17 婚約を解消することにしました
そう言うと、ギルツハークはポカンとした顔をした。
当然だけど、否定もしてくださらない。
喉の奥がきゅっと締まるのを感じる。
泣いてはいけない。
婚約者の前では、常に笑顔でと言われているもの。
でも、こんな時でも私は、微笑んでいなければいけないのかしら?
「ちょっと待とうか、ディア。ギルツハークの話も聞いたほうがいいよ」
アルベルトがなぜか慌てている。
きっと、私が傷ついたと心配してくれたんだろう。
でも、傷つこうが、はっきりさせなくてはいけないこともある。
アルベルトは「話し合ったほうがいい」と言ってくれたけど、ギルツハークが声を発することはなかった。
沈黙の中、私は小さく頭を下げ、それからアルベルトとギルツハークに挨拶をして、家に帰る。
家に帰って、部屋でひとり、じっくり考えた。
考えて、考えて、両親と話すことにする。
その日は一晩かけて、両親を説得した。
「ギルツハーク様、婚約を解消いたしましょう」
翌日、ギルツハークに話をする。
静かな朝の光の中でそう告げると、ギルツハークが「そんなことディアの両親も許さないだろ」と言った。
「それでしたら、ご安心ください。昨日、両親は説得して、今日、私の両親がギルツハーク様のご両親にもお話に行っております」
そう伝えると、ギルツハークの顔色が土色になった。
「あ、安心してください。今回の婚約解消は、全て、私の我儘ということにしてあります。ギルツハーク様にご迷惑はかからないようにと両親にもお願いしてありますから」
私は少しだけ手を胸の前で握りしめながら、できるだけ淡々と説明する。
できるだけ明るく伝えるように努めていたけれど。
口角に力を入れるのをやめた。
私はいつまで、ギルツハークの前で笑顔を作らないといけないんだろう。
それでもギルツハークが何か言おうとしたから、私が先に伝えた。
「もう、ギルツハーク様の隣で、楽しくもないのに笑うことに、疲れてしまったんです」
その言葉を言い切った瞬間、胸の奥が少し軽くなるのを感じた。
私の言葉を聞いたギルツハークが力なくその場に座り込んだ。
あいかわらずギルツハークは何も言ってくれないけど。
私の言葉に反論する気はないみたいだ。
「では、そういうことですので。私はこれで。ギルツハーク様、いままでありがとうございました」
そう伝えて軽く頭を下げると、背筋を伸ばしたままその場を立ち去った。
歩きながら思う。
ギルツハークと婚約を解消するとき、自分はどんな気持ちになるんだろうと想像していた。
悲しくて泣き崩れるのか。
やっと解消できたと清々しく感じるのか。
今の私の気持ちは、どちらでもない。
なんだかイライラとして、お腹が重たい。
私から婚約解消を告げたのに、怒りが沸いてきていた。
予定通りの展開だったのに。
ただ…
ギルツハークは、この期に及んで、何も言わなかった。
いつも通り「わかった」だけでも言ってくれると思ったのに。
自分の対面を気にして顔を土色にして。
そこまで、私のことがどうでもよかったのか。
せめて、最後に、なにか言ってくれれば…
ふと、歩みを止めた。
何か言われたら、私はなんて答えていたんだろう。
「…だめね。やっぱり、察することなんてできないわ」
そう言葉が漏れた。
私とギルツハークの婚約解消はすぐに学園中の人が知ることとなったけれど、大した騒動にもならず。
誰かが廊下で小声で話しているのが時々聞こえてきた程度で。
風の噂は、ただの風になって消えていった。
「でも、ほんっと、ギルツハーク様と婚約解消できてよかったですね」
友達の1人が身を乗り出してそう言ったのでびっくりする。
思わず手にしていたペンを止め、目を見開いた。
「え?…どうしてですか?」
私が尋ねると、他の友達たちもそれぞれ椅子を少し寄せながら、口々にギルツハークと私の関係を気にしていたと話してくれた。
「ギルツハーク様、クラウディアと一緒にいるときだけツンツンしちゃって、態度悪かったわよね」
「そうそう。他の人とはおしゃべりをするくせに、クラウディアのことは無視でしょ?」
「婚約者だからって、下に見ていたのだわ」
次々にギルツハークの悪口が飛び出してくる。
誰かが机を軽く叩きながら同意し、別の子は眉をひそめて腕を組んでいる。
ギルツハークと言えば、整った顔立ちだし、成績優秀だし、文武両道だし。
廊下ですれ違えば視線を集め、遠くからでも噂になるような存在で、女性のあこがれの的、モテモテ男子だと思っていたのに。
確かに私の前では無表情で無口だったけど、こんなに悪く言われるのは本意じゃない。
胸の奥が少しだけざわついて、私は言葉を選びながら口を開く。
「あ…でも、婚約解消は私の我儘で。ギルツハーク様はそこまで悪い人ではないんですよ」
私がそう言うと「健気だわ」とか「こんな心優しい方にヒドイ扱いをするなんて」とギルツハークの悪口がヒートアップした。
周囲の空気がさらに熱を帯びていくのを感じながら、私は少しずつ視線を落とす。
私が何か言えばいうほど、ギルツハークが悪者になっていく。
これは、私から何も言わないほうがいいのかもしれない。
そう思って、息をひそめることにした。




