44 意地悪が続いて困っています
「だ、誰か、いませんか~」
一応、助けを呼んでみる。
声は崖の下へ落ちていくように消えていき、返事はない。
ここに来るまで人に会わなかったから、人が来てくれるとは思えない。
足音ひとつ聞かなかった道を思い返しながら、半ば確信している。
自分ではどうにもできないから、助けを呼ぶしかないんだけど。
手が痺れてきている。
この体勢のままでいるのは、そろそろ限界だ。
やっぱり、落ちてみようかな。
手が疲れて落ちてしまうのと、自分の意思で落ちるのとでは、倒れたときの受け身の取り方が違う気がする。
自分で落ちたほうが、上手に落ちられる、気がする。
手をはなそうとして、誰かが私の手を掴んだ。
一瞬、力が抜けそうになりながらも、その強さに引き戻される。
ギルツハーク?
とっさにそう思ったけど、手を掴んでくれたのは、アルベルトだった。
「あら?アルベルト様。どうしてこんなところへ?」
驚きと安心が入り混じって、少し間の抜けた声になる。
「クラウディアっ、いま、それ、どうでもいいからっ」
アルベルトがぐっと私の手を引っ張ってくれる。
地面に戻っていく感覚が急に現実的になった。
助かった…?
「ああっ!それ、俺の役なのに~」
そう言って、後ろからギルツハークが手を伸ばしてくれた。
必死さと焦りが混ざった声が、やけに近く聞こえる。
「あら、ギル様も。おふたりでいらっしゃったんですね」
引き上げられて、ようやく足が地面に触れた。
なんとか怪我をしないですんだ。
ホッとする。
全身から力が抜けて、その場に座り込みそうになる。
安心したら、ポロっと涙がこぼれた。
自分でも理由がはっきりしないまま、視界がにじむ。
「…あとは、王子様に譲るよ」
アルベルトがそう言って立ち去っていく。
今まで、あんなに冷静だったのに、ポロポロと涙が溢れて止まらない。
喉の奥が詰まって、呼吸が少しだけ乱れる。
「ディア…どこか痛いの?怪我した?」
ギルツハークが私の体を擦ってくれる。
確認するように、でも壊れ物に触れるように慎重に。
「いえ…いえ、だい、じょうぶ…です…なぜだか涙が止まらなくて…」
そう言うと、ギルツハークが私を抱きしめてくれた。
ギルツハークに抱きしめてもらうと、ふわふわしてしまって、安心して、エンエンと泣いてしまった。
ギルツハークは私が落ち着くまで抱きしめていてくれた。
背中に回された腕が、じっと動かないまま支えている。
たくさん泣いたらまた冷静になる。
「…すみません。あっ!ギル様っ、服が汚れてしまいますね」
涙をぬぐいながら、ようやく周囲を意識する。
ギルツハークが膝をついて私を抱きしめてくれていたから、膝が汚れてしまっていた。
「大丈夫だよ。ディアも服が汚れちゃったね。家まで送っていくよ」
その言葉に、さらに少しだけ肩の力が抜ける。
木に引っ掛けられていたレポートをなんとか提出して、帰宅する。
両親に服が汚れていた理由を聞かれて、仕方なく、これまでのことを話した。
玄関先で立ったまま説明しながら、少し気まずさを感じる。
まさか帰宅早々、自分が学園で受けている嫌がらせについて報告することになるとは思わなかった。
しかも内容が内容だけに、心配させてしまうだろうかとハラハラしたけれど。
第一声は、予想外の言葉だった。
「まあ。ギルツハークは、女性にモテるのね」
母がそう言ってコロコロと笑う。
まるで近所で評判のお菓子屋さんの話でも聞いたかのような気軽さだった。
「若いって素敵ねえ」と、ギルツハークを見て笑っている。
「女性の嫉妬は怖いものだな」
父も、うんうんと頷いていた。
こちらは少し神妙そうな顔をしている分だけ真面目に聞いているのかと思いきや。
「うむ。しかし、それだけお前が魅力的な婚約者を持っていたということだ」
「気をつけろ。恋路は時に戦場だからな」と、なぜか人生の教訓めいた方向へ話が逸れていく。
母は母で、にこにこと微笑みながら、
「怪我はしていないのでしょう。紅茶でも飲む?心が落ち着くわよ」
そう言って部屋に入っていった。
確かに落ち着くかもしれないが、そういう問題なのだろうか。
うちの両親は、ちょっと…アレなのだ。
悪気はない。
心配していないわけでもないのだろう。
ただ、どこかズレている。




