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第四章「眠いだけです」

・通訳変えたい

・帰国したい

・時差なくなれ


 フランス南部のリゾート地、カ○ヌ。


 地中海の青い海と、降り注ぐ太陽の光、そして世界中から集まった映画人たちの熱気。映画の聖地と呼ばれるこの場所に、私の新作映画がなぜか「コンペティション部門」で出品されることになってしまった。


 現在、現地時間で午後二時。日本時間では夜の九時を回ったところだ。連日の寝不足に強烈な時差ボケが追い打ちをかけ、私の脳は限界を迎えていた。


 華やかなレッドカーペットの上。タキシードを着た橘プロデューサーやドレス姿のキャスト陣が笑顔で手を振る横で、私もハイブランドのドレスを身に纏い、カメラのフラッシュを浴びている。


 眩しい。帰りたい。寝たい。


 完璧な微笑みを顔面に貼り付けながら、私の意識は白目を剥きかけていた。しかし、地獄の本番はレッドカーペットの後に控えていた記者会見だった。壇上に並んだ私たちの前には、世界中から集まった目の肥えた映画評論家やジャーナリストたちがギチギチに詰めかけている。


 マイクを持った金髪の外国人記者が、英語で何やら熱心に質問してきた。私の隣に立つ女性通訳が、その質問を要約するように私の耳元で囁く。しかし、時差ボケでバグった私の耳には、彼女の日本語すらも遠く聞こえる。


「……彼が『あなたにとって映画とは何か』と」


 映画とは何か。そんな問いを投げかけられても、今の私の脳は「睡眠」の二文字以外を受け入れなかった。私は正直な体調をそのまま口にしてしまった。


「……眠いです」


 一瞬、会場全体が、水を打ったように静まり返った。


 あ、やばい。流石に「質問をもう一度聞き返そうかな」と思い、私がマイクを握り直した、その瞬間だった。通訳が満面の笑みを浮かべ、流暢な英語で話し始めた。


(……長い。たった三文字になんでそんな文字数かかるの?)


 英語がさっぱりな私が困惑していると、隣に座っていた橘プロデューサーが、目頭を押さえながら震える声で囁いてきた。


「監督……『夢を見るためには、まず眠らなければならない。映画とは新しい夢を見る勇気だ』だなんて。なんて美しい思想なんですか……!」


(……言ってない)


 私は心の中で猛烈に突っ込んだ。「眠い」という三文字が、なぜそんな芸術論に化けるんだ。


 会場の反応は私の予想を斜め上に飛び越えた。一人の評論家が「ワンダフル……!」と声を震わせ、立ち上がって拍手を始めたのだ。それを皮切りに、劇場全体が怒涛のスタンディングオベーションに包まれた。


「なんと美しい思想だ……!」

「若き天才は、映画を『覚醒のための睡眠』と定義したのか!」


 涙を拭う記者たちを前に、私はただただ引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。


 この通訳の暴走はさらに加速していく。次の質問者がマイクを握る。


「神崎監督、あなたの作品には常に底知れぬ孤独が漂っています。あなたにとって、創作の苦しみとは何ですか?」


 私の回答。


「時差ボケです」


 通訳が、今度は身振り手振りを交えて熱烈な英語を紡ぎ出す。


 橘プロデューサーが、またしても感極まった声で即席の翻訳をしてくれる。


「『世界との間に生じる埋められない距離。その孤独を受け入れること』……! まさにその通りですね!」


(時差ボケって言ったの!)


 会場、割れんばかりの拍手。


 さらに別の質問者。


「若くしてこれほどの成功を収めたあなたですが、今、どう考えていますか?」


 私の回答。


「早くホテル帰りたいです」


 通訳はついに胸に手を当て、涙ぐみながら英語で演説を打ち始めた。


「うぅっ……『人は栄光ではなく、魂が安らぐ帰るべき場所を探している』……深すぎます、監督……!」


 隣で橘プロデューサーも完全に号泣しているし、ついに前列のフランス人評論家までハンカチで目頭を押さえ始めた。


(寝たいだけだってば!)


 私の心の叫びは、有能すぎる通訳の美しい外国語によって、ことごとく歴史的名言へと変換されていった。


 そして迎えた授賞式。なんと、私の映画は「審査員特別賞」を受賞してしまった。


 呆然としながらステージに上がり、ずっしりと重いトロフィーを受け取る。マイクの前に立った私は、一秒でも早くこのセレモニーを終わらせるため、もっとも短いスピーチを選んだ。


「ありがとうございます」


 よし、完璧だ。これなら通訳も短く済むだろう。そう確信して一歩下がった私を横目に、通訳はマイクを掴み、そこから丸々五分間にわたって、身振り手振りを交えながら熱弁を振るい始めた。


(……長い。何喋ってんの。一言しか言ってないよ?)


 私を置き去りにして、会場は再び感動の渦に包まれ、鳴り止まない拍手がホールを揺るがしたのだった。


 ──数日後、帰国。


 大手カルチャー誌の表紙には、私の写真と共にデカデカとこんな見出しが躍っていた。


『緊急特集:神崎怜奈の「眠りの哲学」〜夢を見ることこそ創作である〜』

『帰る場所を求める芸術家──カンヌを震撼させた若き天才の言葉』


 SNSを開けば、タイムラインはその話題で持ちきりだった。


『神崎監督のカンヌでの言葉、深すぎて人生変わった』

『「夢を見るために眠る」って、現代社会への最高のアンチテーゼじゃん』

『一言一言が刺さりすぎる。言葉の重みが違う』


 違う、重いのは私のまぶただ。


 帰国早々、出演することになった情報番組のスタジオでも、その誤解は解けなかった。


 にこやかな司会者が、フリップに書かれた私の「名言」を指差しながら感心したように言った。


「神崎監督、このカンヌでの『夢を見るためには眠らなければならない』というお言葉、本当に素晴らしい思想ですよね。やはり、寝ている間も映画のことを考えていらっしゃるんですか?」

「……いえ、言ってません」


 私が真顔で否定すると、司会者は「またまたー」と嬉しそうに肩を叩いてきた。


「そうやって、あえて自分の言葉を神格化させない謙虚さも、監督の魅力ですよね!」


 何を言っても「深読み」というフィルターでろ過され、崇高な言葉へと変換されてしまう。この世界は、私の言葉をまともに聴く気がないらしい。


 収録後、楽屋へ戻る廊下。海外のニュースサイトをチェックしていたマネージャーが、感嘆の声を漏らした。


「すごいよ怜奈! 海外の映画メディアで、怜奈が『東洋の名言メーカーって呼ばれて絶賛されてる!」

「ただの寝不足だっつーの……」

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