第二章「熱愛ではなく打ち合わせです」
・週刊誌を滅ぼしたい
・瀬戸くんに彼女できますように
・SNS消えろ
次回作のクランクインを控え、主演俳優が決定した。
今をときめく若手実力派、瀬戸悠人。爽やかな笑顔と誠実な人柄で国宝級イケメンランキングの常連でありながら、演技に対しては人一倍熱心でストイックな、非の打ち所がない好青年だ。
そんな彼から「どうしてもラストシーンの解釈について監督と相談したい」と、直々に連絡があったのは、ある日の夜十時を過ぎた頃だった。
お互いに日中は分刻みのスケジュール。今から落ち着いて話せる場所となると、限られてくる。普通の居酒屋やカフェに行けば、すぐに顔が割れて大騒ぎになる。
『××屋なら誰も見てないんじゃないですか?』
瀬戸くんがLINEで提案してきたのは、大通り沿いにある、黄色い看板でお馴染みのチェーン系の牛丼屋だった。
深夜の牛丼屋。客層は夜勤明けのサラリーマンか、泥酔した大学生くらいのものだ。まさかそんな場所に、若手俳優と映画監督が二人で現れるとは、誰も思うまい。
『いいよ。そこにしよう』
私たちはそれぞれ帽子を深く被り、マスクを着けて、現地で合流した。
午前二時の牛丼屋は狙い通りガラ空きで、私たちはカウンターの端に並んで座り、ねぎ玉牛丼の並盛りを注文した。
「神崎監督、ここのシーンなんですが……」
「そこはね、感情を爆発させるんじゃなくて、内側に溜め込む感じで……」
紅生姜を山盛りに乗せながら、私たちは真剣に芝居の議論を交わした。瀬戸くんの瞳は熱く燃えており、私の拙い説明を熱心にメモしている。非常に有意義な打ち合わせだった。牛丼も美味しかったし、これでお互いの理解も深まった。完璧な夜だった。
──はずだった。
翌朝。私はマネージャーの絶叫に似た電話で目を覚ました。
『怜奈!! 今すぐネットニュース見て!!』
嫌な予感を抱えながらスマホを開くと、某有名週刊誌のに、デカデカと私たちの写真がのっていた。
【電撃熱愛! 映画監督・神崎怜奈とイケメン俳優・瀬戸悠人、深夜の極秘『牛丼デート』をスクープ!】
バッチリ撮られていた。帽子を目深に被った私と瀬戸くんが、並んで牛丼屋から出てくる瞬間が切り取られている。
記事の文章は、私の貧困な想像力を遥かに凌駕する妄想で満ちていた。
『高級凛々たる懐石料理ではなく、あえて庶民的な牛丼屋を選ぶあたりに、二人の飾らない、しかし確かな愛の絆を感じる。カウンター席で肩を寄せ合い、時折見つめ合いながら微笑む姿は、まさに映画の一場面そのもの。深夜二時、二人だけの秘密の時間を噛み締め合っていた──』
「あほくさ……ただ牛丼食っただけなんだけど」
思わず声に出して呟いた。見つめ合っていたんじゃない、絵コンテを覗き込んでいただけだ。愛の絆を噛み締めていたんじゃない、つゆだくの牛肉を噛み締めていただけだ。もう少しねぎを乗せてほしかった。
現場に入ると、そこはもう地獄絵図だった。
「神崎監督! 本当に申し訳ありませんでした……っ!!」
楽屋に飛び込んできた瀬戸くんは、大パニックに陥っていた。顔色は真っ青で、トレードマークの爽やかな笑顔はどこへやら、今にも泣き出しそうな顔で私に何度も頭を下げている。
「僕が迂闊に呼び出したせいで、監督のキャリアに傷を……! すぐに事務所が抗議文を出しますから!」
彼のマネージャーも血相を変えて電話をかけまくっている。タレントのクリーンなイメージを守るため、必死なのだろう。
だが、私の隣に立つ橘プロデューサーは、なぜかニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていた。
「いやぁ、瀬戸くん、そんなに焦らなくてもいい。むしろこれ、最高のプロモーションだよ」
「え……?」
瀬戸くんが動きを止める。橘さんは我が意を得たりとばかりに、タブレットの画面を私たちに見せた。
「見てごらん。SNSでは『あの二人が牛丼屋ってギャップ萌えすぎる』『好感度上がった』って大盛り上がりだ。映画もトレンド一倍だよ。事務所側もね、あんまり目くじら立てて否定するより、『打ち合わせをしていただけです。お騒がせしてすみません』くらいで流した方が、今の時代はウケがいいんだ」
大衆は完璧なスキャンダルよりも、そこに潜む人間味を好む。私の事故画がバズったのと同じロジックだ。天才監督とイケメン俳優が高級フレンチで密会していたら炎上したかもしれないが、「深夜に牛丼屋」という庶民派なノイズが、人々の心を溶かしてしまったらしい。
瀬戸くんは呆然と立ち尽くし、片手で自分の胃のあたりを抑えた。
「……プロモーション、ですか……? 芝居の話をしていただけなのに」
「いいじゃん、宣伝になるなら別に。減るもんでもないし」
私が淡々とそう告げると、瀬戸くんは「うぅ……」と小さく呻き、その場にしゃがみ込んでしまった。どうやら、大人の汚い事情と世間の現金な反応に、彼のピュアなハートは耐えきれなかったらしい。かわいそうに。
そして、この「誤解」はさらに加速していくことになった。
クランクイン後。一度「熱愛」というフィルターがかかった世間の目は、私たちのあらゆる行動をその色に染め上げていった。
スタジオで、私が機材のコードに足を引っ掛けそうになり、近くにいた瀬戸くんが反射的に私の腕を掴んで支えた。
翌日の週刊誌。
【撮影現場でも隠せない愛! 瀬戸悠人、神崎監督を優しくエスコート!】
炎天下のロケ中、スタッフが全員に配った冷たいスポーツドリンクを、瀬戸くんが「監督、どうぞ」と手渡してくれた。
翌日の週刊誌。
【尽くす男・瀬戸悠人! 現場でかいがいしく恋人の体調をケアする姿をキャッチ!】
モニターチェック中、瀬戸くんの素晴らしい演技に対して、私が「今のカット、すごく良かった」と満面の笑みで褒めちぎった。
翌日の週刊誌。
【恋人の絶賛にハニカミ笑顔! 二人だけの世界にスタッフも呆れ顔?】
「……あの、神崎監督。次のシーンなんですが……」
撮影の合間、瀬戸くんが完全に怯えきった様子で、私からきっちり二メートル距離を保ちながら話しかけてくる。彼の目は泳ぎ、手はかすかに震えていた。
「何? もっと近くで話してよ、聞こえない」
「いえ! これ以上近づくと、また記事書かれますから! 僕の胃がもう限界なんです……!」
見れば、彼の私服のポケットからは、市販の胃腸薬の箱が覗いていた。
撮影は順調に進んでいる。映画のクオリティも、彼の熱演のおかげで間違いなく上がっている。
ただ、映画の撮影が進むスピードよりも、私たちの「熱愛記事」が増えるスピードの方が早かった。
「週刊誌って暇なんだねぇ……」
怯える瀬戸くんを見つめながら、本日何度目か分からないため息を吐き出すのだった。




