秘密の勉強会と、深淵の密着
放課後。夕陽が沈みかけた学園は、オレンジ色の柔らかな光に包まれていた。
ハヤトは、昼間の喧騒から逃れるようにして、約束の場所である旧図書室へと静かに足を運んでいた。
ギィ……と古い木製の扉を開けると、そこには相変わらず静寂が満ちていた。浮遊する淡い魔導光が、本棚の隙間を頼りなく照らしている。
「遅かったわね、ハヤト」
本棚の影から、ひょっこりと銀色の髪を揺らしてノクスが姿を現した。
彼女の腕には、相変わらず自分の体ほどもある分厚い魔導書が抱えられている。しかし、いつもと違うのは、彼女が授業用の制服ではなく、少し薄手の、肩口が大きく開いた私服のローブを身に纏っていることだった。
「すみません、ノクスさん。教室を出るときに、クラスの男子たちに捕まってしまって……」
「いいわ。……それより、こっちに来て」
ノクスはハヤトの手首をそっと掴むと、一番奥の、誰の目にも触れない禁書区画の小さな机へと彼を促した。
二人が向かい合って座ると、ノクスは机の上にドスンと魔導書を広げ、ハヤトの顔をじっと見つめた。
「さあ、始めましょう。あなたの頭の中にある『異世界の理』……万物が従うという絶対的な法則について、私に詳しく教えて」
彼女の紫色の瞳は、純粋な知識への渇望でキラキラと輝いていた。
ハヤトは苦笑しながら、頭の奥の『思考封じの呪い』を刺激しないよう、慎重に言葉を選んだ。
「俺の世界……というか、俺がかつて信じていた法則では、すべての現象には原因と結果が完璧な数式で繋がっているんです。たとえば、俺の雷魔法。以前は、空気の摩擦や電圧の差、そして電気抵抗を計算して、最も効率的な『回路』を現実に組み立てて撃っていました」
「回路……。エネルギーを導くための、目に見えない『道』を作るのね?」
ノクスは感心したように頷き、ペンを取り出して羊皮紙にさらさらとメモを取り始めた。
「面白いわ。今の私たちの魔法は、精霊に祈るか、魔力をただイメージの力で現象に変換するだけ。でも、あなたの方法は、世界そのものを精巧な『仕掛け箱』として扱っている。原因を組み立てて結果を導くなんて……まるで、世界という舞台の裏方を覗き見しているみたい」
「そうですね。でも、ステラ様には『そんな窮屈な檻の中に閉じこもっているから、本当の魔法が使えないんだ』って怒られましたけど」
ハヤトが肩をすくめると、ノクスはそっと手を伸ばし、ハヤトの手の上に自分の冷たい手を重ねた。
「私はそうは思わない。あなたのその『理屈』は、とても美しいわ。……ねえ、もっと近くで、あなたの魔力の波長を感じさせて」
言うが早いか、ノクスは椅子から立ち上がり、ハヤトの隣の席へと移動してきた。
ただでさえ狭い机だ。ノクスが横に座ると、二人の肩と太ももがぴったりと密着した。
(つ、近い……!)
ハヤトの心臓がドクンと跳ねた。
薄手のローブ越しに伝わってくる、ノクスの小柄ながらも驚くほど柔らかい身体の感触。そして、魔族特有の、熟した果実のような甘く妖艶な香りが、容赦なくハヤトの鼻腔をくすぐる。
「ノ、ノクスさん、ちょっと距離が――」
「静かに。集中できないわ」
ノクスはハヤトの戸惑いなどどこ吹く風で、さらに身体をすり寄せてきた。彼女が手元の魔導書を覗き込もうと前屈みになった瞬間、ハヤトの視線に、彼女の大きく開いた襟元から覗く、透き通るように白い鎖骨と、豊かな胸の膨らみが否応なしに飛び込んできた。
「っ……!」
ハヤトは慌てて目を逸らそうとしたが、ノクスはハヤトの動揺に気づいたのか、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。普段のクーデレな彼女からは想像もつかない、妖艶な笑みだった。
「あら、ハヤト。顔が真っ赤よ? ……私の身体に、興味があるの?」
「ち、違います! そんなんじゃなくて……!」
「嘘つき。心臓の音が、ここまで聞こえているわよ」
ノクスはハヤトの耳元に顔を近づけ、ふーっと甘い吐息を吹きかけた。
ハヤトが限界を迎えて飛び起きようとした、その時だった。
バァァァァァンッ!!!!!
旧図書室の重厚な扉が、凄まじい音を立てて内側へと吹き飛んだ。
「見つけたわよ、このド変態落ちこぼれぇぇぇッ!!!!」
「ハヤト君! ノクスさんと密室で何をしているんですか!?」
「ノクス、あんた抜け駆けは許さないって言っただろっ!!」
土煙の中から現れたのは、目を血走らせたシルフィ、アクア、テラの三人だった。
シルフィの周囲には怒りの暴風が吹き荒れ、アクアの背後には巨大な水の魔力が渦巻き、テラの足元の石畳がミシミシと音を立ててひび割れている。
「し、シルフィさん!? みんな、なんでここに!?」
ハヤトが血の気が引いた顔で立ち上がる。
「なんで、じゃないわよ! 放課後、あんたがノクスと怪しい雰囲気で消えていくから、尾行してたに決まってるでしょ!」
シルフィが杖をハヤトに突きつける。
「ハヤト君……お勉強、楽しかったですか? 私というものがありながら……っ」
アクアがシクシクと泣き真似をしながらも、その瞳の奥には恐ろしい光が宿っている。
「へえ、ノクス。結構大胆な服着てんじゃん。アタシも混ぜろよ、ハヤトの隣!」
テラが腕を鳴らしながら、ハヤトのもう片方の腕を強引に抱きかかえて自分の胸に埋め込んだ。
「……あら、お邪魔虫の登場ね」
ノクスはハヤトの腕を掴んだまま、冷ややかな瞳で三人を見据えた。
「ちょっと、ノクス! ハヤトから離れなさいよ!」
「断るわ。ハヤトは私に、彼の『理屈』を全部教えるって約束したの。今は、その実技指導の最中よ」
ノクスがわざとらしくハヤトの肩に頭を乗せると、シルフィの怒りが頂点に達した。
「実技指導って、どこを触らせてるのよ! この、泥棒猫ぉぉぉッ!! まとめて風で吹き飛ばしてあげるわ!!」
「わ、私も負けませんっ! ハヤト君を返してください!」
「うわぁぁぁ! みんな落ち着いて! 図書室が壊れるから、魔法は使わないでぇぇぇッ!!」
薄暗い図書室の奥で、ハヤトの悲鳴が虚しく響き渡る。
魔竜を倒し、学園の英雄となったハヤトだったが、四人の天才美少女たちによる『ハヤト争奪戦』という名の最凶の嵐に、彼は成す術なく巻き込まれていくのだった。




