第6話:魔王の恩賞は深紅の雫。かつての『先輩』を安土に酔わせ、裏で『三段銃』を精錬す
安土城の建設。その縄張りを任されたミツルギにとって、この数日間は驚きと愉悦の連続でした。
彼は宿舎の机に向かい、宙に何十もの魔導陣を展開していました。設計図を作るのにペンを握る必要すらありません。彼の琥珀色の瞳が光るたび、魔力で編まれた半透明の設計図がリアルタイムで書き換えられ、構造上の脆弱性や資材の搬入経路が瞬時に算出されていきます。
「……ふむ。この断崖を削り、堀として引き込めば、王国の重装騎兵は一歩も立ち入れない。さらに、この街道の関所を城門の直下に移せば、王都へ向かう物流の八割を、ノエル様が掌握することになる」
ミツルギの恐ろしさは、単なる計算速度に留まりませんでした。彼は現場の各所に放った魔導の「目」を通じて進捗を完全に把握し、最適な人員配置を指示します。魔法による正確な工期予測と、それに基づいた報酬体系を提示することで、荒くれ者の職人たちを完全に心服させ、建設現場の士気を極限まで高めていったのです。
「素晴らしい。これぞ、既存の魔術体系と腐敗した王宮を嘲笑う『新世界の拠点』だ」
特筆すべきは、彼の仕事に一点の曇りも、手抜きもないことでした。ノエルが観察する限り、ミツルギが組む魔導陣には一切の細工がなく、資材の強度も防衛網の配置も、本物でした。彼は今、この地に世界一の城を築くことに、軍師としての全霊を捧げていました。
特に彼が心血を注いだのは、天守閣の構造でした。中心部を貫く大胆な「吹き抜け構造」。そこにノエルの好みを鋭く洞察したミツルギは、異国情緒を織り交ぜるよう指示を飛ばしました。ある日の検分中、ミツルギは未完成ながらも圧倒的な威容を誇る天守の内部へノエルを促します。
「……いかがでしょうか、ノエル様。この内装は、遠く海の向こうの様式を取り入れたものです。完成の暁には、この吹き抜けを黄金と白亜の装飾が埋め尽くすことでしょう」
ノエルは一瞬だけ目を細め、広大な空間を見渡すと、満足げに不敵な笑みを浮かべました。
「ふふ……。ミツルギ、なかなか良い趣味をしているわ。わたくしが『派手』を好むことをよく理解しているようね。ええ、この城の主に相応しい舞台だわ」
「光栄です。……伊達に学院時代、同じ戦術クラブであなたの『先輩』をしていたわけではありませんからね」
ミツルギは恭しく一礼しました。
「あの頃から、あなたには驚かされてばかりでした。……もっとも、勝負自体で私が負けたことは一度もありませんでしたがね。それでも、盤上のセオリーを根底からひっくり返すような、あなたの『面白い戦術』の数々には、よく嫉妬したものです」
ミツルギは、かつての記憶を反芻するように琥珀色の瞳を細めました。
「私を全く退屈させないあなたに相応しい舞台は、王宮のような型にハマった古臭い石造りの棺桶ではないと、ずっとそう思っておりました」
ノエルに褒められた際、その眼鏡の奥の瞳が、微かに、けれど確かに熱く潤んだのを彼女は見逃しませんでした。
検分を終えようとしたその時、ノエルはふと思い出したように足を止めました。ランが影から取り出したのは、深紅の布に包まれた、見たこともない形状の硝子瓶でした。
「ミツルギ。連日の夜を徹しての演算、苦労をかけるわね。これはわたくしからの前祝いよ」
受け取った瓶の中では、宝石を溶かしたような深い紅色の液体が揺れていました。
「……これは、もしや葡萄酒ですか? しかし、これほどまでに澄んだ色は見たことがありません」
「ええ。わたくしがドワーフの里で見つけた、魔力を帯びた葡萄を精製させた特製品よ。一口飲めば、枯渇した魔力回路を瞬時に癒やし、思考を明晰にする。あなたなら、この『価値』がわかるでしょう?」
熟成と魔力付与を組み合わせた、いわば未来の嗜好品。
ミツルギが両手で恭しくその瓶を受け取った、その瞬間でした。
