第10話:崩壊する王国の常識。基本五属性と、魔法を操る『平民(小姓)』たち
「……団長。俺たち、幻術にでも掛けられているんでしょうか」
「俺にもわからん。だが……これは、現実だ」
黄金都市『安土』の大通りを歩きながら、第12騎士団長アレンと三人の部下たちは、完全に言葉を失っていました。
彼らが驚愕しているのは、そびえ立つ安土城の威容だけではありません。
すれ違う平民たちの着ている衣服の質、立ち並ぶ商店に並ぶ豊富な食材。そして何より、街の至る所で赤々と燃え、人々の生活を支えている『黒炎』の存在でした。
「団長、見てください! あの屋台……薪も魔石も使わずに、鉄の箱からずっと火が出ています! しかも、あの肉串、王都の半額以下ですよ!?」
「あっちの道は、泥濘が一切ありません! 見たこともない硬い石で舗装されています……!」
部下たちの報告を聞くたびに、アレンの心には重い鉛のような戸惑いが広がっていきました。
王都は今、聖女エマの熱狂によって民が財産を投げ売り、国庫も底を突きかけている。それなのに、追放されたノエルが治めるこの辺境は、王都を遥かに凌ぐ豊かさを享受していました。
(……ノエル。爵位も何もかも奪われたあの女性が、こんな真似ができるはずがない。……となれば、やはり『奴』か)
生真面目なアレンは、かつて学院で一つ下の後輩として学んでいたノエルに対して、アルフレッド王子の婚約者であるという以外に、特別な愛着も憎しみも抱いていませんでした。
あの日、王都で起きた「献納の儀」での魔法暴走事件。すでに学院を卒業し、騎士団に所属していたアレンも、どうにも反りが合わない軍師として配属されていたミツルギも、その現場には居合わせていませんでした。
事後、王子の命を受けてアレンが直々に祭壇の水晶を調査したものの、そこには『ノエルが意図的に魔法を暴走させた』という証拠は一切でてきませんでした。
「疑わしきは罰せず」。そう報告したアレンだったが、聖女エマに魅了された王都の熱狂は止まらず、ノエルは国を裏切った魔女として追放されてしまいました。
だからこそ、アレンにとってのノエルは「不運な事件で全てを奪われた、哀れな公爵令嬢」に過ぎない。学院時代に知る彼女は、あまり話したことはないが真面目で可憐な少女に見えた。あのような令嬢が名前すらない辺境の村に追放されたのだから、あまりのショックに打ちひしがれ、今はただひっそりと、慎ましく生きているはずだとばかり思ってました。
そんな失意の底にあるはずの後輩が、たった数年でこんな巨大都市を創り上げることなど、到底信じられるわけがない。
彼の思考はすぐに、この地に先行しているはずの「宿敵」へと向かいました。
(ミツルギ……! 学院時代から常に俺を見下してきた、あのインテリ野郎。奴が失意のノエルを操り人形にして、この街の富を裏で牛耳っているのか!? だから王都への報告も絶っているというのか……!)
