはザドキエルに手紙を書いた。しばらくすると返事が届き、ルーシィを連れてザドキエルの庵を訪ねることになった。

「おひげのおじいちゃん!」

「おお、レグルス。大きくなったな」

「お久し振りです、ザドキエル先生」

 アリシアはルーシィをザドキエルに紹介した。ルーシィは緊張しつつも、精一杯の丁寧な所作で挨拶をした。

 ザドキエルはいつものように珍しい他国のお茶を淹れ、もてなしてくれた。レグルスは庵の中にある珍しい品々に手を触れようとしては「これはだめ」「触っちゃだめ」とアリシアに取り上げられていた。

「レグルス、風の車を上手に動かせるようになったでしょう。おじいちゃんに見せてあげて」

 レグルスは風の車を自在に動かせるようになった。今ではリヒトよりも上手に動かせるほどだ。

「ほう、これは見事だな。レグルス、上手だな!この子は魔力操作が巧いな。大人でも苦手とする者が多いが、幼いながら感覚的に掴んでいるようだ」

 ザドキエルは、別のからくりをレグルスに与えた。風の車よりも繊細な魔力操作が必要になる馬型のおもちゃだ。馬の足を上手に動かせるように頑張ってごらん、とザドキエルが言うと、レグルスは早速遊び始めた。

「さて、これでレグルスはしばらく大人しくしてくれるだろう」

「ありがとうございます、先生」

「それで、ルーシィ君の踊りに何か特別な力があるのではないか…ということだが…」

 ルーシィの剣舞を見た翌日のことだ。

「今朝はなんだか体が軽いな」

 リヒトがぼそっと呟いたのだ。その時は、普段とは違う環境ではあったが、心地良い夜風、煌めく星空、夜の鳥達の低い声などが心を落ち着け、ぐっすりと眠ることが出来たおかげではないかと思っていた。

 だが、天幕を片付けた後もう一度狩りに行き、釣りをして、昼食を摂り、綺麗に後片付けをした後で二時間ほど借り馬車を走らせ、夕方自宅に戻ってからも、疲れが全く出なかったのだ。

「まぁ…それだけでは何とも言えないが…君達はまだ若いしなぁ」

「それを言われると…でも、ルーシィの炎の剣舞をとても神秘的に感じたんです」

「ルーシィ君の魔力はアリシア君よりも高いようではあるな」

 ちょっと失礼するよ、と言って、ザドキエルはルーシィの手を握った。魔力を調べているようだ。

「これは…君は平民だったな。魔力の使い方を学んだことはあるかな?」

「いえ、ありません。今は平民向けの学校で礼儀作法や家事を学んでいるところです」

「貴族ほどではないが、しっかりと魔力を感じる。炎でも、水でも、風でも土でもない。氷か…雷に近いが、どちらでもない」

 アリシアの魔力も属性が分からないと言われたことはある。それは魔力が少なすぎることが理由だった。

「アリシア君の魔力も特殊なものだが、ルーシィ君の魔力もまた特殊だな。一度私にも剣舞を見せてくれないか」

「はい」

 庵の外に出て、少し歩くと開けた場所がある。アリシアは隠しつつ持参した剣をルーシィに渡した。ルーシィは剣に一礼、観者に一礼し鞘から刀身を抜いた。アリシアが介添えとして鞘を受け取った。

 先日の星空の下での炎舞とは異なり、今日は日の光を浴びながらの舞だ。森の中は木々に日が遮られ少し暗い。開けた場所での剣舞は、まるでそこが演劇の舞台の上で、光を浴びているかのように見えた。音楽は森の枝葉が風にそよぐ音と鳥の囀り、獣の声だ。時折、刀身が日の光を反射して煌めくと、凛とした高い音が微かに聞こえた。鈴のような、鐘のような、高く涼やかな音だ。そうして舞の終わりが見え、アリシアはルーシィに鞘を差し出した。

 ルーシィが鞘を受け取り、刀身を鞘に納め礼で締めると、ザドキエルは頷き拍手で称えた。

「素晴らしい。とても剣舞を始めたばかりとは思えない。そしてアリシア君、君は正しかった」

「何か不思議な力が?」

「ルーシィ君、君はおそらく鼓舞の魔力を持っていると思う。希少な魔力だ。この国では、南の辺境領に住む老婦人が持っている魔力だ」

「南の辺境にそんな方が?」

「鼓舞の力は、舞や歌などに魔力を乗せることでしか効力を発揮しない。それ故、この魔力の持ち主は例外なく芸事に秀でている。南の婦人は笛を奏でることで人々を鼓舞する。すると、例えば魔獣討伐前の騎士達なら士気が上がり、魔力が高まり、攻撃や防御の力が高まる」

「凄い、ルーシィの剣舞にそんな力が…」

「だが、存在を広く知られることはない。その希少性故に私欲に溺れた者に利用され使い潰されたり、他国に攫われたり売られるなどの危険があるからだ。南の婦人は辺境伯に保護されている。君はどこで剣舞の稽古を?」

「ノルディア領のニオール神殿です」

「うむ。ニオールの神殿で評判になれば貴族達の耳にも入るだろう。アリシア君、誰か信頼出来る人にルーシィ君を保護してもらった方が良いかも知れない」

「それなら、前タナトス辺境伯のガルヴァロス公が、東の辺境領の伯爵に養女をとらないかと声を掛けていると仰っていました」

「すぐに連絡した方が良かろう。私も一筆書くから同封して欲しい」

「分かりました」

 ザドキエルは髭を撫でながら、嬉しそうに笑った。

「アリシア君、君が庵を訪ねてくれた日から貴重な経験ばかりだ。君の魔力のこと、墨塗りの古文書、古代魔法の解呪に正しい神話、そしてルーシィ君の鼓舞の魔力。この歳で新しい発見に次々と出会えるとは。胸が躍るよ」

 ポクポクと小さな足音がして、ふと足元を見れば、レグルスが馬のおもちゃと遊んでいる。馬の四本の足はぎこちないながらも、可愛い足音を立ててしっかり歩いていた。

「…レグルスの将来も楽しみだ」

 ザドキエルはすっかり目尻を下げ、レグルスの頭を撫でていた。

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