深淵の覗き見と、忍び寄る影
夜の図書室。
ノクスは床から立ち上がると、ハヤトの手首を無言で掴み、図書室のさらに奥、禁書指定されている古い書物が並ぶ区画へと彼を引っ張っていった。
「あの、ノクスさん? どこへ……」
「静かに。……あなたの頭の中、もっと深く見せて」
ノクスはハヤトを椅子に座らせると、自分はその正面に立ち、彼と視線を合わせた。
彼女の銀色の髪がふわりと舞い、透き通るような紫色の瞳が、妖しい光を放ち始める。
「《深淵の瞳》」
ノクスが小さく呟くと、ハヤトは自分の意識の奥底に、冷たくて心地よい水が流れ込んでくるような不思議な感覚を覚えた。
彼女は闇の魔法――他者の精神や魔力の深淵にアクセスする力を使い、ハヤトの脳に刻まれたステラの『思考封じの呪い』を直接観察していた。
「……なるほど。精巧で、悪意に満ちた呪縛ね。あなたが何か特定の『思考』にアクセスしようとすると、この鎖が脳の神経を締め付けて激痛を引き起こすようになっている」
ノクスは感心したように呟き、顔をハヤトの顔の数センチの距離まで近づけた。
魔族特有の甘い香りが再び漂い、ハヤトの心臓が少しだけ早鐘を打つ。
「ねえ、ハヤト。あなた、以前はどうやって魔力を操っていたの? この呪いが発動する条件……それは『想像』じゃない。『計算』と『法則』よ。あなたは、魔法を感覚ではなく、何か絶対的なルールの積み重ねで構築していたのね?」
ノクスの鋭い分析に、ハヤトは驚愕した。
彼女はたった一度深淵を覗いただけで、ハヤトが「物理法則」という理屈を用いていたことを見抜いたのだ。
「……その通りです。俺は、魔法の『結果』じゃなく、『原因』と『過程』を組み立てて力を使っていました。でも、ある人にそれを否定されて、この呪いをかけられたんです。理屈を捨てろ、と」
「ふぅん……」
ノクスはハヤトから顔を離し、少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
「馬鹿げているわ。結果だけを押し付ける今の魔法も自由でいいけれど、原因と過程を完璧に積み上げる力……それは、一つの美学よ。万物が従う絶対的なルールがあるなんて、ロマンチックじゃない」
常に本を読み、世界の知識を渇望しているノクスにとって、ハヤトがかつて持っていた「物理法則」という名の概念は、未知の宝の山のように映ったのだ。
「ハヤト。私がその呪いを解いてあげ……っ!?」
ノクスがハヤトの呪いに干渉しようと闇の魔力を指先に込めた瞬間、ビキィッ!と彼女の指先が強烈な光に弾かれた。
「くっ……!」
「ノクスさん!?」
「大丈夫……ちょっと火傷しただけ」
ノクスは焦げた指先をペロリと舐め、悔しそうに目を細めた。
「凄まじい術式ね。私でも解呪には時間がかかりそう。……でも、決めたわ。私、あなたに興味が出た。あなたの頭の中にある『理屈』、いつか全部私に教えなさい。それまで、誰にも負けることは許さないわ」
クーデレで誰とも関わろうとしなかったノクスが、初めて他人に対して明確な「独占欲」と「執着」を見せた。
ハヤトは少し戸惑いながらも、彼女の純粋な探求心に触れ、優しく微笑んで頷いた。
「分かりました。呪いが解けたら、俺の知っていること、全部話します」
その約束に、ノクスの頬がほんのわずかに、しかし確かに朱に染まった。
――ゴゴゴゴゴ……。
その時、図書室の床が微かに、しかし不気味な振動を伝えてきた。
ハヤトは地震かと思ったが、ノクスの表情がスッと冷酷なものに変わる。
「……ハヤト、地下から変な魔力が漏れてる。これは、ただの地殻変動じゃないわ」
「変な魔力?」
「ええ。酷く淀んでいて、破壊衝動に満ちた……とても古い魔力。学園の地下深くから、脈打つように上がってきている」
ノクスの言葉通り、その頃、王立ルミナス魔法学園の遥か地下深く、立ち入りを固く禁じられている『封印の祭壇』では、異様な儀式が行われていた。
「おお……集まっている。ランキング戦で生徒たちが放った大量の魔力が、結界の隙間からこの祭壇へと注ぎ込まれているぞ……!」
黒いローブに身を包んだ闇ギルドの魔術師たちが、狂気的な笑い声を上げていた。
彼らの視線の先には、巨大な魔法陣と、幾重にも張られた光の鎖で縛り付けられた、巨大な岩山のような塊があった。
それは、数百年前の魔法大戦で封印された『古の魔竜』の心臓部。
闇ギルドは、ランキング戦という学園最大の魔力消費イベントを利用し、生徒たちの魔力を吸い上げて魔竜を復活させ、学園ごと王都を壊滅させる計画を企てていたのだ。
「あと数日。ランキング戦の決勝が行われる刻、結界は完全に崩壊し、我が魔竜様が完全復活を遂げる!」
不気味な哄笑が地下空間に響き渡る。
ハヤトが学園の常識を覆し、四人の天才美少女たちと絆を深めていくその裏で、学園最大の危機が、音もなく、しかし確実に忍び寄っていた。