傍らに控えるランの眼差しが、氷のように鋭くミツルギを射抜きました。無言のまま腰の短剣に添えられた指が微かに強まります。
ミツルギは、その殺気じみた視線に気づきながらも、ノエルからは死角となる位置で、ランへ向けてほんの一瞬だけ、挑発するように口角を上げました。
そしてそのまま、すっとノエルへ距離を詰め、かつての『無敗の先輩』としての口調でささやいたのです。
「……ノエル。この黄金の城が完成した暁には、これを一緒に飲んではくれないか」
声には、軍師としての冷徹さとは違う、学生時代から隠し持っていた知的な狂熱と執着がドロリと混じっていました。
ノエルは表情を崩すことなく、ただ面白そうに目を細めてみせます。
直後、何事もなかったかのように距離を取ったミツルギは、再び恭しく頭を下げました。
「……素晴らしい。この香りの奥行き、そしてこの魔力密度。王宮の酒とは比較にもなりません」
ミツルギは、贈られた瓶を愛おしげに抱え、ノエルの「気遣い」に、これまでにないほど強く心臓を突き動かされます。彼の忠誠は、この瞬間に「利害」から「心酔」へと、その色を変え始めていました。
ミツルギは喜びに浸っていました。自分がこの安土という巨大な心臓を動かす、唯一の知恵者であると。しかし、ノエルは彼を『村』に住まわせ、決して自らの屋敷へは一歩も立ち入らせませんでした。彼女の絶対的な『内側』に入ることを許されているのは、世界でただ一人、ランだけなのです。
――その日の深夜。
静まり返った執務室で、ノエルはその「ただ一人」であるランを背後に従え、短く問いかけました。
「ラン。ミツルギの様子はどう?」
「……不敵な男です。村の商人たちと酒を酌み交わし、安土の物流ルートを完全に把握しようとしています。ですが、監視は怠っていません。彼はまだ、ここが単なる『豪華な城の建設現場』だと思っています」
「そう。……なら、いいわ。彼が現場の指揮で浮き足立っている間に、わたくしたちは『仕上げ』に入るわよ」
ノエルは、執務室の奥にある隠し扉を開きました。そこには、前世の記憶とドワーフの精錬技術、そしてノエルの独創性が生んだ世界初の魔道具――黒光りする細長い筒が横たわっていました。
――『三段銃』。
この国の魔術師にとって、魔法は掌から放つ「個人の技」でしかありません。しかし、ノエルの手にあるのは、魔法を物理的な破壊力へと変換し、誰にでも死をもたらすことを可能にした世界初の魔道具でした。
魔法を直接放つのではなく、道具を介して「誰でも」同じ破壊力を行使できる仕組み。これは、この世界の常識を根底から覆す革命でした。
ノエルの「黒炎」で火薬を作り、ランの「風」の力で音もなく弾丸を飛ばす仕組み。
それは、ノエルとラン、二人がいなければ決して形にすることすら叶わなかった、唯一無二の武器でした。
村の発展は、あくまで表向きの顔。
積み上がった黄金を狙い、いずれ王族や貴族が「正義」の名を借りて踏み込んでくる――。ノエルは、あの日追放された瞬間から、そんな「いざという時」が必ず来ることを確信していました。その日のために、彼女は誰にも悟られぬよう、着々と準備を重ねてきたのです。
ミツルギには派手な「安土城」を造らせて囮とし、その裏で、いざという時のためにこの銃を準備していたのです。鋭敏なミツルギには絶対にバレてはいけない、極秘の切り札でした。
「安土城は、あくまで巨大な『盾』。この銃こそが、わたくしの『矛』となる。……いざという時は、誰にも気づかれずに、すべてを終わらせてあげるわ」
ノエルの赤い瞳には、軍師さえも手の平で転がし、頂へと登り詰める魔王の光が宿っていました。
信長令嬢の続きが気になっていただけたら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
ブックマークもいただけると本当にうれしいです。
何卒よろしくお願いいたします。




