第28話:隣国を動かす『独占ライブ』と『質屋の珍客』
隣国の中にも、エマの熱狂的なファン――いわゆる『ガチ恋勢』のトップオタクが存在していました。
エマはすぐさま行動を起こし、隣国の最も権力を持つ王族を、『特別なあなたのためだけの、極秘の独占ステージ』と称して隣国ガリアス帝国に出向きました。
薄暗く、しかし最高級の魔石灯で妖しくライトアップされた秘密の地下ステージ。
そこに招待された隣国ガリアス帝国の王は、豪華なVIP席に座りながら、荒い息を吐いて興奮を隠しきれずにいました。
エマはたった一人の観客のために、数万人のドーム公演と全く同じ、計算し尽くされた完璧なパフォーマンスを披露しました。
「おおおおっ! エマちゃぁぁん!! 最高だぁぁ!!」
威厳あるはずの王は、今や完全に一人の狂信的なオタクと化し、顔を真っ赤にして叫んでいました。
そして、ライブが終わった後の『VIP限定の特別営業』こそが、エマの真骨頂でした。
別室の最高級スイートルーム。
薄暗い照明の中、エマは少し胸元の開いたシルクのドレスに着替え、王の隣にぴったりと寄り添って座りました。
「……今日は遠いところから来てくれて、本当に嬉しいです」
甘い香水を漂わせ、エマは極上の高級ワインを王のグラスに注ぎます。
「あたし……あなたにだけは、本当の悩みを打ち明けられる気がして……」
涙ぐんだ瞳で見つめ上げ、彼のたくましい腕にそっと身を委ねました。密着する柔らかな体温と、耳元で囁かれる甘い吐息。アイドル時代の巧みなボディタッチと『魅了』の魔法のコンボに、王は完全に理性を奪われ、メロメロになっていました。
「おお、我が愛しのエマよ! この私のためだけに素晴らしい歌を披露してくれた、麗しきそなたを苦しめる悩みとは一体何事だ?」
王はエマの肩を抱き寄せ、力強く胸を張って宣言します。
「この我が、その強大な権力と財力をもって、すべてを解決してやろうではないか!」
エマは心の中で(よし、食いついた!)と嘲笑いながら、震えるような弱々しい声で訴え始めました。
「魔法は、選ばれた尊い貴族様だけの特権のはずなのに……プレリュード王国の北にある『安土』っていう田舎の平民たちが、魔道具なんていうズルをして生意気にいきがっているんです」
エマは王の胸に顔を埋め、ポロポロと本物の涙を流して見せました。
「あんなもの、世界の秩序を壊す『魔女の呪い』です! しかも、あいつら……あたしの大切なファンたちを騙して、魔道具を売りつけてお金を巻き上げているんです」
「な、なんということだ……!」
「そのせいで、あたしの活動資金まで減ってしまって……」
エマはさらに体をすり寄せ、上目遣いで王の瞳を真っ直ぐに射抜きました。
「このままじゃ、あなたのために新しいドレスを作って歌うこともできなくなっちゃう……!」
「断じて許せん……!」
エマの涙ながらの訴えを聞き、王の瞳に、暗く激しい怒りの火が灯りました。彼は立ち上がり、腰の剣の柄を強く握りしめます。
「愛しいそなたから笑顔を奪い、あまつさえその尊きアイドルの活動を邪魔し、資金を枯渇させるなどと! 安土とやら、決して生かしてはおかん!」
王は血走った目で南の方角を睨みつけ、恐ろしい決断を下しました。
「エマよ、もう案ずることはない。我が精鋭なる軍勢を差し向けようぞ!」
「えっ……軍勢を、ですかぁ?」
「うむ! その生意気な平民どもの街など、一息に火の海にしてくれるわ! 魔道具の工場ごと叩き潰し、そなたの元へ再び富と笑顔を取り戻してやろう!」
「本当ですかぁ!? あぁん、あなたって本当に強くて頼りになりますぅ! 世界で一番大好き!」
エマが満面の笑みで背伸びをし、王の首に腕を回して抱きつくと、彼はさらに熱狂し、安土への進軍の決意を固くしました。
(あっははははっ! これで安土も終わりよ! ノエル、あんたの居場所なんか、跡形もなく燃やし尽くしてやるわ!)
