第30話:第六天魔王 ノエル・オーディン・ド・アトラス
黒炎の竜巻『ホトトギス』によって敵の主力部隊と戦車が完全に消し飛び、戦意を喪失した数万の大軍勢は完全に崩壊しました。
「追撃はここまでよ! 降伏する者は捕虜にしなさい。無駄に殺す必要はないわ」
泥だらけになって逃げ惑う敵兵たちを見下ろしながら、ノエルは冷静に指示を出しました。
「ただし! 武器と鎧は残らず剥ぎ取りなさい。上質な鉄は、安土の貴重な資源になるからね!」
ただの情けではなく、しっかりと経済的利益を計算した悪魔のような命令に、捕虜となった兵士たちは涙目で次々と身ぐるみを図られていきます。
「やれやれ……。しかしノエル様、あの規模の軍勢です。一体どこの国が、どのような目的で……ん?」
捕虜の武装解除を指揮していたミツルギが、ふと眉をひそめました。
屈強な兵士たちの分厚い鎧を剥ぎ取った下から現れたのは、通常の鎖帷子や軍服ではありませんでした。
「ノエル様、これは……新種の呪いの装備でしょうか?」
ミツルギがひきつった顔で指差した先。
彼らの下着姿――正確には、鎧の下に着込んでいた布の胸元には、どれもデカデカと『満面の笑みを浮かべたエマの顔』がフルカラーの魔法印刷でプリントされていたのです。
さらに、兵士たちの首からは『エマちゃん命』と謎の言語で彫られた木札が下げられ、ポケットからは大量のブロマイドや、ノエル自身が作った例の『七色の杖』までこぼれ落ちました。
「お、俺のエマ様がぁぁぁっ!」
「踏まないでくれ! 今はもう手に入らない初回限定版ブロマイドなんだ!」
地面に散らばったグッズを見て、捕虜の兵士たちが血相を変えて悲鳴を上げます。
「……ちょっと、あんたたち」
ノエルは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、一番偉そうな装飾の鎧を着ていた部隊長らしき男を睨みつけました。
「どこの軍かは知らないけど、なんでこんなふざけた格好で戦争にきてるのよ。正直に吐かないと、そのシャツごと燃やすわよ」
「ひぃぃっ! ゆ、許してくれ! 我々はガリアス帝国の正規軍だ!」
部隊長は、ノエルの放った『ホトトギス』のトラウマからガタガタと震え上がり、あっさりと全てを自白し始めました。
「我々だって、こんな恥ずかしいシャツを着て戦いたくはなかった! しかし、我が国王が……エマ様の狂信的なファンで……っ!」
「狂信的な……ファン?」
「そうだ! 『愛しのエマちゃんを泣かせる安土の街を火の海にしてこい! これは女神の加護がある公式ツアーTシャツだ、全員必ず着用しろ!』と……っ! 逆らえば反逆罪で処刑すると言われて、泣く泣く……!」
「「「…………は?」」」
ノエル、ミツルギ、ラン、そして周囲の小姓たちの呆れた声が、完全に一つに重なりました。
王国一の天才軍師であるミツルギが、どれだけ政治的・軍事的な背景を推理しても答えが出なかった理由。それは、この数万の大軍勢による侵略が、領土拡大でも資源略奪でもなく――ただの『厄介オタクによる暴走』だったのです。
「……信じられない」
ノエルは、あまりのくだらなさと、一国の軍隊を己の私怨の道具にするエマの想像を絶する身勝手さに、深い深いため息をつきました。
「あの女……自分のシノギが減った腹いせに、他国の軍隊をけしかけてきたってわけ……?」
「……はい、ノエル様。いかがいたしましょう。あまりに非論理的な動機すぎて、軍師としての私の矜持がバラバラに砕け散りそうです」
圧倒的な大勝利の余韻は、信じられないほどアホらしい真実によって、綺麗さっぱり吹き飛んでしまったのでした。
一方その頃、王都の秘密の館で、ガリアス帝国王に抱かれながら勝利を確信していた聖女エマは、不意に背筋に走った強烈な悪寒に身を震わせました。
「……エマちゃん、どうしたんだい? 寒いのかな、もっと近くにおいで」
「い、いえ……何でもありませんわ……」
エマは愛想笑いを浮かべながら、胸のざわつきを抑えられずにいました。
まさか、自分が送り出したガリアス帝国の精鋭たちが、ノエルの前でパンツ一丁にされているとは夢にも思わずに――。
しかし、その不安は数時間後、最悪の報告によって現実のものとなります。
ガリアス王の側近が、真っ青な顔で一通の書状を部屋に持ち込んできたのです。