ギリッ、とアレンが奥歯を噛み締めたまま、一行は安土城へと続く広大な内堀の門へと辿り着きました。
そこには、重厚な鎧を着た衛兵……ではなく、お揃いの簡素で動きやすい漆黒の服を着た、まだ十代半ばほどの少年たちが数人、談笑しながら立っていました。
「……子供? なぜあんな少年たちが城の門番などしている」
いぶかしげに眉をひそめながら、アレンは馬から降り、少年たちに向かって歩み寄りました。
「道を開けよ、少年たち。俺は王都より参った第12騎士団長、アレンだ。この街にいるはずのミツルギ、そして領主のノエルに——」
「あ、ストップ。許可のない武装した人間は、この門を通しちゃダメって言われてるんだよね」
アレンの言葉を遮ったのは、そばかすのある茶髪の少年でした。
騎士団長という肩書きを聞いても全く怯む様子がない。それどころか、少年が手にした箒を軽く振るうと、地面の水たまりがフワリと宙に浮き上がり、門の前の汚れを自動的に洗い流し始めました。
「なっ……!?」
アレンと三人の部下は、硬直した。
「ま、魔法……!? 貴様ら、平民ではないのか!?」
「ん? 平民だけど。僕たちはノエル様直属の『小姓』だからね。ほら、トマス、お客様の馬を預かって」
「了解ー。……よっと」
別の少年が指を鳴らすと、今度は土が隆起し、馬を繋ぎ止めるための杭が瞬時に出来上がりました。
水魔法に、土魔法。
この世界において、魔法とは絶対的な「血筋の証」である。
『炎・水・風・土・雷』の基本五属性、そして聖女のみが扱うことを許された奇跡の力『光(聖女魔法)』。ノエルが宿した『黒炎』のような特異な亜種こそ極稀に存在するが、大前提として、魔法とは高貴な血筋を持つ貴族にのみ与えられる神聖な力だ。「平民の体内に魔力など一滴も存在しない」というのが、王国の定めた揺るぎない常識でした。
それなのに、目の前の平民の子供たちは、息をするように魔法を日常の雑務に使っていました。
アレンの頭の中で、絶対の常識が音を立てて崩れ落ちていく。
(まさか、これもミツルギの仕業か!? 奴が禁忌を犯して、平民に魔法の理を……!)
アレンが混乱の極致で腰の剣に手を掛けようとした、その瞬間。
「——城の入り口で、騒がしいですね。王都の騎士は、礼儀も忘れてしまったのですか」
冷たく、しかし澄んだ声と共に、一陣の鋭い突風がアレンたちの足元を薙ぎ払いました。
「うわっ!?」と部下たちがたたらを踏む中、風の中心から一人の青年が姿を現す。
月光のようなライトブルーの髪を揺らし、グレーの瞳に鋭い警戒心を宿した、誰よりも洗練された身のこなしの美青年——筆頭小姓のランでした。
「……ッ、強力な『風』の魔法……! 貴様も、ミツルギの手駒か!?」
アレンが敵意をむき出しにして睨みつけると、ランは一瞬ポカンとし、直後に心底不愉快そうに眉をひそめました。
「はぁ? ミツルギの手駒? それだけは一生ありえません。僕はノエル様の小姓、ランです。……王国の貴族様方には理解できないでしょうが、ノエル様が僕たち平民の中にある『才』を見出し、魔法の理を与えてくださったのです」
「ノエルが……だと!? 馬鹿な! 彼女は全てを失った哀れな令嬢だぞ! 全てはあのミツルギが裏で糸を引いているに決まっている!」
ミツルギへの対抗心と、崩壊していく古い常識に縋り付くように叫ぶアレン。
その言葉を聞いた小姓の少年たちは、憐れむようにクスクスと笑い声を漏らしました。
「何も分かってないね、王都の騎士団長様は」
「あの軍師殿だって、ノエル様の手のひらの上で転がされてるだけなのにさ」
「……なんだと!?」
彼らの瞳には、王都の騎士に対する畏れなど微塵もない。あるのは、ただ一人の主君「ノエル」への絶対的な忠誠心と、実力主義の街で培われた圧倒的な自信だけでした。
「……くっ!」
アレンは奥歯を強く噛み締めました。
追放された哀れな後輩と、自分を見下してきた宿敵の軍師。彼らがこの黄金都市で、一体どんな力関係にあるというのか。
「武器を預けてもらいましょうか、王都の騎士殿。ノエル様が、天守閣でお待ちです」
ランの周囲で、目に見えない無数の風の刃が威嚇するように渦巻く。
(……落ち着け、挑発に乗るな。俺は戦いに来たわけではない、王都の使者だ。ここで事を構えて『税の交渉』という本来の任務を見失っては、ミツルギの思う壺だ……!)
アレンは抗議の言葉を飲み込み、真実を、そして宿敵ミツルギの企みを暴くべく、重い足取りで黄金の城の中枢へと足を踏み入れていくのでした。




