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第三章「私の日常は放送して良いものか」

・逆にテレビ局を密着してやりたい

・床で寝たい

・日本人は寝ろ


 ロケ車の中から見下ろす東京の街は、今日も無駄に人が多い。


 交差点にはアリの群れのように人がひしめき合い、誰も彼もが何かに急いでいるか、道のど真ん中で立ち止まってスマートフォンを覗き込んでいる。


「……東京、半分くらい人減らした方がいいよね」


 私は窓ガラスの外を眺めながら、心底うんざりした声で呟いた。


「怜奈!! カメラの前では口が裂けてもやめてね! 」


 隣に座るマネージャーが、私の発言を即座に火消しにかかる。最近の彼女は瀬戸くんとの「熱愛報道」の対応も相まって、常に胃薬を手放せない身体になっていた。


「わかってるよ。心の中で思っただけ」

「言葉選びには本当に気をつけて。世間は今、怜奈に注目してるんだから」


 そう。あの事故画のバズりから始まり、牛丼屋での熱愛(という名のただの食事)スクープを経て、私の知名度は映画業界の枠を飛び越え、国民的な関心に発展していた。


 その結果、舞い込んだのが某キー局のドキュメンタリー番組からのオファーだ。


 番組タイトルは『天才映画監督 神崎怜奈』。

 テレビ局側が私に期待している映像はこんなものだろう。


 「若き天才」の苦悩。フランス映画のような美しいアトリエでの創作活動。カフェのテラス席でエスプレッソを傾けながら語る、高尚な芸術論。そして、最新作に向けた情熱的なロケハンの様子。


 要するに、視聴者が憧れる「クリエイターの優雅な日常」だ。


 私もプロである。カメラの前でその「神崎怜奈像」を演じ切る気でいた。


 ──だが、現実は残酷だった。


 密着取材の初日。カメラクルーが意気揚々と私の自宅マンションに足を踏み入れた瞬間、ディレクターの顔からスッと血の気が引くのを私は見逃さなかった。


「……あー、ここが、神崎監督の、アトリエ……ですね?」

「はい。まあ、ちょっと散らかってますけど」


 ちょっと、どころではない。


 リビングには書きかけの香盤表や絵コンテが雪崩を起こし、テーブルの上には空の栄養ドリンクが転がっている。そして何より、部屋のど真ん中には、昨晩私が力尽きて倒れ込んだ跡──つまり、万年床と化したペラペラのラグが敷きっぱなしになっていた。


 現在、新作映画の準備と並行して、別の脚本の締め切りがトリプルで重なっている。優雅にエスプレッソを飲んでいる暇など一秒たりともない。


「あの、お食事は普段、どのようなものを……?」


 カメラマンが恐る恐るレンズを向ける先で、私はコンビニの袋から無造作にプラスチックの容器を取り出した。


「これですね。今日は明太海苔弁当です。カロリーが高くてすぐ食べ終わるので効率がいいんです」

「……な、なるほど。食事にかける時間すら惜しんで、創作に打ち込んでいると……?」

「いや、単に買いに行くのが面倒なだけです」


 ディレクターは必死に「天才の孤独な闘い」という文脈に落とし込もうと食い下がるが、私はただ疲れているだけだった。


 夜中。締め切りまであと三時間に迫った時、ディレクターがそっと囁きかけてきた。


「そろそろお風呂に入られては? 気分転換も必要かと……」


 私はパソコンの画面から血走った目を離さず、即答した。


「今日は風呂キャンで」

「……ふ、風呂キャン?」

「お風呂をキャンセルするということです。今シャワー浴びたら、確実に気絶します。このままの勢いで書き上げないと間に合わないので」


 結局、その日の密着カメラが捉えたのは、ボサボサの頭でキーボードを叩き続け、明け方に力尽きて床のラグに突っ伏して眠る私の姿だった。


 美しさも、芸術論も、優雅な生活も、そこには一ミリも存在しなかった。


 数週間後。


 私はマネージャーと一緒に、事務所のテレビでその密着番組の放送を薄目で確認していた。


 画面の中では、壮大なオーケストラのBGMに乗せて、床でよだれを垂らしそうになりながら爆睡する私の姿が大写しになっている。ナレーションはひたすら重々しく、「限界を超えてなお、彼女は床で夢を見る──」と語っていた。


「……終わった」


 私は頭を抱えた。いくらなんでもリアルすぎるな。風呂キャンしてコンビニ弁当を食らう女のどこに、天才のカリスマ性があるというのか。


 しかし、隣でSNSの反応を監視していたマネージャーが、信じられないものを見るような目でスマートフォンを見つめていた。


「怜奈……これ、見て」


 渡された画面には、番組のハッシュタグと共に、凄まじい勢いで視聴者の感想が流れ込み続けていた。


『床で寝落ちするの分かりすぎるwww 親近感しかない』

『風呂キャン界隈に天才がいたとは……』

『コンビニ弁当で命繋いでるの見て、ますます好きになった』

『飾り気なさすぎて推せる。ちゃんと人間だったんだな』

『徹夜明けの死んだ顔、完全に私で草』


 まさかの絶賛。


 誰も私の限界生活を幻滅することなく、むしろ「自分と同じだ」と熱狂的に受け入れていた。


「……どこに親近感あったの?」


 私はポカンと口を開けた。


 天才映画監督の優雅な生活を見せたつもりは微塵もなかったが、まさか床で寝て風呂をサボる姿がここまで共感を呼ぶとは。


「みんな怜奈の姿に自分を重ねてるみたい……?」


 マネージャーの言葉を聞きながら、私はため息をついた。


(……日本人、働きすぎなんじゃないの?)


 床で寝落ちして、風呂に入る気力もなく、コンビニ弁当でカロリーを摂取するだけの生活。


 それが「親近感」として消費されてしまうこの国は、どう考えてもやばい。


「やっぱり、日本人寝た方がいいよ」


 誰にともなく呟きながら、私は次の撮影のために、重い腰を上げて立ち上がった。休む暇なんて、もちろん私にもないのだった。

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