第9話:呪われた黒炎は、七色の星へ。魔王の「あ〜ん」は抗えない
黄金の城下町『安土』。
事の始まりは、日課である「楽市楽座商店街」の練り歩きを楽しんでいたノエルとランが、偶然にも、鋭い目付きで街の流通を「視察」していたミツルギと鉢合わせたことでした。
活気に満ちた大通りを歩くノエルの背後では、今日一番の「不毛な戦い」が繰り広げられていました。
「……いいですか、ノエル様の『可愛い近衛兵』くん。私は学院時代、彼女が図上演習の最中、誰にも見られぬよう机の下で『異国の花の栞』を大切そうに眺めていたのを知っている。周囲が『大うつけ』と嘲笑う中、彼女だけはまだ見ぬ世界の美しさを夢見ていた。その孤高で可憐な魂を理解しているのは、この私だけだ」
「はぁ!? あなたの脳内にだけあるノエル様の思い出を、二人だけのエピソードみたいに語らないでいただけますか!ボクは昨日の夜、執務で疲れ切ったノエル様が、ボクの点てた『抹茶』を飲んで『……ラン、お前の点てる茶は、いつも心が落ち着くね』って、それはもう聖母みたいな優しい声で微笑んでくださったのですよ! あの慈愛に満ちたノエル様をお守りできるのは、毎日お側にいるこのボクだけです!!」
二人が「自分の方がノエル様の本質をわかっている」という地獄のようなマウント合戦に夢中になっていると、前方から弾んだ笑い声が聞こえてきました。
「あ、ノエル様だー!」
「ノエル様、こちらを! ついに完成いたしました、安土名物『七色金平糖』にございます!」
「わぁ、とても綺麗な色で可愛らしい」
二人が火花を散らしている間に、主君はとっくに視界から消えていました。
ノエルは、屋台を囲む子どもたちの中にすっかり溶け込んでいました。
屋台の奥では、堅牢な鉄製コンロが力強く火を噴き、その上で大きな平鍋がゆっくりと回されています。コンロの中心に鎮座するのは、かつて王都で「異端の象徴」と忌み嫌われた、ノエル自身の力——『不滅の黒炎』でした。
「おじさん、今日もいい火力ね」
「はい! 金平糖は本来、何日も火を絶やさず、職人が付きっきりで熱を管理しなければならない王族の贅沢品……。ですが、ノエル様が作ってくださったこの『黒炎コンロ』の、絶対に消えず、一定の温度を保ち続ける炎のおかげで、魔法が使えない我々でもこうして作り上げることができたのでございます! まさに安土の宝、一生の家宝にございます!」
店主の深く感謝する姿を見つめながら、ノエルはふと、数年前の記憶を呼び起こしていました。
——思い返せば、あの『黒炎コンロ』こそが、この安土の原点でした。
王都を追放され、ノエルが初めてこの辺境の地に足を踏み入れた時。ここは「安土」という名すら持たない、痩せこけた名もなき村でした。
冬の寒さは厳しく、村人たちは凍え、少ない薪を分け合って震えていました。火を起こせる魔法使いは貴族にしか仕えず、平民にとって「温かい食事」や「暖かな部屋」は手の届かない贅沢だったのです。
『……魔法使いなどいなくても、物理法則と理さえあれば、熱は生み出せるわ』
ノエルは、凍える子どもを抱きしめる母親の前に立ち、自らの手に『黒炎』を灯しました。
それは、王都の人間たちが「何もかもを焼き尽くす悪魔の業」「大うつけの呪い」と呼んで忌み嫌った、決して消えることのない漆黒の炎。
村人たちは初め、その不吉な色と圧倒的な熱量に怯え、後ずさりました。
しかしノエルは、その炎をただの石ころに封じ込め、空気の流入量で火力を調整できる簡素な鉄の箱——最初の『黒炎コンロ』を組み上げてみせたのです。
『大丈夫。私の炎は、私が命じない限り誰かを傷つけることはない。……さあ、これでスープを温めなさい』
恐る恐るコンロに鍋をかけた村人たちは、やがて目を丸くしました。
薪も燃やさず、魔力も使わず、ただそこにあるだけで永遠に温かい熱を供給し続ける魔法の箱。冷え切っていた冷水はすぐに沸き立ち、貧しい具材のスープが、これまでにないほど温かく、美味しく煮上がりました。
『……あたたかい。ノエル様、あたたかいです!』
凍えていた子どもが、スープを飲んで花が咲いたように笑ったあの瞬間。
王都で「才能のなり損ない」と蔑まれた令嬢の理が、初めて誰かの命を救い、笑顔を作った瞬間でした。
それ以来、ノエルの黒炎は「呪い」ではなく、魔法の使えない平民すらも豊かにする「慈悲のエネルギー」として街の隅々まで行き渡りました。そして今や、命を繋ぐためのスープだけでなく、手間のかかる宝石のような菓子すらも生み出す、黄金都市『安土』のインフラとなったのです。——
「私のあの黒い炎が、多彩な色の形のお菓子になるなんて。食べるのが少し勿体無いわね」
ノエルは過去の追憶から現在へと意識を戻し、店主が差し出した手のひらの上の、星屑のような金平糖を見つめました。ピンク、ブルー、イエロー……カラフルに輝くそれを一粒、愛おしそうに指先でつまみ、口へと運びます。
