第29話:楽しい楽しい!桶狭間♡♡♡
『……ヒュデ? 聞こえているの?』
「…………っ!」
電話越しにノエルの声を聞いたヒュデは、あまりの感動と驚きに、近くに王族が控えていることすら完全に忘れてしまいました。堰を切ったように、大興奮でまくし立て始めます。
「嘘でしょ!? 本当に遠くの人と会話できるなんて、驚いたよ! というか、殿下が直接僕の質屋にやってくるなんてさ! さっき自己紹介されて心臓が止まるかと思ったよ! しかもこんなとんでもない魔道具を――」
ヒュデが興奮気味に喋り続けていた、まさにその時でした。
魔導電話の向こう側から、切羽詰まったランの叫び声が割り込んできたのです。
『ノエル様! 安土に正体不明の……! 敵は圧倒的な……です!』
「……え?」
あまりの不穏な報告にヒュデが絶句する中。
『……そう。分かったわ』
ノエルのひどく冷たく、静かな声が響いたかと思うと。
――ブツッ。
ヒュデが言葉を失っている最中にもかかわらず、通話は無慈悲に、一方的に切断されました。
「……えっ? ちょっと、ノエルちゃん!?」
ツー、ツーという無機質な音と、ヒュデの戸惑う声だけが、王都の質屋に虚しく響きました。
※※※
黄金都市・安土の城壁外。
地平線を黒く塗りつぶすほどの大軍勢が、土煙を上げて安土へと迫っていました。その数はざっと数万。安土の防衛戦力とは比較にならない、圧倒的な暴力の波です。
どこの国の軍なのか、一体誰が差し向けたのか、現時点では全くの不明。しかし、玉座から戦場を見下ろすノエルにとって、そんなことは些末な問題でした。
「……相手が誰であろうと関係ないわ。この安土に攻め入る者は、誰であっても等しく焼き払うだけよ」
冷徹な魔王の瞳は、ただ冷酷に、そしてどこか楽しげに『獲物』を見据えていました。
「ノエル様、軍の指揮なら私にお任せください」
キラリとインテリ眼鏡を光らせ、軍師ミツルギが一歩前に出ました。
彼の背後には、安土の平民から見出された『小姓』の少年少女たちが、整然と隊列を組んで並んでいます。武器を握る彼らの手は小刻みに震え、じっとりと汗ばんでいました。
日頃から厳しい訓練を積んでいるとはいえ、本当の戦争を経験したことのない彼らにとって、王都で名を馳せている『天才軍師』が今この最前線に立ってくれているということは、何よりも心強いことでした。
「ミツルギ先輩、頼もしいわ!流石ね」
ノエルの言葉に、ミツルギは不敵な笑みを口元に浮かべて眼鏡を押し上げます。
ノエルの真の恐ろしさは、軍師としての知略もさることながら、緻密な情報収集による徹底した『準備』と、常識外れの新しい発想にあります。戦いが始まる前からすでに勝敗を決してしまうほどの盤面構築力、そして運すらも味方につける勝負勘の強さこそが彼女の最大の武器でした。
しかし、純粋な『軍の動かし方』――つまり現場での戦術指揮という一点においてのみ言えば、ミツルギは王立学園の戦術クラブ時代から、ただの一度もノエルに負けたことがないのです。
この非常事態において、かつての先輩である彼が偶然にも安土に滞在していたことは、ノエルにとっても幸運でした。
「放て!!」
ミツルギの号令と共に、小姓たちが一斉に魔法を撃ち放ちました。炎、水、土、嵐が、最前線の敵兵を次々と吹き飛ばしていきます。
平民でありながらノエルに魔法の理を叩き込まれた彼らは、王都の騎士にも引けを取らないほど優秀でした。……しかし、彼らはまだ子供も多く、魔力総量にはどうしても限界がありました。
「……はぁっ、はぁっ……!」
「魔力が、もう……!」
数分と経たないうちに、小姓たちは次々と膝をつき始めました。圧倒的な大軍を前に、未成熟な彼らの魔力はあっという間に底を突きかけていたのです。
「ふん。やはり子供の魔力では長続きしないか。……私も久しぶりに、前線に出るとしよう」
ミツルギは嘆息すると、懐から指揮棒を引き抜きました。
次の瞬間、彼の周囲の空間がぐにゃりと歪み、巨大な『水の竜』が咆哮を上げて顕現します。それは大軍の只中へと突っ込み、数百人の兵士を濁流の底へと飲み込みました。
さすがは王国の軍師。その高位の水魔法の凄まじい威力に、進軍していた敵軍が一時的に怯みます。
ミツルギが眼鏡を押し上げ、優越感に浸ろうとした――その時でした。
「あら、頭だけの男かと思っていたけど、魔法の腕もぜんぜん鈍っていなかったようね。ミツルギ先輩」
背後から聞こえた冷酷で楽しげな声と共に、凄まじい轟音が戦場を揺るがしました。
ダァァァァンッ!!! ダァァァァンッ!!! ダァァァァンッ!!!
