第十話 何が起こっているの
生まれた子供は男児だった。公爵家に嫁いだ者としての務めを果たすことが出来たと、アリシアは少しだけ肩の荷が下りた気がした。ヴィンセントは男女どちらでも構わないと言ってくれたが、義母の目は厳しかったのだ。息子は王族特有の青紫の瞳を持って生まれて来た。これで、お義母様も私を認めて下さるはずだと、アリシアは安堵した。
ふみゃふみゃと枕元で泣き始めた我が子を抱こうとした時、入りますよ、と義母が侍女を引き連れてやって来た。
「アリシア、無事に出産を終えて良かったわ。生まれた子も男児、よく頑張ったわね」
結婚後同じ邸宅に住んでいても、殆ど顔を合わせていない義母から労いの言葉を掛けられると思っていなかったアリシアだが、素直に受け止めることにした。だが、続いて発せられた言葉は到底承服出来ないことだった。
「この子の教育はわたくしが行います。乳も与えなくて結構。乳母も用意しました。申し訳ないけれど、あなたでは公爵家の跡取りに相応しい教育を行えるとは思えないの」
「お、お義母様、それは…」
教育に関しては確かにその通りだと思う。しかし、乳も与えなくて良いとはどういうこと?ヴィンセントは、授乳に関しては好きにして良いと言ってくれていたのに。それにまだ生まれたばかりで、教育も何もあったものではない。アリシアは混乱してなかなか言葉を紡ぐことが出来ない。
「あなたは安心してゆっくりと産褥期を過ごすと良いわ」
そう言いながら赤子を奪うように抱き上げ、去って行こうとする義母マリアンネを、痛む腹を抑えながら追い掛ける。
「お義母様!お待ち下さい!」
「離しなさい、赤子が落ちたらどうするの!」
アリシアが掴んだマリアンネの腕の中には、生まれたばかりの我が子がいる。マリアンネに睨まれ、思わず手を離した。
「ほら、無理をするから悪露が流れているわ。部屋で休みなさい。サティ、アリシアを部屋へ。手当をしてあげて」
マリアンネは振り返らずに去って行く。赤子の泣き声が長い廊下の向こうから聞こえて来て、アリシアは項垂れ泣いた。侍女は優しく肩を抱き、部屋まで連れて行ってくれたが、何も言ってはくれなかった。気の毒そうな顔をしているが、口を挟めるようなことではないのだろう。
「サティと言ったかしら、ありがとう」
悪露の手当をしてくれた侍女に礼を言えば、とんでもございません、と返される。
「ヴィンセント様はまだお戻りにならないのかしら」
「若様は領地の視察が長引いているとのことです」
「そうなの…分かったわ…」
ヴィンセント様が戻ったら、取り成しを頼もう…ああ、痛い…体中痛むし胸が痛いわ…
「若奥様、後ほど軽い食事をお持ちします。どうぞお休み下さい」
寝台に横たわり目を閉じればポロポロと涙が溢れた。…安心?どうやったら安心して休めると言うの?お義母様が私をよく思っていないことは分かっていたけれど、あんまりな仕打ちだわ…
侍女も去り、一人ぽつんと残された部屋で、ただ闇に呑まれていくようだった。
ヴィンセントがアリシアの元を訪れたのは、出産から三日後のことだった。小ぶりな花束と果物をサイドテーブルに置いた後、額にキスを落としてくれた。
「すまないな、アリシア。大変な時に側に居てやれなくて」
優しいヴィンセントの言葉に安心感を覚える。だがその声は少し掠れているようだ。疲れているのだろう。
「お帰りなさいませ。ご無事のお戻りでようございました」
「ここに来る前に子供に会ったぞ。赤子とはあんなに小さく軽いのだな」
と、にこやかに笑う。
「あの、私もう三日もあの子に会っていないのです。私も会いたいのですが、連れて行ってもらえませんか」
「私もそうしてやりたいのは山々なのだが、母上がアリシアに無理をさせるなとうるさくてな」
「我が子に会うのが負担になることなどありません。むしろ元気が出ると思います」
「そうは言ってもな。赤子も可愛いが、私はアリシアとゆっくり過ごしたいのだ。ひと月振りに会ったが、母となりますます美しくなったように思うぞ」
「母親らしいことなど、まだ何もしておりません…」
「まぁ、そう言うな」
ヴィンセントはアリシアを抱き締めた。ふわりと香水が香る。
「少し話そう。アリシアの側は落ち着く。母上にとっても初めての孫であるから、些か気が張り過ぎているのだろう」
そんなことを言われれば絆されてしまう。産後の肥立に良いと言われる薬茶を取り寄せたのだ、とヴィンセントが手ずから淹れてくれたお茶を飲めば、ささくれだった気持ちが和らいだ。
領地の視察の様子など、話を聞くうちに瞼が重くなってくる。無理をさせてはな、とアリシアを寝台に横たわらせ、また来ると言ってヴィンセントは去って行った。