カリッ。
小気味良い破砕音と共に、次の瞬間、ノエルの世界が甘さで満たされました。
王都の権力闘争も、領主としての重圧も、すべてがその優しい甘さの彼方へと消し飛ばされます。
「ん……!!」
ノエルは思わず目を見開き、両手を頬に当てました。赤い瞳がキラキラと輝き、まるで初めて雪を見た子供のような、純粋無垢な感激が顔いっぱいに広がります。
「美味しい……! すごい、本当に甘くて、口の中で虹が広がったみたい……!」
普段の冷徹な魔王の仮面はどこへやら、そこにはただ、至高のお菓子に出会って心底幸せを感じている、等身大の「普通の女の子」がいました。甘さに身を震わせ、夢見心地のような、見たこともないほど愛らしくて、無防備な笑顔を浮かべます。
その破壊力抜群の光景に、追いついてきたミツルギとランは、同時に雷に打たれたように足を止め、完全にフリーズしました。
「——ノエル様が……ボクの知らない、とんでもなく可愛いモードに突入している」
ランは抱えていた荷物を危うく落としそうになりながら、口を半開きにして呆然と主君を見つめています。その瞳には、あまりの衝撃に「思考停止」の二文字が浮かんでいました。
「不覚……、学院でずっと見ていたのに。甘いものがこれほどお好きだということも、あのような……あのような隙だらけの顔をするなんて、私は……知らなかった……ッ」
一方で、ミツルギは、震える指先で眼鏡のブリッジを強く押し上げました。
カチ、とレンズの奥で冷徹な理性が火花を散らしますが、網膜に焼き付いた「蕩けるような笑顔」という、あまりにまばゆい『真理』は濁流のように、彼がこれまで心血を注いで積み上げてきた完璧な予測の盤面を、一瞬にして焼き切ってしまいます。
「二人とも、こっちに来てもらえるかしら」
見たこともないほど上機嫌なノエルが、ランとミツルギに向かってひらひらと手を振っています。
ふらふらと、まるで魅入られたようにノエルの元へ歩み寄る二人。
「口を開けて」
「はいっ!」
ノエルの言葉に、ランは何の疑いもなく大きく口を開けました。ノエルがその口にポンと金平糖を放り込むと、ランは目を輝かせて「すごく美味しいです!」と飛び跳ねます。
次にノエルの視線が向かったのは、未だに事態を処理しきれず、オドオドと立ち尽くすミツルギでした。
「……どうしたの、ミツルギ」
「あ、いえ……その……」
珍しく言葉を濁す完璧な軍師に対し、ノエルはふっと目を細め、少しだけドスの利いた、魔王としての威圧感のある声を響かせました。
「……『余』が、口を開けろと言っているんだ」
「ッ……!!」
ビクッと肩を震わせるミツルギ。
しかし視界には、『主君の白い指先』が、『甘い菓子』と共に、『あの至高のご機嫌な笑顔』で、自分の唇のすぐ目の前に差し出されています。
幸福と混乱の致死量に、完璧な軍師の理性はついに完全に崩壊し、喉が「あ、あ……」と情けなく痙攣しました。
「ふふっ。ほら、あ〜ん」
先ほどの冷徹な命令から一転、悪戯っぽい甘い声。
ミツルギはもはや抵抗を諦め、聖遺物でも拝受するかのように、ギュッと目を瞑ってゆっくりと口を開けました。直接指が触れる、その甘美な瞬間を待ちわびて——。
ヒョイッ。
カリッ、と口の中で転がる星屑のような甘さ。
ミツルギの想像していた「指先からのあーん」とは全く違いましたが、主君から直々に投げ与えられた極上の甘味に、ミツルギは結局「……ありがたき、幸せ」と身体が小刻みに揺れていました。
――ちょうど同じ頃、安土の入り口。
王都からの数日にも及ぶ強行軍を終え、燃えるようなオレンジ色の髪を土埃で汚した一人の青年が、愛馬の手綱を強く引き絞っていました。
3人の部下を引き連れた、第12騎士団長、アレンです。
彼が向かっていたのは、王都から遠く離れた地図の端にある「痩せこけた辺境の村」のはずでした。しかし今、彼の茶色の瞳は極限まで見開かれ、立ち尽くしていました。
「……なんだ、あれは……幻術か……?」
喉の奥から絞り出した声は、かすれていました。
荒野の先にあるはずの貧しい村など、どこにもありません。代わりに彼の視界を埋め尽くしたのは、数ヶ月前はなかった、天を突くほどに巨大な白亜と黄金の巨大建造物——『安土城』。
そして、その足元に広がる、王都の何十倍もの活気と莫大な富が渦巻く、信じられないほど華やかな巨大都市の姿だったのです。
「これが……名前もなかったあの村……? 追放されたノエルが、たった数年でこれを……?」
王国への忠誠を誓う生真面目な騎士の『常識』が、音を立てて崩れ去っていく。
アレンは愛馬の首を撫でる手すら忘れ、ただただ、黄金の不夜城を見上げて呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。
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