王の逞しい腕の中に抱かれながら、聖女エマは誰にも見えない位置で、暗く、おぞましい邪悪な笑みを浮かべていました。
すべての人間に崇拝され、すべての富を独占するという己の強欲のため、そして何より、何度叩き落としても這い上がってくる『ノエル』という存在を完全に消し去るため。
隣国ガリアス帝国の王族からの熱狂から、エマの果てしない憎悪と欲望は、平和に沸く安土の街へ、恐ろしい『戦争』という名の巨大な火種を差し向けてしまったのでした。
※※※
王都の一等地に堂々と店を構える、王国公認商会ヒュデの質屋。
店主であるヒュデは、店先に現れた二人の人物を見て、心臓が口から飛び出そうになっていました。
「い、いらっしゃいま……せっ!?」
見間違えるはずがありません。金糸のように輝くブロンドの髪に、王族特有の圧倒的な威圧感。
第一王子アルフレッドと、その側近であるアレンが、なぜかこんな自分の店の入り口に立っていたのです。もちろん直接の面識はありませんが、顔を知らないわけがありません。王都で住んでいる者なら当然のことでした。
(なんで第一王子殿下がこんなとこへ!? うち、なんか不敬罪やらかした!? それとも脱税を疑われてる!?)
冷や汗を滝のように流し、その場に平伏しそうになるヒュデに対し、アルフレッドはどこか穏やかな、それでいて堂々とした態度で口を開きました。
「面を上げよ。私のノエルが随分お世話になっていたようだな。王国公認商会での多大なる納税、感謝する。これからの王都には、君たち商会の力が必要だ」
(今普通に『私の』ノエルって言ったな……)
背後で控えるアレンが、無表情のまま内心で鋭いツッコミを入れます。
一方のヒュデは、頭の中が完全にパニックに陥っていました。
(私のノエル!? え、ちょっと待って! 殿下って、ノエル様を大勢の前で婚約破棄して、ド田舎の辺境に追放した張本人だよね!? なんで今更そんな身内ヅラで語ってんの!? どういう情緒!?)
疑問と恐怖で叫び出しそうになるのを、ヒュデは商人としての意地と鋼の顔面筋で必死に抑え込みました。引きつった愛想笑いを浮かべ、深く頭を下げます。
「は、ははぁっ! 恐悦至極に存じます……!」
「……それと、これは『私のノエル』から君に預けるようにと言われている国家機密の品なのだが」
またしても『私のノエル』とハリのある有名俳優のような声を響かせたアルフレッドが、身内への自慢を隠しきれない様子で厳かに差し出したのは、見慣れない奇妙な形をした箱型の魔道具でした。
「えっ、ノエルちゃんから!?」
「ノエル……ちゃん……だと?」
その瞬間――。
アルフレッドの纏う空気が、一瞬にして絶対零度に冷え込みました。
「ひぃっ!?」
綺麗に整えられたセンター分けの黄金の髪が、電流が流れたようにパチパチと音を立てて逆立ちました。海のように美しいブルーの瞳が、凍りつくような冷徹な色へと変わり、その尋常ならざる気配に、ヒュデは寿命が十年縮んだ思いでした。
背後に控えるアレンが慌てて、「殿下、ヤキモチで民間人に殺気立たせないでください」と、小声で彼を窘めました。
コホン、と咳払いを一つして気を取り直したアルフレッドから、その魔道具の用途を説明されたヒュデは、先ほどの王子の殺気すら完全に忘れて目を剥きました。
「きょ、距離を無視して通話ができる魔道具だって!? また、とんでも無いもの作ったんだね!?」
手渡されたその箱――『魔導電話』をじっと見つめ、ヒュデの商売人としての血が激しく沸騰し始めます。
離れた相手と瞬時に情報伝達ができる。これが何を意味するか、優秀な商人であるヒュデには痛いほど理解できました。流通ルートの確保、相場の即時把握、有事の際の連絡網……これ一つで、世界の常識やビジネスモデルが根底から覆ります。
「使い方はここをこう、押すだけだそうだ。……繋いでみるがいい」
アルフレッドに促され、ヒュデは震える手で魔導電話の受話器を握りしめました。
言われた通りに起動のボタンを押し、微かな魔力を流し込みます。
『プルルルルル……プルルルルル……』
静かな店内に、聞いたことのない奇妙な呼び出し音が響き渡ります。
そして数秒後。
『ガチャッ……はい、こちら安土城。ノエルですが?』
ノイズ一つないクリアな音声で、聞き慣れた少女の涼やかな声が、確かにヒュデの耳に届いたのでした。