「き、国王様……安土の領主、ノエルより早馬で親書が届きました。……内容は、我らガリアス軍への宣戦布告、ならびに被害賠償の請求です」
「なんだと!?」
エマは王の腕を振り切り、震える手でその手紙を奪い取りました。そこには、見る者の心を凍らせるような、凛とした、しかし冷酷な文字が並んでいました。
『ガリアス帝国王、ならびに影で糸を引く「自称・聖女」へ。
我が領土・安土への不当な侵略行為、しかと受け取ったわ。
貴殿らの送り出した数万の軍勢は、現在我が街でパンツ一丁の強制労働に従事している。
武器も、鎧も、プライドも、すべて私が没収した。
これ以上の対抗を望むなら、次はガリアス帝国を安土の「三段銃」で蜂の巣にし、漆黒の炎で焼き尽くしてあげてもいいわよ。
命が惜しければ、首を洗って賠償金を待ちなさい。
追伸:エマ。自分のシノギのために他国を引き入れ、仮にも自国の領地を焼こうとした事実は、すでにプレリュード国王へ報告済みよ。さようなら、哀れな聖女。
――安土城主、第六天魔王 ノエル・オーディン・ド・アトラス』
「…………っ!!」
エマの指先が、ガタガタと音を立てて震えました。
手紙の最後に刻まれた、あまりにも不吉で、圧倒的な勝者の称号。
どう見ても日本の古き街並みを再現したような安土の光景、あの三段撃ち、そして「第六天魔王」。歴史に疎かった転生者であるエマの中で、ようやく全ての点と点が一本の線で繋がりました。
(……織田信長じゃねぇかっ!!!!!?!?)
自分が一体、誰に喧嘩を売ってしまったのか。
一国の軍隊を『資源』として平然と喰らい、他国と自国のパワーバランスすら手の平で転がす、恐ろしいまでの戦慣れを見せる覇道。
日本人なら誰でも知っている、一番有名なあの武将の再来。
そして、自国の領地を他国に攻撃させた事実が王宮にバレれば、待っているのは聖女の座ではなく、国家反逆者としての断頭台です。
「逃げなきゃ……! ここにいたら、本当に殺されるわ……っ!」
エマは隣で腰を抜かしているガリアス帝国王に見向きもせず、王宮の通路へと飛び込みました。
※※※
夜のガリアス帝国、汚泥の臭いが漂う薄暗い裏路地。
エマは泥にまみれ、美しいドレスの裾をボロボロに引きずりながら、死に物狂いで走っていました。背後からは王宮の追っ手の足音が聞こえてくるような幻聴に襲われ、一刻も早くこの国を脱出しなければという焦燥感に支配されていました。
しかし、路地の出口を塞ぐように、松明を持った一団が音もなく立ちはだかりました。
「……ああ、エマ様だ。やっぱりエマ様だ……! 見てください、こんな暗い路地で巡り会えるなんて、神様が僕たちにくれた最高のファンサービスですよ!! ねぇ、そうでしょう……?」
そこにいたのは、自分を守るべき騎士ではありませんでした。かつてエマに全財産を注ぎ込み、人生を狂わされた末に、光を失った虚ろな瞳をした男たちでした。
「どいてよ! 邪魔よ、この家畜どもッ!」
焦りから、エマは本性を剥き出しにして叫びました。しかし、男たちは顔色一つ変えません。
「家畜……? ひどいなぁ。僕たちは、家も土地も売って、そのお金でエマ様のグッズをこんなにたくさん買ったのに……。ねぇ、見てくださいよ、これ」
一人の男が、濁った瞳で一歩前に出ました。その手には、料理人の衣装を着て愛嬌を振りまくエマのイラストがラッピングされた、鋭く光る包丁が握られていました。かつて「エマちゃんとお揃いクッキングセット」として高値で売りつけた、公式グッズです。
「こんなところで一人きりなんて、可哀想に。……でも安心してください。僕たちが、エマ様をずっと『守って』あげますから」
「……え?」
男たちの顔には、狂気と恍惚が入り混じった、ヘドロのような笑みが浮かんでいました。
「エマ様は、僕たちだけの聖女だ。誰にも渡さない……」
ゾッとするような執着の言葉と共に、狂信者たちが一斉にエマに飛びかかりました。
「離して! 触るんじゃないわよ! あたしはトップアイドルなのよッ!! 離しなさいッ!!」
エマの絶叫は、汚泥の匂いが漂う裏路地の闇へと虚しくかき消されました。
「いやぁああああああああああ!!!!!!!!」
かつて自分が「便利な財布」として搾取し続けてきたファンの執着。
歪んだ愛という名の鎖が、エマを永遠に逃げ場のない地下へと繋ぎ止めたのでした。




