14 私の話をしなくてはいけません
吹っ切れたら、これまで当然のようにやってきた花嫁修業も馬鹿らしくなってやめてしまった。
もう、淑女である必要はないし。
ギルツハークのために頑張る必要はない。
別居婚がはじまったら、ひとりの時間が増えるだろうと、趣味を見つけることにした。
窓の外の季節が変わるのを眺めながら、あらためて、自分が好きなことってなんだろうと想いを巡らせる。
読書、観劇、好きなことは色々とあったけれど、刺繍を本格的に始めることにした。
針と糸を選ぶ時間が少し楽しかった。
花嫁修業をやめると、使える時間も増えて、友達も増えていった。
予定のない午後が、いつの間にか人と会う約束に変わっていく。
「今は、何を刺繍しているの?」
カフェで刺繍をしていると、アルベルトがのぞいてくれる。
椅子を少し引いて、テーブル越しに身を乗り出すように覗き込んできた。
「なんだと思う?」
そう言って見せると、アルベルトが「う~ん」と考えている。
指先で顎に触れながら、わざとらしく悩む素振りをする。
結構、自信があったのに。
しらずしらず、頬が膨らんでいく。
「あはは、うそうそ。花だよね。バラと…これはカスミソウ?」
アルベルトがそう言って「綺麗だね」と言った。
光に当たった刺繍糸が少しだけきらめく。
「アルったら、あいかわらず意地悪なんだから」
ぷんぷんと怒りながら刺繍をする。
針を進める手が少しだけ速くなる。
恋人のフリをしてもらう必要はなくなったけど「友達だから」という理由で、いまだに愛称で呼び合っている。
ギルツハークとは叶わなかった、なにげない会話が続いていく。
ギルツハークのことは、いつからか愛称で呼べなくなってしまった。
たぶん、自分に罪悪感があるからだ。
でも、自分の心の中がわかって、少しすっきりしている。
ギルツハークの恋を応援したい。
今は本当にそう思えるようになった。
この歪な関係が戻ることはないんだろうけれど。
結婚して、別居して、ギルツハークも私も自分らしく生きて。
いつかまた、幼いときみたいに友達に戻れたらいいな。
「で、結局、卒業したらギルツハークと結婚するの?」
アルベルトがキャラメルマキアートを飲みながら私に尋ねた。
ストローを回しながら、何気ない調子で言う。
「そうね…たぶん、そうだと思う」
考えないようにしているけど、月日は過ぎていく。
窓の外の光が少し傾いている。
いつか、卒業して結婚する日がくる。
私もギルツハークも、お互いのことを好きでもないのに。
決まっていることだし、それを思い浮かべることもできる。
ただどうしても、2人で微笑みあっている絵は想像できない。
「そっか…せめて、もうちょっと嬉しそうな顔してよ。俺、失恋してるんだからさ」
アルベルトがそう言って、私の頬を左右に引っ張る。
軽い力なのに、表情が無理やり変わる。
「…?どうして、アルが失恋してるの?」
私がそう言うと、アルは困ったような顔をした。
視線を少しだけ逸らす。
「そうだろうと思ったけど、全然、気づいてないよね…」
そう言ってキャラメルマキアートを飲み干した。
氷がカランと音を立てて、グラスの中で崩れていった。
「うん、いい感じ」
今日は学園はお休みだけど、学園の隣のカフェでまったりしながら刺繍をしている。
外から差し込む光が布の上に落ちている。
呼んでないのにアルベルトがきて、私が刺繍しているところを見ていた。
肘をついて、退屈そうに見えるけど。
ひとりでも大丈夫なのになと思いながら刺繍を続けた。
「ところでさ」
アルベルトが突然私に話しかけてきた。
「どうして、ディアは自分で色々と考えるの?…円満婚約解消、とか」
そう尋ねられて、手を休める。
針先が布の上で止まる。
「自分で色々と?」
私が首を傾げると、アルベルトが座りなおした。
「婚約解消とかって、普通その…相手と話すでしょ。解消するにしても、しないにしても」
アルベルトにそう言われて、さらに首を傾げた。
少し間があって、アルベルトが言いたいことがなんとなくわかった。
それを説明するには、私の話をしなくてはいけない。
だから、少しだけ迷った。
このことを話せば、自分がどれだけ型にはまった教育を受けてきたのか知られてしまう気がしたから。
けれど、アルベルトは茶化さずに聞いてくれるような気がして、私はゆっくりと言葉を選んで話すことにした。
「今はお休みしてるんですけど、以前は花嫁修業をしてたんです」
私がそう言うと、ふむふむとアルベルトが相槌を打ってくれる。
花嫁修業をする人は珍しくないからだろう。
驚くでもなく、否定するでもなく、自然に続きを促してくれるその反応がありがたかった。
「その先生に1度相談したことがあって。ギルツハーク様って無表情で無口で何を考えているかわからないから、どう接したらいいかわからないって」
当時のことを思い出す。
自分の家の部屋なのに、背筋が自然と伸びるような厳かな空気。
花嫁修業の教師であるその女性は、いつも完璧に整った姿で座っていた。