ミツルギの横をすり抜けた見えない『何か』が、遥か遠方にいる敵の重装甲の騎士たちを、強固な鎧ごと紙くずのように撃ち抜いて粉砕したのです。
「あー、気持ちい〜! ふふっ、これ、一度実戦で思いっきりぶっ放してみたかったのよね」
ノエルは、先端からツンとした匂いの硝煙を上げる、黒光りする長い鉄の筒――『三段銃』を肩に担ぎ、極上の笑みを浮かべていました。かの有名な信長の『火縄銃』の鉄砲三段撃ちを、一つの銃で三つ撃つことを可能にさらに進化とげた代物でした。
「な、何ですかそれは!? 魔法陣もなしに、それほどの威力を……!?」
この秘密兵器の開発を完全に秘匿されていたミツルギは、知性的な顔を驚愕で歪め、目を丸くしてノエルを見ました。
「お待たせしました、ノエル様!」
「お姉様! 注文の品、持ってきたよー!」
呆然とするミツルギをよそに、ランとヤスミンが数台の重そうな荷馬車を引いて駆けつけてきました。掛けられていた布がめくられ、中から現れたのは、大量に積まれた『三段銃』の山です。
「みな聞け!!魔力が切れたものはこれを取りなさい!休むことは許しません!!」
「引けーーー!!!」
ノエルの冷徹で通る号令が、安土の空に響き渡りました。
直後、戦場に連続した爆音が轟きます。
ダダダダダダァンッ!!
第一列の小姓たちが放った見えない凶弾が、敵の分厚い魔法防壁を紙切れのように貫き、最前線の兵士たちを次々と薙ぎ倒していきました。撃ち終えた者が素早く後退すると、間髪入れずに第二列、第三列が進み出て引き金を引き、途切れることのない死の弾幕を形成します。
魔法の詠唱も、膨大な魔力も必要としない、未知の兵器による圧倒的な暴力。数万を誇った敵軍が瞬く間に恐慌状態へと陥り、波が引くように崩壊していくその凄絶な光景を前に――。
「そんなもの、いつの間に作っていたんだ!? 私は何も知らないぞ!!!」
彼にしては珍しくパニックを起こして叫ぶミツルギに対し、ノエルは悪戯っぽく微笑み、昔ヒュデに習ったアイドル顔負けのウインクをしながら言いました。
「ただの『魔道具』ですのよ♡」
「……なっ!」
ノエルは右手を額にかざし、片目を瞑って遥か先の戦場を見渡しました。
「さて、そろそろとどめの一撃、喰らわしましょうか」
余裕の笑みを浮かべたまま、ノエルは傍らに控える少年の名を呼びます。
「ランッ!」
「はい、ノエル様」
呼ばれたランが一歩前に出ると、彼の周囲に凄まじい風の魔力が渦巻き始めました。
風は火を煽り、火は風によってさらに猛る――。二人の魔法の相性は、まさに戦場を焼き尽くすための最悪にして最高の組み合わせでした。
「僕の風は、ノエル様を燃え上がらせるためだけのものです」
ランが両手を前に突き出し、前方の空間に暴風のトンネルを作り出したその瞬間。
ノエルの全身から、周囲の光すらも喰らい尽くすような『漆黒の炎』が爆発的に吹き上がりました。
「殺してしまえ、ホトトギス!!!」
魔王の如きノエルの苛烈な叫びと共に、極大の黒炎が放たれました。
それはランの生み出した暴風に乗り、凄まじい推進力を得て戦場の遥か奥へと吹き飛ばされていきます。
ゴォォォォォォォォッ!!!
風の勢いに乗って巨大な炎の竜巻と化した黒炎は、敵陣の後方に陣取っていた重装甲の戦車の群れへと直撃しました。
一瞬の出来事でした。鉄の塊であったはずの戦車部隊は連鎖的に大爆発を起こし、周囲の兵士たちも絶叫を上げる暇すら与えられず、すべてが一瞬にして真っ黒な灰へと変貌したのです。
「無茶苦茶だ!!!!!!」
ミツルギの魂の叫びが、焦げ臭い風の中に虚しく響き渡りました。
緻密な陣形も、地の利も、相手の心理を読む駆け引きも。この圧倒的すぎる力と理不尽な暴力を前にしては、軍略など何の意味も持たない。
王国一の天才軍師と呼ばれた男は、自身の信じてきた戦場の常識が文字通り灰燼に帰すその光景を前に、ただ呆然と立ち尽くして見ることしかできませんでした。




