41 ギルツハークはモテるようです
「あなたがクラウディア嬢ね?ギルツハーク様とよりを戻されたそうじゃない。うまくやりましたわね」
声は明るいのに、言葉だけが妙に尖っている。
表面的には祝福のように聞こえるのに、その実、棘しかない。
誰だか知らない人にそう言われて、戸惑った。
突然向けられた敵意に、思考が一瞬遅れる。
どうして初対面の相手に、こんなにも含みのある言い方をされなければならないのか。
「うまくやるって、どういうことよ?」
私の近くにいた友達が私をかばうように声を出してくれた。
椅子がわずかに鳴って、空気が少しピリっとした。
友人の声音には、明確な警戒と怒りが滲んでいる。
「言葉の通りですわ。あんなにギルツハーク様と仲が悪かったのに、婚約を解消したとたんに仲が良くなるなんて。そう仕向けたんでしょ?意外と腹黒くてビックリしましたわ」
この言葉には悪意がある。
それがわかったけど、何も言い返せなかったし、言い返す気にもならなかった。
きっと、この女性はギルツハークに好意があるんだろうなと感じた。
私とギルツハークが婚約を解消して、希望を持ったに違いない。
それなのに、あっさり恋人として戻ってきたから気に食わないんだ。
私の勘違いで、彼女にも迷惑をかけてしまった。
だから、何も言えない。
これは甘んじて受けるべき声だ。
そのときは、そう思った。
ただ、この日を境に、知らない女性から小さい嫌がらせを受けるようになった。
すれ違いざまに視線を逸らされることもあれば、陰でひそひそと笑われることもある。
こちらが近づけば会話が止まり、通り過ぎた瞬間にまた小声が再開する。
知らない女性だけではなく、あの女性の協力者でもいるんだろうか。
そう思ったけど、何か違う。
聞こえるか聞こえないか絶妙な声量で囁かれる笑い声は、まるでわざと神経を逆撫でしているようだった。
時には肩がぶつかったのに謝罪すらなく、むしろこちらが悪いかのような顔をされることもある。
足を引っかけられたり、物を隠されたり、後ろから小突かれたりした。
机の中に入れていたはずのノートがなくなっていたり、大切にしていたペンが勝手に別の場所へ移されていたり。
階段では不自然に進路を塞がれ、廊下では後ろからわざと軽く押される。
転ぶほどではない。
けれど、確実に不快で、悪意だけは十分に伝わってくる。
それがまた腹立たしい。
幼稚だ。
あまりにも幼稚なのに、だからこそ陰湿で面倒。
面と向かって言われるなら、それは受け入れる。
気に入らないなら、堂々と言えばいい。
けれど、こうして陰に隠れながら小さな悪意を積み重ねられるのは、まるで湿った布を少しずつ心に被せられていくようで鬱陶しい。
ちょっと…かなりイライラした。
一つひとつは些細でも、それが毎日のように続けば話は別だ。
笑って流せるほど私はできた人間ではない。
時折、大きな声で注意しようかとも思ってしまうけど。
けれど、そんな反応すら相手の思うつぼなのだろう。
そう思うと、なおさら腹が立つ。
本当に面倒くさい。
「ディア、大丈夫?…俺からその女性に止めてくれるように言っておくから」
ギルツハークがそう言ったけど、私に直接文句を言ってきた女性は、たぶん何もしていない。
だって、直接文句が言える人だもん。
私に直接文句を言えない『誰か』なのだ。
廊下の影や、視線の気配だけが残るような嫌がらせを思い出しながら、小さく息を吐いた。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
そう言って、お断りしておいた。
ギルツハークの眉が少し動くのが見えたけれど、そのまま続ける。
「…それにしても、ギルツハーク様ってモテるんですね。あらためて思い知りました」
暗い話をしていても仕方がないから、話題を変えることにした。
心配をかけないように、できるだけ軽い声を作る。
「それは、ディアのほうだよ。婚約を解消したという噂が流れてから、ディアのところにも新たな求婚が殺到したって」
ギルツハークがそこまで言って「あ、」という顔をした。
言いかけて止まるその表情に、私のほうが首を傾げる。
新たな求婚?
そんな話は、父からも母からも聞いていない。
「…ごめん。きっとすぐに求婚があると思ったんだけど。ディアのご両親に自分に少しだけ時間をくださいって頭を下げて、止めてもらってた…」
ギルツハークにそう告白されて、顔が熱くなった。
その光景を想像してしまって、さらに耳まで熱くなる。
そんなやり取りをしていたなんで知らなかった。
「そうだったんですね。それなのに私、早く新しい恋を探そうとして…」
思い出すと恥ずかしい。
カフェで真剣に考えていた自分の姿がよぎって、視線を落とす。
「俺も、もっと早く、ディアに好きだって伝えていればよかった」
ギルツハークが、そっと私の髪を撫でた。
指先が髪をすくう感触に、呼吸が少し止まる。
今なら、言えそうな気がする。
「…ギル様」
ぽろっと、とても自然にギルツハークを愛称で呼ぶことができた。




